メガネ探し
結果から言うと、全然任せられなかった。
酷かった。
何もないところで転ぶし、目的の棚どころか、同じ場所を何度も行ったり来たりする。
それに、せっかく特別に入れてもらった終末蔵からも、どうやら出てしまっている気がする。
挙げ句の果てに、イグナさんは僕を振り返って言った。
「えーと……何を探してるんでしたっけ?」
……いや、それは僕が聞きたい。
イグナさんは、苦笑いを浮かべた。
そして、何かを思い出したというか、思いついたように――
ぱちり、と手を叩く。
「め、めがね。
メガネをなくしちゃってね。
それで、いろいろ見えづらくて!」
言い切った。
メガネさえあれば、こんなことにはならないのだと。
にわかには信じがたいが、確かに“よく見えていなかった”のなら、転んだり、迷ったりするのも……
まあ、納得できなくもない。
いくら新人司書さんとはいえ、仕事場で迷子になるなんて、普通はないだろうし。
こうして、僕は本を探しに来たはずなのに、なぜかイグナさんのメガネを探すことになった。
どれくらい歩き回っただろうか。
大図書館は、さすがというべきか、とにかく広大だった。
二階や三階には行っていない。
事務室を出るときにはかけていた、
――というイグナさんの証言をもとに、
僕たちは一階を中心に探し回った。
一階だけとはいえ、それでも相当な広さがある。
僕らは足が棒になるまで、メガネを探して歩き回った。
このフロアだけなら、イグナさんより遥かに詳しくなったのではないか。
本当にここで落としたのか――
そんな疑念が、僕の中に浮かび始めた頃。
イグナさんは、言った。
「……あ」
ポケットに入ってました、と。
気まずい沈黙が流れた。
責める気はない。
本当に、責める気はないのだけれど――
正直に言えば、これだけ無駄な時間を過ごしてしまったことが、むしろリサたちに対して申し訳なかった。
彼女たちは、今も真剣に深淵の鯨の情報や、有益な資料を集めているはずだ。
なんと言えばいいのか分からない。
けれど、今さらイグナさんを責めたところで、何も始まらないのも確かだった。
僕は、「……あって、良かったです」と、なんとか言葉を絞り出した。
イグナさんの顔が、気まずそうに歪む。
責める気なんて、ほんとうにないんだ。
でも、どうしても言葉がうまく見つからなかった。
それでもイグナさんは、気を取り直すように、そういえば、と切り出した。
「こ、この辺りの本は、とっても面白いんですよ。
まだまだ紙は貴重な地域は多いですけど、
最近は安定して供給できるようになってきましたから。
貴族の子供さん向けに、絵本とか、お話とか……
ね、新しい本がたくさん!」
盛り返そうとしてくれているのは、ありがたい。
でも、ここでさらに絵本を読むわけにもいかない。
かといって、ここで断れば、イグナさんはきっと、もっと落ち込んでしまう。
どう返すべきか迷っていると――
「こ、これなんか!
けっこう人気なんですよ。
悪いゴブリンがね、勇者さまにやっつけられる本。
男の子なんかに人気で……でー」
そこで、
僕の表情に何かを察したのだろう。
「……ごめんなさい」
イグナさんは、しゅんとしてしまった。
誰だって、失敗はある。
僕だって、生前からずっと、
人に迷惑をかけ通しだった。
そんな僕が、誰かを責められるはずがない。
僕は、ふっと息を吐き出した。
「ぜんぜん。
ほんとに、メガネが見つかって良かったです。
今は探し物の途中だから、
ゆっくり本を読むわけにはいかないけど……
また落ち着いたら、読ませてもらいます」
そう言って、
「ありがとう」
僕はイグナさんから本を受け取った。
イグナさんが、ほっとしたように笑う。
そして僕は、
その本のタイトルを見て――
思わず、固まった。
題名は、
『白銀の勇者と鋼のゴブリン』
僕は慌ててページをめくる。
見たこともないほど巨大なゴブリン。
身体は灰色で、鋼鉄のように硬い。
神々に力を与えられた
白銀の鎧と剣を持つ勇者が、
それを打ち倒す。
「……ぼく、これ……知ってる」
その言葉に、
イグナさんは不思議そうに首を傾げた。
「えっと……
読んだことがあるんですか?」
違う。
そうじゃない。
話の方じゃない。
ゴブリンだ。
僕は――
こいつに、会った。
説明するより先に、体が動いていた。
僕は本を抱えたまま、リサのもとへ走った。
リサとリシアは、相変わらず難しい顔で書物を読み耽っている。
声をかけるべきか、一瞬だけ迷った。
前の世界の僕だったら、きっとここで尻込みしていた。
でも――
リサは言っていた。
「何か気づいたら、すぐ言って」って。
文句は言うけど、ちゃんと聞く。
その誠実さも、真剣さも、僕はもう知っている。
だから、言った。
「……リサ。
ちょっと、いいかな。
僕、この本が……気になるんだ」
リサは差し出された本を、ちらりと見て言った。
「……なにこれ」
声は、完全に呆れ声だった。
「絵本?なんでよりにもよって、しかも、最近の絵本なのよ。
ここ、終末蔵よ?
終・末・蔵。
人生で何度も入れるような場所じゃないのよ!?
あんた、分かってる?」
そのまま突き返されるかと思って、
僕は一瞬だけ身構えた。
けれど――
リサは、本を返さなかった。
文句は言う。
でも、絶対に付き合ってくれる。
それが、リサだ。
大丈夫、もう、僕は彼女のことを知っているのだ。
その感じが、本当に姉さんそっくりで、少しだけ懐かしくなった。
ぱらり、と一枚。
次のページ。
さらに、もう一枚。
眉が、ほんのわずかに寄る。
「……ちょっと待って。
なにこれ?」
今度の声は、
さっきとは違っていた。
リサはページをめくりながら言う。
「灰色のゴブリン。
皮膚の硬化。
体格の異常成長。
知能低下――」
挿絵の横に添えられた短い説明文を、
小声でなぞる。
「……あんたたちが、
アーシェル街道で遭遇したゴブリンよね。
これ」
僕は、黙って頷いた。
物語の内容は、
無理やり姿を変えられたゴブリンが人を襲い、最後には、神から力を与えられた白銀の勇者に討伐される話だ。
少し理不尽で、少しだけしこりが残る。
昔話の『浦島太郎』を読んだときのような、そんな感情が、胸に残るような絵本。
リサは、ページの端を見て、ぽつりと呟いた。
「……発行年は五年前」
そして、最初のページへ戻る。
作者名を見た瞬間、
リサの表情が、はっきりと変わった。
「……ヴォルフ・グレイズ。
ローレン王国の作家……」
リシアが、静かに口を挟む。
「……あの商人の、ヴォルフ様でしょうか?」
リサは眉間を押さえ、深く息を吐いた。
「世の中なんて、
最悪の事態ばかりなのよ」
そう言ってから、少しだけ間を置く。
「……あのヴォルフである可能性は、
ゼロじゃないわ。
というか――」
そして、もう一度、絵本の表紙を見る。
円環を、内側から突き破る牙の刻印。
――あの、ヴォルフよ。




