深夜の訪問
昼前に列に並び始め、
ようやく城門をくぐれたのは夕暮れになってからだった。
ラザリスは、巨大な塔を中心に六つの城壁で区切られた“層状の都市”だ。
まず最外層──第一層・オルフェウス神壁。
ここで入城審査が行われ、武器や魔道具を預けさせられる。
さらに、どの宿に泊まる予定かも提出させられた。
宿屋については強制ではないが、
所在不明の冒険者は、いざ事件が起こった時に“真っ先に疑われる”。
だから申請しておく方が無難らしい。
第二層に入ると、
オルメア神壁。
商人たちの市が開かれ、宿屋や店が整然と並んでいる。
冒険者や旅人が宿泊できる区画は、基本的にここだけで一般の市民もここで暮らしている、
第三層、
フォル・ディアン神壁には、聖騎士団や準騎士団の宿舎、訓練施設。
第四層の
リュミナ神壁には教育機関や図書館があり、
第五層
アストレア神壁からは神官の居住区となっている。
そして最内層──
塔を守る ノワール神壁が広がる。
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「どんだけ待たせりゃ気が済むんだよ……」
ユノが呆れ声をあげる。
「あんた初めてなんだ? 今日なんかマシよ。
聖典の時なんか、一層で丸一日足止めなんて普通みたいよ」
リサはうんざりした顔で言った。
貴族である彼女は、ラザリスを何度か訪れたことがあるようだ。
第一層には簡易宿泊所も整備されており、
王侯貴族はともかく、付き添いの者たちが審査待ちで身動きできなくなることはよくあるらしい。
お役所然とした一層を抜け、
第二層のオルメア神壁へ向かう門に差し掛かった時のことだ。
カイルが不安そうにリサへ尋ねる。
「また……この門抜けるだけで手続きとかないよね?」
「今日はね、ないわ」
その“今日はね”の言い回しが不吉だった。
案の定、リサはさらりと言い添える。
「式典の時とか、大きな祭りの時は普通に壁ごとに検問があるわよ」
「ヒッ……!」
カイルが悲鳴を上げた。
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第二層に入ると、
商業区は一気に明るく、華やいだ雰囲気になった。
さすがリュミナートの首都。
リベル・オルムのように露天商が雑多に並んでいるのではなく、
通りごとに整然と並んだ店が美しい統一感を作っている。
飲食店も、食べ歩き向けの屋台はほとんどなく、
落ち着いたレストランや、高級そうな酒場ばかりだ。
「っていうか……お酒は飲んでいいんだ?」
思わず口にすると、リサが淡々と教えてくれた。
「神官連中は禁欲だとかで飲まないけどね。
でも、豊穣の神様も戦の神様も酒好きよ。
特にフォル・ディアンなんか、火酒のパトロンみたいなものだし」
……なるほど、神によって全然違うらしい。
それにしても、
整った街並みを眺めながら歩くだけで緊張する。
リベル・オルムでは味わわなかった“秩序の圧”が、
この街の空気には確かにあった。
***
ラザリスの夜は静かだった。
昼の喧騒が嘘のように消え、
街の灯りは控えめで、どこか神殿都市らしい厳かさが漂っていた。
リベル・オルムのように酔いどれが歌い歩くわけでもなく、
笑い声が深夜まで響くこともない。
旅人も商人も、十時を過ぎれば皆宿へ戻る。
ラザリスでは深夜の外出は禁止されており、
通りを歩くのは巡回の聖騎士だけなのだ。
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宿の部屋で、僕たちはようやく荷物を降ろし、
疲れ切った体を休めていた。
カイルはベッドに転がって
「生きててよかった……」と半泣きでつぶやき、
ユノは窓際で巡回の聖騎士たちを眺めている。
リサは髪をほどき、寝支度を整えていた。
明日は聖務院へ。
入城審査で尋ねた時には「ここでは処理できない」と言われ、
結局、朝に出直すしかなかった。
皆がそれぞれ眠る準備をしていた、その時だ。
ユノが弾かれたように立ち上がった。
「……誰か来る」
警戒というより、もっと“困惑に近い感覚”をまとっていた。
ほぼ同時に――
コン、コン、コン。
深夜だというのに、静かに扉が叩かれた。
「……えっ、は、はい……!? ちょっと待って!」
カイルが声を裏返しながら扉へ走る。
普段なら不用心だと思っただろうが、
その瞬間は誰も止めなかった。
扉を開けると、ひとりの壮齢の男が立っていた。
整えられた白髪と長い髭。
金を帯びた瞳はひどく落ち着いているのに、
一目見ただけでただ者ではないと分かった。
「──深夜の訪問、失礼する。
法王、ヴィサーク・エルドルである」
その瞬間。
「へ……はへ?」
カイルが変な声を出した。
リサの目が見開かれ、
手に持っていた櫛を床に落とすと同時に跪いた。
しかし動揺が激しく、呼吸が上手く整わない。
「まさか……い、いらっしゃるわけ……っ」
白い法衣。
肩にかけられた淡金色の聖布。
胸元にはこれまで見たどの神官とも格の違う紋章。
老人は静かに微笑んだ。
「重ねて詫びるが、夜分にすまない。
法王ヴィサーク・エルドルだ。どうか、楽にせよ」
リサは溺れるように息を飲み、
さらに深々と頭を下げた。
「ろ、ローレン王国アルカナ家三女、リサリエでございます……!
このような姿でご挨拶を差し上げる無礼、どうかお許しください……!」
その姿を見て、カイルもすべてを悟ったのだろう。
「は!? へあ!? え、え゛っ!?!?」
意味不明な叫びをあげた後、
すごい勢いで壁に張り付き、急に静かになった。
ユノだけは異なる反応を見せていた。
“偉い人が来た”という感じではなく、
法王を名乗るこの男の 存在感そのものに慄いている。
変異種の洞窟狼を見ても笑っていたユノが、だ。
ここまで来れば鈍い僕でも分かる。
この人は、本物の法王だ。
「……なんで大神殿のトップが、こんな所に……」
つぶやく僕の声は震えていた。
僕たちの反応を、法王は柔らかく受け止め、
静かに頭を下げた。
「まずは深く謝罪を。
本来なら、儂が呼びつけた以上、
正式な迎えを差し向けるべきであったが……
こちらにも事情があってな。許してほしい」
法王が、
平民である僕たちへ頭を下げる。
空気が一瞬で張りつめた。
リサは蒼白になり、
カイルは魂が抜けたように固まり、
ユノは険しい顔で息を潜める。
だが彼の声は穏やかで、優しく、
決して威圧的ではなかった。
「どうか楽に。
用があって呼んだのはこちらの方だ。
……お嬢さん、リサリエと言ったか。
そんなにかしこまらずともよい」
そう言いながら、
法王の視線がまっすぐ僕へ向けられた。
「――君がユウだな。
よく来てくれた」
胸が強く撃ち抜かれたような感覚だった。
「そして……」
法王は、
ずっと黙っていたリシアへ静かに視線を移した。
「銀眼の魔女よ、リシアよ。
……彼を、よくここまで導いてくれた」
魔導光炉の光がわずかに揺れる。
リシアは何も答えず、
ただ静かにその言葉を受け止めていた。




