第1話 初めてのデート
黄昏谷高校二年A組、出席番号十三番。
立花颯太のいる教室は、昼休み前だというのに妙な熱気に包まれていた。
ざわざわとした話し声。
ひそひそと交わされる噂話。
そして、時折こちらへ向けられる、露骨な視線。
「立花のやつ、前世で世界でも救ったのか?」
「なんでよりによってあいつなんだよ……」
「本当に、羨ましいぜ、あいつ」
そんな囁きが耳に入るたび、颯太は肩身の狭そうに視線を逸らした。
もっとも、立花颯太という男子生徒自身は、注目を集めるような人間ではない。
身長も、学力も、運動神経も平均的。
顔立ちも悪くはないが、特別目立つほどではない。
良く言えば無難。
悪く言えば地味。
教室にいても、いつの間にか背景に溶け込んでしまうような、どこにでもいる普通の男子生徒。
それが、立花颯太だった。
だからこそ、周囲は納得できない。
「颯ちゃん。お昼、一緒に食べよ?」
教室の扉が開き、明るい声が響いた瞬間、空気が変わった。
男子達の視線が一斉に入口へ向く。
そこに立っていたのは、黄昏谷高校の誰もが知る少女――三陸真奈。
艶やかな黒髪。
整った顔立ち。
胸元で小さく揺れる、月を模した銀色のアクセサリー。
そして、誰にでも向けられる柔らかな笑み。
成績優秀。
運動万能。
容姿端麗。
他校からも告白されるほどの人気を誇り、『学園のアイドル』と呼ばれる存在。
そんな彼女が、一ヶ月前。
何の取り柄もない平凡な男子生徒、立花颯太の告白を受け入れた。
以来、颯太の日常は一変した。
「ま、真奈ちゃん……。毎日うちの教室まで来なくても……」
「どうして?」
真奈は不思議そうに首を傾げる。
「だって、私は颯ちゃんの彼女なんだから」
当然のように放たれたその一言で、教室の空気がさらにざわついた。
突き刺さるような視線が、颯太の背中に集まる。
颯太は乾いた笑みを浮かべた。
(……本当に護身術とか習った方がいいかもしれない)
そんなことを考えていると、真奈がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば颯ちゃん。今度の土曜って空いてる?」
「え?」
思わぬ言葉に、颯太は目を丸くする。
「空いてるけど……」
「じゃあ、デートしよっか」
さらりと言われたその一言で、颯太の思考が止まった。
「…………え?」
「だから、デート」
真奈はくすっと笑う。
「ほら、付き合ってもう一ヶ月なのに、ちゃんと二人でお出かけしたことなかったでしょ?」
颯太の顔が一気に熱くなる。
「い、いや、でも、その……!」
「嫌だった?」
「嫌なわけないよ!?」
慌てて否定すると、真奈は満足そうに微笑んだ。
「ふふっ。じゃあ決まりだね」
◇
土曜日。
駅前は休日らしく、多くの人で賑わっていた。
待ち合わせ場所の時計台前で、颯太は落ち着かない様子でスマホを確認する。
約束の時間までは、まだ十分ある。
それなのに、さっきから何度も画面を見てしまう。
(やばい……デートって何話せばいいんだ……)
緊張で胃が痛い。
前日の夜、ネットで「初デート 会話」「彼女 喜ぶ 場所」「デート 失敗しない方法」などと検索した。
だが、調べれば調べるほど不安になるだけだった。
(そもそも、真奈ちゃん相手に普通のデートでいいのかな……?)
