第8話 触れない、近づかない、もどかしい距離
「もういいよ。ありがとう」
「これくらい、別に慣れたよ。いいっていつも礼言わなくて」
兵舎の居室でリンが着替え終わって、ジニアへと声をかけた。
背を向けていたジニアが、それを合図に振り向いた。
「はー。今からでも、女に戻る気はないのか?」
「ないよ。理由、話したでしょ」
「まぁ、俺が同室の間は良いけどさぁ」
もう何度目になるのか、ジニアがリンに問いかけた。リンはベッドに座り、脱いだ服を広げて畳んでいる。
ジニアのぼやきが、純粋にリンを思ってのことで、思わず笑みがこぼれた。
男装して志願すると決めた時、これ程他愛のない会話を交わせるとは、リンは思っていなかったのだ。
「まさか、三年も一緒とは思わなかったな」
「おい、リン。それは俺の台詞だろ」
あれから三年。志願兵として、ひたすらに下積みを重ねる期間だった。
十五歳の今、リンの身体は少し女らしくなった。普段はサラシを巻くことで隠している。
小柄なのも、四肢が細いのも、これ以上の成長は望めなさそうだ。
幸か不幸か死に戻る前より、胸は貧相で隠しやすい。
髪は灰色が混ざって、くすんだ空色へと変わった。
――カメリアの面影は、もうないな。
一方、ジニアは男らしさに磨きがかかり、無駄のない筋肉美をしている。
顔が整っているのもあり、街への巡回警備の時には、女性に話しかけられることもあった。
目立たない茶髪に、スラリとした長身。図体がでかく暑苦しいタイプではないのがまた、リンにとっての理想を体現していて、少し腹が立つ。
「ああ、ジニアが従騎士になるのが?」
「俺としては、お前が先に従騎士になったのが意外だよ……」
せめてもの意趣返しとしたリンの軽口に、ジニアが、心底不服そうに息をついていた。
リンは、腕っぷしは並み以下だが、持ち前の教養を買われて、少し前に志願兵から従騎士へ昇格した。
その後、ジニアが追いかけるようにして、従騎士に昇格した。剣の腕前が良かったのだ。
「ごめん、ごめん。ホント、気にしなくていいのに、いつもありがとう」
「……リンはもう少し、異性を、俺を男として認識した方がいい」
ギシッと、リンのベッドに両手を置いて、眉根を寄せたジニアが、リンを間近にじっと見つめる。
息が触れるか触れないか、近づいた距離に、リンはパッと離れた。
「ジニアはカッコいいし、モテると思うよ? こんな半端者に、構うことないって」
リンは一切動揺することなく、素っ気なく返した。思い出したのは前世、断罪を下した元婚約者の王子。
『魔女が国を裏切ったぞ! 将来の国母を殺めんとしたその所業、許しかだい。捕らえろ!』
脳裏に甦ったのは、見知らぬ女を肩に抱いた王子。あの時リンは突き飛ばされ、地面へと押し倒され捕まった。
――色欲に溺れるなんて、最低。
胸筋とは別と、誤魔化せなくなってきてから、着替えなどで、リンは人目を忍ぶようになった。
それに気づいたジニアが、さりげなくフォローをしてくれるようになって二年になる。
あの王子とは、雲泥の差だった。
「あー、あった。はい、ジニア。従騎士昇格おめでとう」
リンは着替えをなおすついでに、紙袋を取り出す。それをジニアの顔へと、思いっきり押しつけた。
「……リン」
「中身は、奮発した甘味だよ。疲れた時に食べたらいいよ」
ジニアは何か言いたげだったが、紙袋は受け取ってくれた。
「……ありがと」
ジニアは反対の自分のベッドに腰掛け、紙袋の中身を確認していた。
――仲良くし過ぎは、ね。これくらいでいいの。
リンは、このままでは頑張っても、従騎士止まり。
ジニアはおそらく機会があれば、正騎士になれるかもしれない。
順当に進んでも、お互いに交わることのない道だった。
そしてリンには目的があった。もし本当に、この国が宣戦布告するつもりなら――。
ミレット王国で伯爵令嬢だったリンは、不味い存在だろう。
性別がバレた時も含め、ジニアを巻き込みたくない。
今が一番リンにとって、ジニアとはいい距離感だと思っていた。




