静かな視線
「第三層突破を記念して、かんぱーい!!」
カイルの声と共に、麦酒の入ったジョッキがぶつかり合った。
迷宮から無事に帰還した僕たちは、
久しぶりのリベル・オルムの街で、祝勝会を開いていた。
初アタックとしては大成功だったのではないだろうか。
素材もたくさん集まり、
カイルは僕たちに借りていたお金を返して、
それでもお釣りが出るほどだった。
彼の晴れやかな顔を見ていると、それだけで嬉しくなる。
最後に倒した石冠の大守衛の魔核は割れてしまったが、
ああする以外の勝ち筋は今の僕たちにはなかった。
仕方のないことだ。
話をしている間に、
ソーセージ、骨付き肉、ベリーパイ……
ご馳走がテーブルを埋めていく。
まるでクリスマス会か誕生日会のようで、
思わず胸がワクワクした。
さて、食事を始めよう――
そう思った矢先だった。
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「三階層突破だってよ!」
聞き覚えのある、
だが今は最も聞きたくない声だった。
「古環の地下水宮か? まさか風見の迷宮なんて言わねーよな!?」
取り巻きの笑い声が酒場中に広がる。
僕は思い出した。
(ええと、なんて言ったっけ……ガル……ガゼル?)
カイルの顔から一気に元気が消える。
そうだ。ガゼフだ。
ゴブリン騒動のとき散々絡んできて、
ユノに追い返され、尻尾を巻いて逃げたあの男。
下品で感じの悪い、あのガゼフだ。
あのガゼフパーティが、運悪く酒場にいたのだった。
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「ひよっこどもはピクニックの大成功にご満悦ってか?
俺たちもピクニックに行ってきたところでよ。
まあ俺たちのピクニックは――蒼鉱の坑洞の六層だけどな!」
周囲がざわつく。
「マジかよ、蒼鉱の六層……?」
「すげえ……でも、あいつらならあり得るか……」
蒼鉱の坑洞は風見の迷宮より高難度のダンジョン。
性格は最低だが、腕前は確かに本物なのだろう。
……だから何だ、という話だが。
僕が口を開こうとした、そのタイミングで――
酒場の扉が開き、ユノが入ってくるのが見えた。
その姿に、僕の言葉が喉の奥で止まる。
そして――
思いもよらぬ人物が口を開いた。
リシアだ。
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「冒険者とは」
その静かな声に、なにかしら口汚く僕たちのことを笑いものにしていたガゼフも仲間たちも思わず口を閉ざした。
リシアは上品な仕草で口元を拭い、続ける。
「地道な一歩を積み重ねる者であると、リシアは理解しております。
後続が歩んだ小さな一歩を称賛こそすれ、
笑いものにする者が“冒険者足り得るか”と問われれば――
答えは否でございましょう。」
酒場が、しんと静まり返った。
リシアの銀の双眸が、まっすぐガゼフを捉える。
ユノの静寂とは違う、もっと深く冷たい沈黙。
「お話相手なら足りております。
もし“会話相手”が必要でしたら――」
リシアはゆっくりと周囲を見渡し、
そして店の中央に立つ大きな柱を指した。
「あちらにちょうど良い柱がございます。
そちらに話しかけられては?」
リシアがいつものようにコテンと首を傾げる。
その瞬間、ガゼフがわなわなと震えた。
周囲から、小さな笑いが漏れた。
「て、てめぇ……」
ガゼフが怒鳴ろうと身を乗り出した、その時。
酒場に響いたのは、
腹を抱えて笑うユノの爆笑だった。
涙を浮かべ、机を叩きながら笑っている。
その光景に、ガゼフの拳は宙で止まったまま動かなくなる。
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笑い終えたユノは、
ガゼフの肩を力強く叩きながら言った。
「よぉ先輩。
ここで手を上げたら、それこそ小物だぜ?
どうするよ」
どう収めるつもりなのか、
楽しそうに、挑発とも取れる声音で。
ガゼフは舌打ちする。
「……クソどもが」
そう吐き捨てると、
店主に代金を払い、
「やつらに麦酒を人数分……このクソアマには水だ」
と言い残し、
仲間を連れて酒場を出ていった。
店内はどっと盛り上がり、
称賛と笑いが飛び交う。
ただ一人――
リシアだけが、静かにユノを見つめていた。




