商人ヴォルフ
ラザリスへ続く街道の道端に、人がひとり倒れていた。
倒れているというより、寝ているというか――
いや、どう見ても熟睡していた。
すぐそばには荷車。
布をかけられた雑貨らしき荷物が積まれていて、商人だろうか。
それにしても、こんな場所で護衛もつけずに眠るとは不用心にもほどがある。
見かけた僕とカイルが気にかける一方で、リサは容赦なく言い放った。
「面倒事はごめんよ」
ユノも腕を組む。
「まぁ、あれで襲われても自業自得だな」
確かにその通りだ。
馬車はそのまま荷車の横をゆっくりと通りすぎ――るはずだった。
「……いや、でも……もしかして何かあったとか」
「だよねユウさん!気を失ってるのかもしれないし!」
結局、僕たち二人が飛び出してしまい、
リサは深いため息をつくしかなかった。
「お人好しっていうより、ほんっと馬鹿ね」
***
馬車の後ろに荷車を連結してガラガラと引っぱる。
さっきまで眠っていた、気絶していた?男は
すっかり元気になった顔で僕らを見ていた。
「いやー、聖人っているもんなんですね」
痩躯で、常にニコニコしている人当たりの良い男。
悪い人には見えない。けれど……どこか捉えどころがない。
名をヴォルフ=グレイズと言い、アーシェルから来た商人らしかった。
「追い剥ぎしても良かったんだがな」
ユノが言うと、ヴォルフさんは「ははは、それは困りますねぇ」と軽く笑った。
リサは呆れたように眉をひそめる。
「どうでも良いけど、なんで道のど真ん中で寝るのよ」
「いやー……あれ? なんででしたっけ?倒れたんだったか、寝てたんだったか。
どっちでしょう?」
「私が聞いてるのよ、それを!」
本当に忘れているのか、誤魔化しているのか。
その境界がまるでわからない。
カイルがひそひそと僕にささやく。
「ユウさん、この人……なんかヤバくない?」
「……まぁ、でも悪い人ではなさそう……?」
そう答えながらも。
「それはさておき、こんな美味しいお菓子まで御馳走になっちゃって」
パクパクと無遠慮に、リシアが作ったお菓子を摘むヴォルフをみていると疑問符を付けざるを得ない。
リサとユノの完全に呆れきった視線と、
なにより――リシアの氷すら凍りつかせる冷たい視線を浴びながらも、
ニコニコとクッキーを頬張り続けるのだから、
どんな人かは置いておいて鋼の神経の持ち主であることはまず間違いないだろう。
とうとうカイルの方が「なんか胃が痛たくなってきた」と言い出す始末だった。
「ヴォルフさん、さ……このまま馬車でラザリスまで行くつもり?」
きっと“降りてほしい”という気持ちからの質問だったのだろう。
しかしヴォルフは何を勘違いしたのか、満面の笑みを返してきた。
「ご一緒していいんですか? 本当に良い人たちだなー!」
カイルが固まる。
リサはすかさず睨みつけた。
「なに余計なこと言ってんのよ、ガキンチョ」
とはいえ、リサがあまり怒鳴らないのは、
きっとヴォルフさんのまとう“疲れそうな気配”のせいだろう。
怒ったところで、暖簾に腕押し、糠に釘。
どう反応しても徒労に終わりそうな、そんな雰囲気。
ユノはもう面倒になったらしく、
肩をすくめると馬車の屋根に登って昼寝の続きに戻った。
***
ヴォルフさんはとにかくよく喋った。
故郷のこと。
立ち寄った街のこと。
商売のこと。
ローレン王国の生まれで、
昔は吟遊詩人や、画家や作家を目指していたこと。
でも才能がなくて、すっぱり諦めたこと。
「でも、時々忘れられなくて、小遣い稼ぎに、貴族様に絵本とかね、おまけで付けてあげたりするんですよ」
なぜかすごく嫌がられたりするんですけどね、不気味な本を贈るなって。
不思議ですよねー
ふふっとヴォルフさんは笑う。
正直もう、大分面倒くさかった。
***
「それで、これが私の新しく作った商品で」
延々喋り続けるヴォルフさんが、そう言って、
荷車から何か取り出してくる。
永遠に水を飲む鳥というらしい鳥の置物、牛がずっと頷き続けるだけの置物だとかをみせて。
可愛いでしょうと不気味な?ガラス細工とかも見せてくれる。
それら全部に円を突き破る三角形の印が刻まれている。
なんだこれ?
