黒い獣と銀眼の魔女
僕とカイルが地べたに倒れ込んだまま、
ようやく息を整えはじめた頃。
ユノは軽く手首を振って、
木刀についた砂を払うと、
ふっと視線を横に向けた。
じっと僕たちを見守っていたリシア――
その姿に、ユノはニヤッと笑った。
「……で? あんたは見てるだけかい?
まさか“口だけ”って訳じゃねぇよな?」
その言葉に、カイルが「ひっ」と小さく震えた。
僕は、思わずリシアの方を見る。
リシアは――
まったく表情を変えないまま、ゆっくりユノへ視線を向けた。
ただ、瞳の奥の温度だけが違った。
いつもの柔らかい光ではなく、
深い湖面が“ゆらり”と揺れるような、
静かで冷たい銀の輝き。
ユノはそれに気づいたのか、
面白そうに眉を上げる。
「おいおい、そんな目で睨むなよ。
ほら、面白くなっちまうじゃないか。
後衛とはいえ戦えるんだろ?」
挑発は完全に悪気がない。
ただの“遊び半分”だ。
だけど――
リシアは一歩、ユノの前に進み出た。
静かな動作なのに、
空気がわずかに変わったのが分かる。
「……ユノア様。
リシアは“見ているだけ”ではございません」
丁寧で、穏やかな口調。
なのに凍りつくような冷たさ。
リシアは続ける。
「動く必要がないだけです」
ユノが吹き出した。
「ははっ、言うじゃねぇか
そんなにいうなら、だったらさ――
ちょっとだけ動いてもらおうかね」
そのまま木刀を肩に担ぎ、
浮かべた笑みは――挑発ではなく、
どこか“本物を見つけた”ときの興奮の色。
リシアはほんの短い沈黙の後、
「承知しました。
とはいえ、リシアが本気でお相手するわけには参りませんので……
軽く、でよろしければ」
ユノは嬉しそうに距離を取った。
「本当に言ってくれるじゃねーか。十分だ。
じゃ、行くぞ?」
リシアは武器を構えない。
ただ、いつもの白い木製の杖を手に持って立っているだけだ。
(え、そんな無防備で大丈夫なの……?)
先程までユノに打ちのめされていた僕からすれば正気の沙汰じゃない。
リシアの強さは知っているが、とはいえ魔術師だ。
ユノが一歩踏み込む。
その一歩で空気が“削れた”ような錯覚がする。
木刀が振りかぶられ――
消えた。
僕の視界からユノが一瞬、消える。
次の瞬間。
カンッ!!
乾いた音とともに、
ユノの木刀が真上に弾かれていた。
弾いたのは、
リシアの杖だった。
(え……え?)
ユノはすぐに体勢を立て直し、
足払いに切り替える。
速い。
僕が目で追えるか怪しい速度。
でも――
ゴツッ!
当然のように、そこにはリシアの杖があった。
そして次の瞬間。
ユノの身体がふわりと横に跳んだ……のではない。
いや違う。
リシアに弾き飛ばされたのだ。
「……はっ!」
ユノの顔は笑っていた。
愉快そうに、獣みたいに。
「おいおい、冗談だろ?
なんだよ、今の」
リシアはゆっくり首を振る。
「魔法ではありません。
ただ、ユノア様の重心が偏ったので――少々利用させていただいただけです」
少々……?
“少々”であんなに人を吹っ飛ばせるの?
ユノは興奮したように息を吐き、
木刀を構え直した。
「なるほど。
あんた、後衛にしとくのは勿体ないな」
リシアの表情は変わらない。
「大丈夫です。
リシアは戦士ではなく魔術師ですので、体術は不得意です」
ユノはそれに大笑いし、
木刀をくるりと回した。
「いやー、楽しかった。
これ以上やると、本気で殺り合いたくなっちまう」
ユノが木刀を下げると、
リシアも丁寧に一礼した。
「お相手ありがとうございました、ユノア様」
けれどその銀の瞳は、
まだほんのり怒っているようにも見えた。
ユノが僕の方へ振り返る。
「ユウ。
あんたの連れ、思ったより“とんでもねぇ”な」
僕は苦笑するしかなかった。
(うん。僕も最近そう思う……)
その時、朝の風がそっと吹いた。
リシアの銀髪が揺れた拍子に、
ほんの一瞬だけ――
ユノとリシアの視線が、
静かに交差した。
その空気は、
戦いというより“警戒”に近いものだった。
僕だけが、
意味が分からないままその間に立っていた。




