暁の盾の片隅で
《暁の盾》第三訓練場。
クランが大きくなれば金も入る。専用ラウンジだの私室だの、派手な“ご褒美”を用意するリーダーも珍しくない。
だが、エルネストは違った。
自分のためには、ほとんど使わない。
増えるのは訓練場で、浴場で、備蓄で――つまり“仲間が生き残る確率”だけだった。
ここも、その一つだ。
先ほどの訓練場とは空気が違う。
床は硬い石で、踏めば音が返る。壁際に傷跡が残り、何度も拭われたはずの鉄の匂いが、わずかに鼻を刺した。
端には細い溝が走っている。……流れた血を洗い流すための溝だ。
ここは、一般的な練習の場じゃない。
私闘や決闘――決着のための場所だった。
冒険者である以上、荒くれ者も多い。揉め事だって起きる。
だが、エルネストはそれを「喧嘩」で終わらせない。
仲間と戦わなければならないほどの怒り。
自分でも制御できないほどの感情。
それがあるなら、矜持を持って決闘にしろ――彼はそう言った。
「エルネストさん……ここって……」
カイルは、この場所が何を意味するのか分かっていた。
分かっているから、喉の奥がひどく乾く。
正直、ここに連れてこられるとは思っていなかった。
エルネストに怒りはない。
なんだかんだで、優しく送り出してくれるんじゃないか――そんな甘えが、どこかにあった。
エルネストの仲間を抜け、ユウたちの仲間になる。
それを、どこかで“都合よく”考えていた。
「多くは語らん」
エルネストは言った。声は低い。いつも通り落ち着いている。
いつも通りだからこそ、逃げ場がない。
「だが、クランとは、パーティーとは、命を預け合うものだ」
一歩、踏み出す。
大剣がわずかに傾いただけで、空気が重くなる。
「抜けることは構わん。だが――相応の覚悟は示せ」
ごくり、と唾を飲む音が、やけに大きく響いた。
振り返ると、状況がまだ飲み込めていないのだろう、ユウが困惑した顔でこちらを見ていた。
ユノは腕を組み、成り行きを静かに見守っている。
リシアも無表情で立っている――ように見える。けれど、ほんの少しだけ、色が揺れた気がした。
カイルは一度、目を閉じた。
『ビビんじゃないわよ、ガキンチョ。自分を信じなさい!』
リサの声が、胸の奥で跳ねた気がした。
目を開く。
目の前の男を見る。
構えは教本通り。
重心、足運び、剣の角度。どれも完璧に“正しい”。
エルネストは剛健で、実直。
戦い方も同じだ。
一回の素振りを繰り返し、それを百回、千回、万回と積み上げ、それでも足りぬと鍛錬を続ける。
――そんな男だ。
だからこそ、近づきがたい。
どう動くかなど分かりきっている。分かっていても、誰も届かない。
喉がひりつく。
「……お願いします」
「遠慮はいらん」
カイルは踏み込んだ。
速くはない。鋭くもない。
だが――重い一撃。
ハルバードが唸りを上げる。
エルネストは真正面から受け止めた。
“受け止めた”だけで、世界が止まる。
足は地面に縫い付けられたみたいに動かない。
怪力のスキルを込めたはずなのに、刃先が一ミリも押し込めない。
「その程度か」
淡々とした声。
言葉と同時に、剣の角度がほんの僅か変わる。
その瞬間、カイルの力が空を切った。
「……っ!」
体勢が崩れる。
――だが、エルネストは追わない。
追わないのを知っている。
知っているからこそ、カイルは利用する。
崩れたように見せかけ、その流れを足に乗せる。
踏み込む。
ユノがよく使う、あの“ずるさ”だ。
エルネストが一つ一つの型を積み重ねる男なら、
ユノは流れそのもの。
使えるものは何でも使う。失敗も、劣勢も、侮りさえも。
今度は、怪力を意識的に使う。
地面が軋んだ。
先ほどとは違う。
速く、鋭く、重い一撃。
――一瞬だけ。
エルネストが目を見開いた。
だが次の瞬間、彼の剣はその力を受け止めていた。
押し合いではない。競り合いでもない。
受け止め、流し、制圧する。
そこにあるのは、圧倒的な“差”だった。
ユノが、小さく口笛を吹く。
ユウが思わず、「……すげえ」と漏らす。
ユノの戦い方は、崩す。
だが、エルネストは違う。
正面から、正しく叩く。
そして――崩れない。
「型は、枷じゃない」
エルネストは言った。息は乱れていない。
「守るための土台だ」
剣を引き、距離を取る。
たったそれだけで、場が整う。
「土台があるから、力は逃げない。焦らない。誤魔化さない」
カイルは肩で息をしながら、言った。
「……だめ、ですかね」
エルネストは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「怪力は才能だ。だが、才能は制御してこそ武器になる」
そして、静かに言葉を重ねる。
「俺には、才能がなかった」
その一言が、妙に重く響いた。
“自慢”でも“卑下”でもない。ただの事実として落ちた。
「だから――教えられた型を、一つも疑わず、一つも疎かにせず、積み上げてきた」
カイルは、深く頭を下げた。
「……」
エルネストは、その姿をまっすぐ見て、頷いた。
「逃げるな。誤魔化すな。積み上げろ」
少し間を置いて、続ける。
「お前は、いい仲間と師匠を見つけた。俺にはできないやり方だ」
カイルの胸の奥が、痛いほど熱くなる。
暁の盾で学んだこと。
これから仲間たちと学ぶこと。
その全部が、きっと――自分の力になる。




