赤い賢者
仲間たちに出発の準備を託し、
リサはオルフェウス神壁を訪れていた。
まとめた変異種についての報告書の提出と、
聖王国図書館への入館許可を得るためだ。
今回の件は、リサにとってある意味、願ったり叶ったりだった。
深淵の鯨のこと、風の祠、ダンジョン、古代遺跡――
これらを、大手を振って調査できる。
リサは以前から確信していた。
あれらは決して、神が作り給うたものではない。
必ず、人の意思が介入している。
深淵の鯨によって滅ぼされた、
超古代魔法文明の痕跡が、
この世界の至る所に溢れているのだから。
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魔導侯爵家と呼ばれるアルカナ家にあっても、
リサは異端だった。
暇さえあれば魔法と魔術の研究に没頭し、
寝物語には魔導書を読みふける。
目についた魔導器はすべて分解し、解析した。
十歳になる前に王国魔法学院へ入学し、
わずか二年で首席卒業。
周囲は妬み、
影では「アルカナ家の力だ」「才能に恵まれただけだ」と囁いた。
飛び級で昇級し、
それまで学年首位だった女生徒から
「私にもあなたほどの家柄と環境があれば」と皮肉を投げられたこともある。
そのときリサは、怒るでも憤るでもなく、
きっぱりと言い返した。
「当然だわ。
私は家柄にも環境にも恵まれた
『アルカナ家の天才』だもの。
でもね――私は、そんなところで終わる気はないの」
恵まれているから努力しなくていい?
高い位置から始まったなら、それ以上を目指す必要はない?
リサにとって、そんな考えはまっぴらだった。
「高いところから始まったからこそ、
私は目指すのよ。
さらなる高みを!」
宮廷魔術師として仕官し、
そしてすぐにウンザリして王国を飛び出した。
こうして
魔導侯爵家出で魔術学院首席、元ローレン王国宮廷魔術師
という、異例の冒険者が生まれたのだ。
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リサが訪れたのは、
聖務院監察局。
内部には、灰色の神官服を着た職員たちが控えている。
報告書はここに提出し、
聞き取りや事実確認はあるだろうが、
その辺りはアルカナ家の名を出して
適当に省略するつもりだった。
灰衣の神官は一般職員。
力関係で言えば、リサのほうがはるかに上だ。
――しかし。
彼女の前に現れたのは、
白い法衣に金の刺繍を施した、最高位の司祭だった。
こうなると、さすがに無視はできない。
無視することも可能だが、
後々の面倒を考えると得策ではない。
導かれるまま、
重厚な応接室へ通される。
執務室ではないことを不思議に思っていると、
穏やかな声がかかった。
「アルカナ家の御息女、リサリエル様でございますね。
遠路遥々、お忍びでのラザリス訪問。
貴女様のその篤き信心、
我々も頭が下がる思いでございます」
――予想外の言葉だった。
リサは一瞬思索し、
そして、すべてを察して頷いた。
「お褒めに預かり、光栄でございます。
ですが、六神様の御心に触れる者として当然の務め。
私はアルカナ家のリサリエルとしてではなく、
ただのリサリエルとして、
お祈りを捧げたくこの地を訪れました
御心遣いには感謝いたしますが、
どうか無用なお気遣いはなさらぬよう」
何と信心深い――
背後の灰衣神官たちから、感嘆の声が漏れた。
当然だ。
王侯貴族にとって信仰とは、
実利のための装置に過ぎない。
派手な寄進、見せつける信心。
それが常だ。
誰にも知られず、
ひとりで聖地巡礼をする物好きなど、
権力者にはほとんどいない。
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「リサリエル様。
貴女の御心は、法王猊下も存じております。
しかしながら、教会へのお力添えを
ぜひ形にしたいとの思し召しでして」
――やはり、そう来たか。
寄付を受け、
それに感銘を受けた法王が贈り物を与える。
お忍びである以上、
教会側も大っぴらにはできない。
金を受け取ったから聖なる品を贈る、
という体裁も取れない。
だからこそ、この形が最も自然だ。
差し出されたのは、
法王の聖印が刻まれたロザリオ。
これが、あれば、法王の力の及ぶ範囲に於いて、ほとんど制限を受けずに行動できる。
(よっしゃ)
心の中で、静かにガッツポーズを決めながら。
「法王猊下の御心、
確かにお受け取り致しました
六神様の加護があらんことを」
そう言って、
リサはお淑やかに跪いたのだった。




