恐怖の夜と救いの手
巨大な化け物とドラゴンの群れを目にして、僕はようやく――いや、遅すぎたのかもしれないけれど――事態の異常さに気づいた。
ここはもう、僕の知っている世界じゃない。
足が震えて、呼吸が浅くなって、何も考えられなくなった。
気づいたら、森へと逃げ込んでいた。
とにかく走った。
走って、走って、走って。
何度も転んで、手も膝も擦りむいて、服なんか泥だらけになって。
それでも走った。
あれに見つかったら、死ぬ。
本能がそう叫んでいた。
夜になって、森はさらに暗くなった。
暗い、というより、何も見えない。
あまりの静けさに、心臓の音がやけに大きく聞こえる。
森だって安全とは限らない。
いや、むしろ安全じゃない気がしてくる。
僕は大きな木の根元に洞を見つけ、そこに潜り込んだ。
膝を抱えて蹲って、息を殺した。
なるべく小さく、目立たないように。
「なぜ? なんで……どうして……」
頭の中は疑問と恐怖でいっぱいだった。
眠れるわけもなく、僕はそのまま一睡もできずに朝を迎えた。
それが僕の異世界一日目だった。
***
朝になっても、僕は穴から出られなかった。
体は痛いし、頭は働かないし、喉はひどく渇いていた。
でも、穴から出たら何かに襲われる気がして、どうしても動けなかった。
しばらくして、ようやく覚悟を決めて外へ這い出した。
森の中は、相変わらず静かだ。
静かすぎる。
生き物の気配が、一切ない。
昨日も思ったけど、これは本当に異様だ。
僕は水を探した。
川とか、小さな小川とか、どこかにあるだろうと思った。
けれど、どこを探しても見つからない。
ただ同じ森が続くだけで、地形もほとんど変わらない。
歩き続けると足がガクガクして、頭痛がしてくる。
何か飲まないと、本当に危ない。
木の葉をかじってみたけど、口の中が乾くだけだった。
木の実のようなものも探したけど、どこにもない。
空腹でお腹が鳴る。
でも、何もない。
何も食べられない。
おかしい。
森なのに、森じゃないみたいだ。
ここで生きていくなんて無理だ。
今日になって、そのことを思い知らされた。
日が落ちる頃、僕はまた同じ木の洞に戻った。
戻るしかなかった。
夜に動いたら死ぬ気がした。
***
三日目。
朝日で目を開けた時、頭がぼんやりしていた。
喉は焼けるように乾いていて、唇は割れていた。
このままじゃ死ぬ。
森にいても死ぬ。
でも平原に出ても、一昨日みたいな化け物に遭うかもしれない。
だけど、どっちにしても、選ばないと死ぬ。
ふらつく足で、僕は平原の方へ向かった。
木々の間から見える光が眩しい。
夕暮れ時、平原になんとかたどり着く。
迷わずに来れたのは奇跡みたいなものだった。
病弱なままの僕だったら、とっくに死んでたろうな……なんて、ぼんやり考える。
昨日見た化け物はいない……ように見える。
あそこに行くのは怖い。
怖いけど、森で干からびるよりはまだましだ。
僕は草原に足を踏み出そうとした。
その瞬間――
腕を掴まれた。
強くではない。
でも確実で、逃げられない力で。
心臓が止まるかと思った。
化け物に食われる――本気でそう思った。
けれど。
「え……?」
誰かに引き寄せられ、倒れそうな身体は、明らかに“人の手”によって支えられた。
耳元に、柔らかく、それでいて震えを含んだ声が落ちた。
「……ようやく、見つけました」
その声には、安堵と焦りが入り混じっていた。
長い間探していて、ようやく辿り着いたような声だった。
ゆっくり振り返る。
銀色の瞳。
淡い光を宿した銀の髪。
白い衣――異様な、けれどどこか神聖さをまとった少女がいた。
ここがどこで、彼女が誰なのか、何も分からない。
けれど、彼女はまるで当然のように、迷いなく言った。
「危ないところでした。勇者さま」
誰?――そして、勇者?
その“なぜ”を聞く前に、少女はそっと僕の手を握った。
「もう大丈夫です。ここから先は……リシアが導きます」
銀眼の少女は、そう告げて微笑んだ。
感情の希薄な表情とは裏腹に、その瞳はひどく不安そうで、まるで泣きそうだった。