僕の視線に気がついてヴォルフさんがいった。
「円環を穿つ牙って言うんです」
得意げに、胸を張って。
「膨らみすぎた世界が破裂しないように内側から穴を開ける……世界に娯楽を!
ほら、見てください、カックン、カックン!動くこの水飲み鶏を!!
あなたの疑問にも、悩みにも、コクリコクリ頷いて同意してくれるこの牛を!
ね?すごく良い商品だと思いません!?」
……違う意味で凄い商品だとは思うけれど。
「⋯まあまあ、
いずれこのマークが世界を席巻しますから。
覚えといて損はないですよ?」
カイルが、とうとう耐えきれなくなった。
「もういいから!
ちょっと静かにしてよ!」
ヴォルフさんは肩をすくめて笑った。
「はは、若い若い。
そのうち分かりますって」
僕はその印を、
なんとなく、もう一度だけ見た。
理由は分からない。
ただ、
少しだけ――
胸の奥がざわついた
お喋りなカイルでさえ辟易するほど、延々と話し続け。
そして。
「失敬、失敬。ずっと一人旅だったもので、ついつい話しすぎましたね」
ヴォルフさんがそう言ってようやく黙ったのは、
夕暮れが迫り、そろそろ野宿の準備を……という頃合いになってからだった。
***
焚き火はぱちぱちと音を立て、
ラザリスへ向かう街道の夜は静かだった。
僕たちの食卓ではない、街道の夜だけは静かだったのだ!
当然のように僕たちと夕食を共にしたヴォルフさんは、
荷車のそばでごろりと横になり、
「いやぁ……美味しかったなー。満足です」
と、満腹のお腹をさすっている。
そのどこまでも無遠慮な食べっぷりは、
むしろ清々しいものすらあった。
「明日は早いわよ。さっさと寝なさい」
もう疲れたのだろう。
リサはそう言って寝袋に潜り、
カイルはその横で倒れるように眠った。
ユノはいつものように木にもたれて、
すでに静かな寝息を立てている。
僕は最後まで焚き火のそばに残り、火の番をしていたが、
ふとリシアと視線が合った。
「リシア、眠らないの?」
「……起きておく必要がなくなれば眠ります。
ユウこそ、お早くお休みを」
いつも通りの答え。
けれど、焚き火の光に照らしだされたその横顔は、
どこか遠くを見ているようだった。
ひゅう、と風が吹き抜け、
リシアの銀髪を揺らす。
彼女はその風の先をじっと見つめていた。
闇に紛れて姿の見えない“誰か”を追うように。
僕は声をかけようとしたが、押し黙った
リシアも何も言わない。
ただ焚き火を映す瞳だけが、
静かに、深く揺れていた。
***
鳥の声で、僕は目を覚ました。
リサが寝袋から出て、淡々と髪を整え、
ユノは寝ぼけたまま腕を伸ばし、
カイルは「あー……背中痛ぇ……」と呻く。
いつもの朝だ。
だけれど。
荷車が、ない。
「……あれ?」
周囲を見渡しても、どこにもない。
昨夜、あれほど存在感があった荷車も、
その横で寝ていたはずのヴォルフも、
跡形もなく消えていた。
焚き火の灰だけが、夜の名残として残っている。
「ま、まさか盗まれたとか?!」
カイルが慌てて言い、
リサは首を横に振った。
「誰か来たなら真っ先にユノが気づくわ。
むしろ……アイツ、いつ旅立ったの?」
問いかけられたユノは肩を竦める。
「さあな。気配なかったし、起きた記憶もねぇ」
ラザリスまではここから馬車で半日ほど。
歩きなら、その倍はかかる。
だから早くに出発するのは分からなくもない。
……分からなくもないが、
昨日のヴォルフさんを思うと、どうにも腑に落ちない。
流石に二日連続で僕らに世話になるのは気が引けた――
と考えることもできる。
でも。
どう見ても、そんなタイプには見えなかった。
風が通り抜ける。
昨日とは違う、冷たい朝の風だった。




