鴟梟《しきょう》商会
「貴族というのは、メンツを気にするものです」
そう前置きしてから、エリオ君は言った。
「僕の家は、少し特殊ですが……それでも、僕の独断で、ユウ兄様や皆さんに家名を明かすことはできません」
一瞬、間を置いて。
「ただ」
と、エリオ君は続けた。
「偽名は使っていません。
ことが落ち着いて、もし気になるようでしたら……
調べてみてください。僕のことを」
それはエリオ君なりの誠意の言葉だった。
正直なところ、このまますぐアウターヴァルに入りたい、というのが本音だった。
けれど。
「何も分からぬまま、蛇の巣に手を入れるのは、大変危険でございます」
リシアが、静かに言う。
情報もなく、何が潜んでいるのかも分からない穴蔵に、手を突っ込むのは――
確かに、賢い選択とは言えなかった。
「なら、明日はアウターヴェルで聞き込みだな」
ユノが言った。
もっとも、何日も時間をかけて聞き込んだところで、実情までは掴めないだろう。
結局、明日
* 昼のうちは、保養地アウターヴェルで情報を集め
* 日が落ちてから、アウターヴァルへ向かう
という方針で落ち着いた。
「それで、いいか? ボウズ」
ユノの問いかけに、エリオ君ははっきりと頷いた。
そして、少し姿勢を正して言う。
「ユノ姉様、リシア様。
まずは護衛、ありがとうございます
こんな得体の知れない僕に付き合っていただいて……
感謝しかありません」
ユノが、少し驚いたような顔をした。
「……俺の知ってる貴族様とは、だいぶ違うな」
そう言って、くっと笑う。
こんなふうに、あっさりと頭を下げる貴族を、ユノはあまり知らないらしい。
大抵は、横柄で、いけ好かない連中だそうだ。
……それはそれで、ユノが高圧的に煽っているからじゃないか、という気もするけれど。
そんな話をしている横で、カイルが、なぜか落ち着きなく視線を泳がせていた。
それに気づいて、エリオ君が、はっとする。
「ごめん、カイル君。
君も、ありがとう。頼りにしているよ」
慌ててそう言うけれど、どうやら、カイルが気にしていたのは、そこではなかったらしい。
「……俺だけ、“君”なんだ」
少し肩を落として、なんだかがっかりした様子で呟いた。
***
翌朝から、僕たちはアウターヴェルで聞き込みを始めた。
ユノはというと、昨日はだいぶ遅くまで飲んでいたらしく、まだベッドから起きてきていない。
前までは、「ちょっとだらしないな」と思っていた。
けれど最近になって、お酒の場があまり得意ではない僕たちの代わりに、夜の酒場で聞き込みや情報収集をしてくれているのだろう、ということに気づいた。
……本人に言えば、きっと否定するだろうけれど。
アウターヴェルには、多くの猟師が暮らしていた。
狩りで得た肉を加工する施設。
革製品を扱う店。
魔物素材を専門に扱う加工所。
そうした店が街のあちこちに並び、品質も良いため、アウターヴェルの特産品になっているのだと
エリオ君が教えてくれた。
「この街だけで満足して、そのまま帰る人も、もちろんいます」
実際、酒場もあれば、小さな賭場もある。
浴場も、春を売る店も、揃っている。
ここだけ見れば、ごく普通の保養地だ。
……ただ。
「それだけで終わる人は、稀なのです」
エリオ君は、静かに言った。
「人の欲望には、暇がありませんから」
***
賭場で大勝ちすれば、もっと欲が出る。
負ければ、もっと大きな博打で取り戻したくなる。
金が入れば、派手な店に行きたくなる。
金が尽きれば、憂さ晴らしもしたくなる。
もっと過激なものを。
もっと刺激を。
そうして、人は
アウターヴァルを目指す。
そこには――
それらを満たして、なお余るほどのものがあるからだ。
***
半日の聞き込みで分かったのは、この街の「表の顔」だけだった。
核心に触れる話は、誰もしてくれない。
宿に戻ると、ちょうど眠そうな顔をしたユノが起き出してきた。
「で、聞き込みの成果は?」
と聞かれたので、街の様子を簡単に話す。
代わりに、ユノは昨夜、酒場で聞いた噂話を教えてくれた。
セイレン領には、アウターヴェル以外にも、もう一つ、大きな町がある。
領主はそちらに住んでいて、アウターヴェル自体は代理の管理官に任せているらしい。
「何かあっても、知らぬ存ぜぬで通せるからだろうな」
そう、酒場で会った酔っぱらいが言っていたそうだ。
管理官の名は、レオンハルト・グラーフ。
良くも悪くも凡庸な人物で、これといった問題も起こさず、この歪な街を管理してきた男だという。
そして。
アウターヴァルを、実質的に支配している人物の名も、ユノは口にした。
オイレ・ナハト・シュライバー。
大きな娼館、カジノ、社交場をいくつも経営する老人。
シュライバー商会の商会長として、この街に君臨しているらしい。
「で、そのシュライバー商会だが……」
ユノは、少し声を落とした。
「別名を、鴟梟商会って呼ばれてるそうだ」




