幼い依頼人
翌朝、日が昇る前に、僕らは宿を出た。
向かったのは、昨日確認した東大通りの東端。
通りはまだ静まり返っている。
人影もまばらで、空気が少し冷たい。
たしかに――
一本だけ、ガス灯が灯っていなかった。
そして、その下に小さな人影があった。
目深にフードを被り、口元もマスクで隠している。
体格は細く、肩も狭い。
(……一人?)
従者くらいは連れていると思っていたが、周囲にそれらしい気配はない。
僕たちが近づくと、フードの人物が先に口を開いた。
「お前たちが、星屑の願いか?」
その声は――
思っていたより、ずいぶんと若い。
「ああ。そうだ」
ユノが短く答える。
「……あんたが依頼主か?」
「いかにも」
フードの人物が頷いた。
声はやはり若い。
まだ声変わりもしていないのでは、と思うほどだ。
ユノは一歩だけ前に出る。
「セイレン領までの片道護衛。
条件は、聞いている通りで間違いないな」
フードの人物は、迷いなく頷いた。
それを確認してから、ユノは後ろに停めてある馬車を指し示す。
「じゃあ、乗れ。
移動手段はこれだ」
フードの人物は、一瞬だけ馬車を見上げ――
小さく、息を呑んだように見えた。
だが、すぐに何も言わず、
僕たちの後について歩き出した。
***
馬車が走り出す。
東大通りの街灯が、一つ、また一つと後ろへ流れていく。
やがて、朝日が昇り始めた。
馬車の中は、静かだった。
フードの人物は、向かいの座席に腰を下ろし、膝の上で両手を組んでいる。
視線は落としたまま。
こちらを窺う様子もない。
馬車が街を離れてしばらく、重たい沈黙が続いていた。
車輪の音と、馬の足音だけが規則正しく響く。
「……」
「……一人で来たんだ」
沈黙を破ったのは、カイルだった。
「貴族ってさ、一人で出歩くもんなの?
それにセイレンって、大人の遊び場でしょ?
ずいぶん若そうだけど」
フードの人物は、少しだけ首を傾ける。
「詮索はしない、という約束だったはずだ」
静かな声だった。
責める調子ではないが、線ははっきり引いている。
ユノが、ちらりとこちらを見る。
リシアは何も言わず、フードの人物を一度だけ見てから、また視線を窓の外へ戻した。
カイルが一瞬、口を閉じる。
だが、すぐに言い直す。
「いや、別にそんなつもりじゃなくてさ。
危なくないのかなって、ちょっと気になっただけ」
そう言って、僕に同意を求める。
確かに、依頼主の素性そのものには興味はない。
だが、思っていたよりもずいぶん若く、心配になったのも事実だった。
これから向かうセイレン領の保養地は、なんというか……。
子供が行くには、少し――いや、かなり気になる場所だ。
こちらの世界の貴族はこんなものだ、と言われても、やっぱり引っかかる。
「セイレン領の保養地について、僕たちはあまり詳しくないから……その、少し気になって」
我ながら、ひどく曖昧な言い方だ。
その沈黙に、リシアがわずかに首を傾けた。
「詮索とは、身分・目的・事情を掘り下げる行為を指します」
淡々とした声。
「これから向かう地の情報を共有することは、護衛契約上、合理的かつ必要な確認事項です」
フードの人物が、こちらを見る。
「……契約違反ではない、と?」
「はい」
リシアは即答した。
「依頼書には、“世間話をしてはならない”とは書かれておりません」
カイルは感心した様子でリシアを見ていた。
「……なるほど」
フードの人物は、小さく息を吐く。
「確かに。
こちらの言葉の選び方が、曖昧だった」
その声音には、納得と、わずかな動揺が混じっているように感じられた。
ユノが、視線を前に向けたまま言う。
「俺たちは、セイレン領について詳しくない。
どういうところかだけでも分かれば助かる」
フードの人物は、少し考えてから、ゆっくりと答えた。
「……表向きは、保養地です」
保養地。
その言葉に、ユノの眉がわずかに動く。
「ただし」
続く言葉は、慎重だった。
「今は、あまり人に勧められる場所ではありません」
それ以上は語らない。
だが、言葉を選んでいるのは分かる。
「十分だ」
ユノが短く言った。
それで、この話題はいったん終わった。
馬車は揺れながら、
静かにセイレン領へ向かって進んでいく。
フードの人物は、再び視線を落とし、黙ったまま外を見ていた。
その沈黙は、拒絶ではなく、こちらに自分を悟らせないための沈黙に見えた。




