誰もが何かを恐れている.2
窓際で僕は一人座っていた。
ユノとリサは別室で休んでいる。
カイルはなんだか幸せそうな夢を見ていた。
どっと疲れが出たせいか、頭が重い。
リサの怒りも、ガゼフのことも、あの巨大洞窟狼のことも……
考えることが多すぎる。
リシアは久方ぶりのお風呂に行っている。
僕は久しぶりに、一人で静かな夜を過ごす。
リベル・オルムは降雨量が多く、東に山脈を抱える。
活火山の影響もあって温泉が豊富で、
町中に公共浴場がいくつもある。
僕にとって……いや、冒険者にとって本当にありがたい町だ。
リベル・オルムを拠点にする冒険者が多いのは自由都市だから――
というのもあるけれど、僕はこの温泉のせいだと睨んでいる。
僕はぼんやりと元の世界に置いてきた家族の事を考えていた。
あれほど嫌っていたガゼフの死でさえ、僕の心に重くのしかかった。
もう少し早く気がつければ、もう少し注意していれば。
僕は万能ではない、全てを思い通りにできないことなど分かっている。
僕の家族はどんな思いで僕の死を見送ったのだろうか。
初めて人の死に間近に触れて、僕はガゼフのことよりもそんなことを考えていた。
彼にも近しい人はいただろう、パーティーの男はひどく落ち込んでいた、それなのに……。
ギッ、と扉が開き、お風呂上がりのリシアが帰ってきた。
いつも真っ白な頬が、ほんのり赤らんでいる。
「湯冷めしないようにね」と僕は笑った。
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僕の隣にそっと立ったリシアは、
しばらく黙って外の景色を眺めてから――
ゆっくりと声を落とした。
「……ユウ。
少し今夜は冷えますね」
言ったあと、
「少し、お時間をよろしいでしょうか?」と尋ねた。
何か話したいことがあるのだろう。
「もちろん。僕も……話したかったし」
リシアは静かに頷き、僕の隣に腰を下ろした。
しばらくの沈黙。
苦しくはなく、ただ静かで、穏やかな時間が流れる。
やがて、リシアがそっと口を開いた。
「……ユウ。朝のリサリエルさまのお叱りの件……
リシアが未熟であったばかりに、ご迷惑をおかけしました」
「あー、リサのこと? 迷惑なんて、そんなことないよ」
僕は苦笑した。
「リサは怒りっぽいけど、悪い奴じゃないし。
それに……リシアが謝る必要なんてないよ」
リシアは小さく瞬きをした。
「ですが、ユウは……リシアのせいで危険な目に遭いました」
僕はその言葉に笑って返した。
「……うん。怖かったよね、あの狼。僕もめっちゃビビったし」
戦いの最中の、あの一瞬。
リシアは震えていたわけじゃない。
でも――何かに怯えているように、迷っているように見えた。
僕は続けた。
「魔法がすごいからって、リシアは何でもできるわけじゃない。
森にずっと一人だったんだし、戦いに慣れてるはずないよね。
だから怖かったなら、それでいいよ。……僕の方こそ、ごめん」
リシアはそっと目を伏せる。
その横顔は、どこか痛むようで、どこか安堵しているようだった。
「……ユウは、優しい方でございますね」
「優しいとかじゃなくて……ただ、考えが足りないだけなんだ」
僕が苦笑すると、リシアは息を飲んだように見えた。
目を大きく見開き、すぐに柔らかな笑みへと戻る。
「……ユウ。
そのお気持ちだけで、リシアは十分でございます」
そして、リシアは静かに続けた。
「それに、ユウ。無理に笑わなくてよいのです。
辛いのなら……
その痛みは、ユウが“優しくあろうとした証”でございます」
リシアは僕に伸ばしかけた手をそっと引っ込めながら。
「リシアは――ユウがどんな想いを抱いても、否定いたしません。
泣きたい夜は泣いてよいのです。
怒りたい時は怒ってよいのです。
ユウがユウであれば、それでよろしいのです」
言った。
窓から吹く夜風がカーテンを揺らす。
「……どうか、ご自身を責めないでくださいませ。
ユウが大切にした人は、きっとユウの優しさを誇りに思っております」
そして少しだけ声を落とし、
「今は、リシアがおります。
ユウが苦しまれるなら、その痛みは――
リシアが幾らでも受け止めます」
その言葉は、無理に慰めるでもなく、痛みを否定するでもなく、
ただ、僕という人間の“存在そのもの”に触れてくれるようだった。
必死に受け止めようとしてくれていた。
夜は深く、静かで――
でも、さっきよりほんの少し温かい。
自分でも不思議なほど軽い声が、自然とこぼれた。
「……ありがとう、リシア」
言ってみて初めて分かった。
言葉にするだけで、こんなにも楽になるなんて。
ガゼフのこと。リサの怒り。リシアの異変。
ぐちゃぐちゃだった頭が、少しだけ整理されていく。
リシアの優しさが、ただ嬉しかった。
リシアは驚いたように瞬きをしたあと、ふわりと微笑んだ、気がした。
「はい。ユウ」
その表情に背中を押されるように、
僕はそっと目を閉じた。
――明日からまた歩ける。
そんな気がした。




