規格外の馬車
準備を整え、僕らはついにローレンを目指すことになった。
不安な気持ちもある。
不謹慎かもしれないけれど、新しい街に、新しい国に向かうと思うと、僕はどうしてもドキドキしてしまっていた。
考えてみれば、国境を越えるのは、この世界に来てから初めてのことだ。
リサが別れてから、馬車の御者席にはリシアが座っている。
……というか。
リサが借りてくれた馬車は、リベル・オルムで返してきた。
今乗っているこの馬車は、文字通り――
リシアがアイテムボックスから出したものだった。
これには、さすがのユノも目を丸くしていた。
「普通、生き物――
しかも、こんなデカい馬二頭なんて、
アイテムボックスには入らねーぞ」
それに対してリシアは、なんでもないことのように答える。
「本物の馬ではございません。
作り物です」
確かに、鎧を着た馬に見える。
だが、よく見れば――
それは“作られたもの”だった。
「それはそれで、普通じゃないよね」
と、カイルはもう慣れた様子で言う。
クランを結成した、あの晩からだろうか。
リシアの雰囲気は、少しだけ柔らかくなった。
リサやユノの前では、あまり手の内を見せなかったリシアが、今は――
僕と二人で旅していた頃のように、いろいろなものを見せてくれるようになったのだ。
手綱を引くリシアの隣に座り、僕はふと聞いてみる。
「リシアは、ローレン王国って行ったことあるの?」
静謐の森にずっといたことは知っている。
けれど、風の祠もあるし、買い物くらいは行っていたかもしれない。
「行ったことはありませんが、知識としては、ある程度」
そう言って、リシアは説明を始めた。
「ローレン王国は、大陸西部に位置する、法・学術・貴族制度を基盤とした秩序国家でございます。
王政国家ですが、専制ではなく、実権は『法』と『貴族評議会』に握られております。
理念は『人は理性と制度によって獣性を抑えられる』
北側に位置するイグナシア帝国とは、小国が多数存在する緩衝地帯を挟んで、対立状態にあり――」
まだまだ、続きそうだった。
僕は思わず、
「ストップ、ストップ!!」
と叫んだ。
僕がしたかったのは、リシアとの世間話であって、
リサのテキストの復習ではない。
「……もう、よろしいのですか?」
リシアは、こてんと首を傾げる。
「うん。
大丈夫。ありがとう」
そう答えると、リシアは納得したのか、
それともしていないのか――
とりあえず手綱を握り直した。
そこで、僕はふと思う。
そういえば。
この馬車、リシアの魔術で動いているなら――
手綱を握る意味って、あるのだろうか。
気になって、聞いてみた。
リシアは、表情一つ変えずに答えた。
「雰囲気でございます」
***
国境の検問所は、思っていたよりもずっと静かだった。
高い城壁や、ずらりと並ぶ槍兵を想像していたけれど、実際にあったのは、石造りの関所と、几帳面に整えられた詰め所だけだ。
「冒険者の方ですね」
検問兵は、事務的な口調で言った。
冒険者証を差し出すと、一通り目を通して頷く。
「ローレン王国への入国目的は?」
「依頼と、情報収集です」
嘘ではない。
検問兵は、少し考えるように視線を落とし――
そこで、リシアがロザリオを差し出した。
空気が、わずかに変わった。
検問兵は、それを一目見るなり背筋を正す。
「……聖務院の印ですね」
声の調子が、はっきりと変わる。
「巡礼、あるいは教義に基づく行動と理解します」
それ以上、理由は聞かれなかった。
「ローレン王国へようこそ。
滞在中は、王国法をお守りください」
形式ばった一礼。
拍子抜けするほど、あっさりだった。
馬車が動き出してから、ユノがぽつりと呟く。
「思ったより、楽だったな」
「やっぱり、法王さまのロザリオパワーかな?」
カイルの言葉に、リシアは小さく頷く。
けれど――
「ローレンは、法と秩序を重んじます。
感情や疑問よりも、それらが優先されるのです」
つまり――
ロザリオを見せられた時点で、多少の疑問があっても、一介の兵士には口出しできない、ということなのだろう。
それはそれで、なんというか、融通が利かない、というか。
法王さまの魔素が宿った、複雑な紋章や術式が刻まれたロザリオを、そう簡単に複製できるとは思えないけれど。
もし、仮にそれが可能だったとしたら悪人だろうが、誰であろうが、フリーパスになってしまう。
ローレンの「正しさ」は、思っていたよりも、少しだけ危うい気がした。




