眠れない夜を越えて
緊張の瞬間が終わり、
扉が閉まる音だけが、しばらく部屋に残っていた。
「……すごかったねー……」
カイルが言った呑気な感想。
けれど、それはきっと本音でもあった。
しかしカイルは僕の顔と、
どこか苛立ったように髪をかきあげるリサの顔を交互に見て、
何かに気づいたのか、そこで口をつぐんだ。
気まずい沈黙が落ちる。
やがて、リサが軽く息を吐いた。
「……いろいろと聞きたいことはあるけど。
今日はもう寝ましょ。
考えたいことも、整理したいこともあるし」
言葉自体は淡々としていたが、
その声には疲労と動揺とが少しだけ滲んでいた。
リサは肩の力を抜くようにして、
自分のベッドへと潜り込む。
その“時間をくれる”判断が、僕にはありがたかった。
頭の中が混乱していて、
何をどう言葉にしていいのか分からなかったから。
でも――眠れるわけがない。
考えれば考えるほど、胸がざわついた。
勇者だと言われたことも、深淵の話も、
そして……リシアが向けたあの静かな笑みも。
僕の胸は落ち着きそうになかった。
ユノも無言のままごろりと横になり、
カイルも布団をかぶって小さく丸まる。
部屋の灯りが落とされ、
静かな闇が広がる。
誰も一言も話さなかった。
その夜――
僕たちは、それぞれの思いを抱えたまま、
ただ静かに、床についた。
***
朝の光が部屋に差し込むころ、
僕たちはぼんやりと目を覚ました。
まだ頭は回っていない。
けれど――
昨夜の出来事が夢だったとは、思っていなかった。
本物の法王が来て、
僕を勇者と呼び、
世界の終わりの話をした。
気まずい雰囲気の中、朝食の時間を迎えた。
最初に口を開いたのはカイルだった。
「……ねぇ。あのさ。
ユウさんって……勇者なの?」
確かめるような声。
けれど戸惑いも混じっていた。
それは僕だって同じだ。
僕はゆっくり首を横に振った。
「分からない。
僕は前の世界で死んで……
気づいたら森に倒れていて。
それだけなんだ」
ユノが伸びをしながら答える。
「死んで生まれ変わったって言われてもなー。
まあ……ぶっちゃけ信じられねーな」
もっともだ。
僕だってユノの立場なら信じられない。
実際、僕はこの世界に来てしばらくの間、
これは夢じゃないかとか、
誰かの悪いイタズラじゃないかと疑っていた。
僕はぽつりぽつりと、
生前の僕のこと、
リシアに助けられたことを話した。
話し終えるまで、
みんな黙って聞いてくれていた。
リサは小さくため息をついた。
「……なんで最初からそうって言わなかったのよ、
と責めたいところだけど……
正直、あんたの気持ちも分からなくはないわ」
リサはリサである。
責めるばかりではない、理解も示す。
その優しさと強さが彼女らしかった。
しかし次の瞬間、
その目つきが鋭くなる。
視線の先は――リシア。
「それで、あんたは何なの?
何者なの?」
空気が強張った。
僕の横に座るリシアへ、
全員の視線が集まる。
異世界で死に、
巻き込まれる形で召喚された僕。
そして、その僕を“呼んだ側”に立つリシア。
説明の責任は、明らかにリシアのほうが重い。
リサの立場からすれば当然だ。
リシアは静かに口を開いた。
「……分かりかねます」
その答えに、
リサは眉をひそめ、
カイルは目を丸くし、
ユノはじっと様子を伺う。
だけどリシアは続けた。
ただし、
向けられている視線はリサではなかった。
ユノを、見ていた。
「リシアは、勇者であるユウをこの世界へ召喚し、
導く役割を“与えられた”者にございます。
その旅路の先がどこへ至るのか……
それは、リシア自身にも分かりません」
リサが鋭く問い返す。
「誰に与えられたの?
法王? それとも……もっと別のもの?」
リシアはゆるく首を振った。
「ヴィサーク様の願いでもあります。
けれど……“神の意思”と申し上げたほうが正確でしょう」
リサが息を呑んだ。
「神……って」
リシアは淡々と語った。
自分は銀眼の魔女と呼ばれた者。
異世界から勇者を呼び出し、導く存在
しかし、同時に
神の意思により世界のために、僕たちに害をなす存在にもなる可能性があること。
そして――
最後にそっと目を閉じた。
開かれた銀の瞳が、まっすぐ僕を見た。
胸がぎゅっと痛くなるほどの光だった。
そして、その光はゆっくりとユノへ向けられる。
「……リシアはユウをお守りいたします。
もし、リシアがユウへ害をなす存在となれば――
迷わず、リシアを殺してくださいませ」
息を呑む音が聞こえた。
僕は言葉を失っていた。
リシアの声音は静かで、穏やかで――
そして恐ろしいほど自然に、
自分の命を切り捨てる宣言をした。
バコッ。
真剣な雰囲気にまったく似つかわしくない音が響いた。
リサが立ち上がり、
リシアの頭をぶん殴ったのだ。
「ひっ!!」
カイルが情けない悲鳴を上げ、
ユノは「ほう」と、口角を上げる。
リシアは、ぱちり、と瞬きをしただけだった。
珍しく驚いている?のだろうか?
手を上げて殴られた場所に触れる。
その仕草が妙に静かで、
余計に場の空気がおかしくなる。
リサは声を荒げた。
「私が聞きたいのはそういうことじゃないわ!
まどろっこしい言い方とか、
いるかどうかも分からない神様のご意思とか――
そういうの、わたし、嫌いなのよ!」
そして、リシアを真正面から見据える。
「あんたが何者で、あんた自身がよくわかってないのは良くわかったわ、じゃあ、どうなの、あんたのこと信用していいの?リシア、あなた自身の気持ちを聞いてるのよ!」
その瞳は真剣そのもので、
怒っているというより“正面から向き合う覚悟”の色をしていた。
リシアはいつもの表情を崩さないまま、
触れていた頭から手を下ろし、
小さく、しかしはっきりと頷いた。
「……はい、リシアはユウをそして、皆様を悲しませたくありません」
その言葉は短いけれど、
まっすぐ僕たちに向けられていた。
リサは息を吐き、
勢いよく手を叩いた。
「いい答えよ。
隠し事は誰にだってあるわ。
でも――もう“嘘”はやめなさい」
そしていつもの調子を取り戻した声で言う。
「さあ、ちゃっちゃとご飯食べちゃいなさい!
話し合うことは山ほどあるんだから!」
緊張がゆっくりと溶けていき、
僕たちはようやく息をついた。
重たい朝食だったけれど――
それでも、確かに前へ進めた気がした。




