第26話 懐かしい名を呼ばれて
「がぁ!」
そっと開けた扉、こちらを振り返る男の顔面に飛び込んで、リンは容赦なく拳を叩き込んだ。
子どもたちには、少し離れてついてくるようにリンは伝えた。
鍵のかかった扉以外を全て開けて周り、人がいれば即座に制圧を繰り返す。
体格と力で劣るリンが取れる戦法として唯一の、先手必勝だった。
「はぁ……はぁ……」
滴る汗を、リンは腕で軽く拭う。拳は赤く染まり、自分の血なのか相手の血なのか、もう分からない。
手の痺れは、鎖を巻きなおすことでやり過ごした。
二つ目の階段を上ったところで、初めて窓を見つけた。
「外だ!」
「――っ、だめ!」
三人の子どもが前に飛び出したのを、リンはとっさに庇う。
「外れ。残念、諦観」
「っ!」
「お仕置き」
バチッと爆ぜる音がして、立て続けにジュッと、何かが焼ける臭いがする。
背中に怪我を負ったのだと、リンは歯を食いしばって痛みに耐えた。
目の前で起きた突然の出来事に、固まる子どもたち。
彼らを階段へと逃がすように突き落とし、リンはそのまま目の前の二人のフードへと走った。
――お仕置きだって? 加減してくれて!
うち一人のさっき聞いた特徴的な声は、捕まる前にリンを昏倒させた相手だ。その背格好は、自分より僅かに大きい。
その普通ではない様子に同情はしても、リンは加減するつもりがない。
――悪く思わないで。
魔法使いではあっても、専門的な訓練を受けているようには見えない彼ら。
次発が来ないことに発動のラグが大きいと、リンは距離を詰めて確信する。
「――!」
捕らえられた借りを返すように左の一人に向けて、リンは姿勢を低くして、長い鎖を鞭のように振るった。腕を出して庇ったフードに、リンはさらに地に手をつき、足を高く蹴り上げると、そのまま脳天にかかと落としを決めた。
勢いのまま立ち上がり、リンは跳躍し、火球を放つ右のもう一人の方――目の前に迫った火球は、腕を交差させることでやり過ごし――を押し倒した。
フードの後頭部を床に打ち付けた派手な音が辺りに響き、辺りに静寂が訪れた。
「はぁ、はぁ……はぁ」
皮膚が焼けただれた腕を見て、リンは肩で息をする。心臓が、バクバクとうるさい。
窓から見える景色は、一階に辿り着いたことをリンに教えてくれた。
――煙?
森が燃えているのか、緑に赤が混ざり、空には白煙が上っている。
「――かはっ」
不意にリンの気道が塞がって、その場に膝をついた。
枷に手を掛けるも、首の皮膚を裂くだけでびくともしない。
「困るんですよねぇ! 内も外も好き放題されると。ビジネスが成り立たないでしょうが」
コツコツと階段の音が響き、子どもたちの悲鳴が上がる。
近づいてきた足音に、嫌悪を滲ませた声が被さった。
リンはそれでも息をつめ、現れた男を冷静に睨んだ。男の手に、なにか握られている。
「若い血は、美容を追求するご婦人方に需要があるんですよ? 魔女の血肉は、長寿の秘薬扱いで。なのに貴女は、何をしてくれてんです?」
――ゲスが。
声に出せない分、リンは胸のうちで毒ついた。
身なりの良い男に、今世の面識はない。けれど、その声にはどこか聞き覚えもあった。
こみ上げる憎悪は、かつてのカメリアの心からか。
――外も、と言った。
リンは目をスッと細めた。心臓が少しでも凪ぐように胸に手を当てる。
リンの命を握ってるだろう男。勝つ必要はない、狙うのは同士討ち。
男から見れば、膝をついてリンが苦痛に悶えているよう見えるだろう。
俯いた口許に笑みを浮かべ、リンは重心の位置を冷静に変えていく。
男がリンの命を奪うのが先か、リンが男を絞め殺すのが先か。
――地面に男の頭を叩きつけ、昏倒させるだけでもいい。
リンが踏み込むために足に力を入れたその時――。
バリッ。バキッ。
建物全体を揺るがすような振動が起こり、目の前の男が体勢を崩す。
リンの背後の壁が、爆発音と共に吹き飛んだ。
飛び散る瓦礫と一緒に男は吹き飛び、爆風に煽られリンもその場に倒れる。傷の痛みに、その顔をしかめた。
「っ! ……ああ。――っリア!」
射し込む光と周囲に立ち込めた煙の中から、駆け寄った長身の体躯が、倒れたリンを抱き起こした。息をつめ悲痛な声が、リンのかつての愛称を呼んだ――。