相手は黄昏谷高校の学園のアイドル。
引く手あまたな彼女が、普通のデートを気に入ってくれるのだろうか。
何度考えても、現実感がなかった。
「お待たせ、颯ちゃん」
待ち人の声が聞こえた。
振り返った瞬間、颯太は息を呑む。
黒を基調としたワンピース。
肩にかかる艶やかな黒髪。
胸元で小さく揺れる、月を模した赤と黒のアクセサリー。
学校とは違う私服姿の真奈は、思わず見惚れてしまうほど可愛かった。
「ど、どうかな?」
少し照れたように尋ねられ、颯太は数秒遅れて我に返る。
「……すごく、似合ってる」
それしか言えなかった。
けれど真奈は、嬉しそうに目元を緩める。
「えへへ、ありがと」
その笑顔だけで、颯太の心臓は簡単に跳ね上がった。
「じゃあ、行こっか」
「う、うん」
二人は並んで歩き始めた。
雑貨屋を覗いたり、ゲームセンターへ入ったり、話題のスイーツ店に並んだり。
どれも特別な場所ではない。
けれど、颯太にとっては何もかもが新鮮だった。
「颯ちゃん、これ見て。変な顔」
「それ、僕に似てるって言いたいの?」
「ふふっ。ちょっとだけ」
「ちょっとだけなら、まあ……いや、よくないよね?」
くだらない会話をして。
同じものを見て笑って。
隣を歩くたび、手が触れそうになっては離れる。
それだけのことが、颯太には信じられないくらい幸せだった。
(……夢みたいだ)
憧れていた人とデートしている。
少し前までの自分なら、絶対に信じなかっただろう。
「ねえ颯ちゃん、あれ見て」
真奈が指差した先には、駅前の大型モニターがあった。
そこには、最近オープンしたばかりのショッピングモール――『シーサイドミストラル』の宣伝映像が流れている。
「あ、あそこ気になってたんだよね」
「へぇ、そうなの?」
「うん。トロピカルシェイクが人気らしいんだけど、まだ時間があるし、これから行ってみるのもいいね」
「トロピカルシェイク……」
真奈は一瞬だけ考えるように目を細めた。
「そういえば、ホロ……知り合いも、美味しいって言ってたかも」
「ホロ?」
「あっ、ううん。こっちの話」
真奈は慌てたように笑って誤魔化す。
颯太は少しだけ首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
「じゃあ、そんなに遠くないし、行ってみようか」
「分かった。バスの時間、調べるよ」
そう言って、颯太がスマホを取り出そうとした時だった。
「うわっ、と。悪い、ぶつかっちまった。ごめんな兄ちゃん」
「い、いえ。こちらこそ、すみません」
手元に気を取られていた颯太は、歩いてきたカップルの男性とぶつかってしまう。
相手も会話に夢中で前をよく見ていなかったらしく、二人は互いに頭を下げた。
「大丈夫、颯ちゃん?」
「大丈夫だよ。軽くぶつかっただけだし……って」
颯太は足元に何かが落ちていることに気づいた。
黒い長財布だった。
「もしかして……これってさっきの人のじゃ」
颯太は財布を拾い上げ、先ほどのカップルが向かった人混みへ目を向ける。
だが、すでに二人の姿は見えなくなっていた。
「まだ遠くまでは行ってないよね」
颯太は長財布を握りしめ、カップルが向かった方角へ小走りに駆け出す。
「ごめんだけど真奈ちゃん。この財布をさっきの人たちに渡してくるから、そこのベンチで待ってて!」
「え、颯ちゃん?」
真奈の返事を待たず、颯太は人混みの中へ入っていった。
その背中を見送った真奈は、呆れたように肩を竦める。
けれど、その表情はどこか嬉しそうだった。
「まったく、颯ちゃんは……」
真奈は小さく笑う。
「あの時から、変わってないね」
それは、懐かしむような声だった。
「まあ、そこが気に入ったんだけど」
柔らかく微笑むと、真奈は颯太を追おうとする。
「待ってよ颯ちゃん。私も一緒に――――」
その瞬間。真奈の足が止まった。
「……っ」
空気が、わずかに震えた。
人混みの喧騒。
駅前のアナウンス。
大型モニターから流れる軽快な宣伝音。
その全ての奥で、真奈だけが別の気配を感じ取っていた。
「……今のは」
真奈の表情が先ほどまでの少女の顔から、別の何かに変わった。
「ゲートが開いた魔力の動き……まさか」
その瞳が、鋭く細められ、別の方角へと駆けて行く。
◇
カップルを追いかけた颯太は、数分後、奇跡的に二人と再会することができた。
「あ、あの! すみません!」
声をかけると、振り返った男性が不思議そうに首を傾げる。
「ん? さっきの兄ちゃん?」
「これ、落としてませんか?」
颯太が長財布を差し出す。
男性は一瞬きょとんとした後、慌てて自分のポケットを探った。
「うわっ、マジだ! 俺の財布!」
彼女の方も目を丸くする。
「ちょっと、気づいてなかったの?」
「いや、全然……」
「もう、しっかりしてよね。この人が拾ってくれなかったらどうしてたの」
彼女に怒られ、男性は肩を落とした。
颯太は苦笑しながら財布を手渡す。
「見つかってよかったです」
「本当にありがとうな、兄ちゃん。助かったよ」
男性は長財布を開き、中から千円札を取り出した。
「拾ってくれたお礼……って言いたいところだけど、一割はちょっと厳しいからさ。これで飲み物かお菓子でも買ってくれ。彼女さんとのデート中だったのに、悪かったな」
差し出された千円札に、颯太は慌てて首を横に振った。
「いえ、お礼とかは大丈夫です」
「でもよ……」
「本当に大丈夫です。そういうつもりで拾ったわけじゃないので」
颯太は軽く頭を下げる。
「それじゃあ、デート楽しんでください」
このままだと押し問答になりそうだったので、颯太は少し強引に話を切り上げた。
背後で男性の「本当にありがとな!」という声が聞こえる。
颯太は手を振って応えながら、人混みの中を引き返した。
「お礼を貰わないのも、逆に失礼だったかな……」
そんなことを考えながら、颯太は先ほどの場所へ戻る。
だが。
「あれ?」
ベンチの周辺に、真奈の姿はなかった。
「真奈ちゃん……?」
周囲を見渡すが、どこにもいない。
その時、スマホが震えた。
真奈からのメッセージだった。
『急用ができたから先に帰るね。今度、ちゃんと埋め合わせするから』
短い文章だけが添えられていた。
「……急用?」
さっきまで、あんなに楽しそうにしていたのに。
仕方がない。
急用なら、颯太が引き止めることではない。
「……真奈ちゃん、あんな置いていき方するかな。相当焦ってたのか」
寂しさより先に、違和感があった。
真奈なら、帰るにしても直接一言くらい声をかけてくれる気がした。
それでも一応、メッセージは届いている。
颯太は小さく息を吐いた。
「……帰るか」
そう呟いて歩き出そうとした時、視界の端で何かが光った。
「あれ……?」
人混みに踏まれそうな場所に、小さなアクセサリーが落ちていた。
颯太はそれを拾い上げる。
月を模した、赤と黒の銀飾り。
さっきまで、真奈の胸元で揺れていたものだ。
「これって、真奈ちゃんの……?」
中央には、見覚えのない紋章が刻まれている。
ただの模様にしては妙に細かく、なぜか目を離しにくい。
指先に触れた瞬間、ほんのりと熱が伝わってきた。
「……?」
アクセサリーが、熱い。
日差しに温められたにしては、不自然だった。
気のせいかと思った次の瞬間。
刻まれた紋章が、かすかに赤く光った。
「何だ、これ……」
ただのアクセサリーではないと、そんな気がした。
けれど、人の持ち物を勝手に詮索するのは失礼だ。
それよりも、早く本人に返さなければならない。
「大事な物だよね、これ。学校でもデートでもつけてたし」
颯太はスマホを取り出し、真奈に電話をかける。
だが、呼び出し音が続くだけで繋がらない。
「……出ないか」
今度はメッセージを送る。
『真奈ちゃん、アクセサリー落としてたよ。まだ近くにいるなら届ける』
送信してから、颯太は周囲を見渡した。
「まさか一日に二回も落とし物を拾うなんてね……」
少しだけ苦笑する。
その先の人混みを、颯太は見つめる。
「まだ近くにいればいいけど」
そう呟くと、颯太は赤と黒のアクセサリーを握りしめた。
そして、人混みの向こうへ駆け出した。




