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ギルドの片隅で

遡ること数時間前。

ユウたちを酒場に先に行かせて、カイルはギルドの総合受付へ向かった。

街道で見かけた“渡り”の報告をするためだ。


ユウたちを先に行かせたのは、

――彼らには嫌な思いをさせたくなかったから。


ギルドに報告しないという選択肢もあった。

けれど、あれだけ異常な個体を“見過ごす”ことが、カイルにはできなかった。


「アーシェル街道で“渡り”みたいな巨大ゴブリンを見たんだ。今日はその報告に」


受付嬢は顔を上げる前に言った。


「はいはい、“渡り”ですね。今のところそんな報告は受けてませんよ、安心して」


「い、いやそうじゃなくて!

 ヤバい渡りがいたから、その報告を俺がしに来たんだよ。三メートル以上あって、棍棒振り回してて、森狼フォレストウルフの群れを簡単に蹴散らしてたんだ!」


カイルは至極真面目に報告しているのに、

横から冒険者たちの笑い声が飛んできた。


「三メートルもある渡りだとよ!」

「しかもアーシェル街道にだとよ!」


こうなることは分かっていた。

“おかしい”ということは何よりもカイル自身が分かっているのだから。

だからこそ、“報告しなければ”と思ったのだ。


「ちげーよ、本当に渡りがいたんだって!!」


受付嬢も困ったように視線を逸らした。


「カイルさん、あなたの“前歴”が……ね……

 信じたくても、実績がないですし……せめて証明するものでもあればよいのですが」


良くも悪くもカイルは有名だった、受付嬢が名を知っているくらいには。

カイルは歯を食いしばる。


「依頼を出したいのなら依頼受付でお願いします。

 でも、特殊個体の渡りゴブリンの捜索と討伐ともなれば、かなりの予算が必要になりますよ?

 そのサイズならゴブリンロードに進化していて、かなり大きな群れになっているでしょうし」


受付嬢の言葉に、カイルはすぐに反論する。


「いや、ゴブリン自体はもうやっつけたんだ! 群れはいなかったし!」


カイルが言うと、しばしの沈黙の後、

ひときわ大きな笑いが起こった。


「えっと……じゃあ、素材の納品かしら? それだったら納品受付の方に」


「いや、素材は全部燃えちゃってさ……」


困惑する受付嬢と、

カイルが喋るたび腹を抱える冒険者たち。


――これでは埒があかない。


「も、もういいって!

 俺は渡りの様子がおかしかったから、それを報告したくて来ただけなんだ!」


「それは……どうもありがとう」


指をさして腹を抱える冒険者たちを背に、

カイルはギルドを後にした。


一応の報告はしたが、ここまで信じてもらえないとなると、

報告した意味があったのか、と弱気になる。

けれど――それでも放っておくことはカイルにはできなかった。


それより何より、

(ユウさんたちに先に行っててもらってよかった)

と、心の底から思った。


――なのに。


待ち合わせの酒場でユウたちと合流したあと、

よりにもよって、ギルドでカイルの話を聞いていた冒険者たちと鉢合わせてしまった。


相手は《くろがねの爪》という大型クランに所属する中級冒険者、ガゼフのパーティだ。


ガゼフの暴言を、なんとかカイルは堪えていた。

だがリシアのことを言われて、ユウの纏う空気が変わったのを、カイルは感じた。


クラン同士、冒険者同士の揉め事はギルドではご法度だ。

下手をすれば《暁の盾》にも迷惑をかけかねない。


身から出た錆。

自分が言えた義理ではないことも、痛いほど分かっている。


「ユウさん……ごめん」


かろうじて吐き出した言葉を、

ユウは分かってくれたのか、

その場をあとにしようとしてくれた。


――正にその時だった。


「最近の冒険者の間じゃ、後輩いじめが流行ってんのか?」


その声が響いたのは。


皆が声のした方を見た。


そこに立っていたのは――


長い黒髪に長身、鋭い目つきの女。

細い腰に斧とショートソードを吊るし、

使い込まれた革の鎧に、よく履き込んだブーツ。


カイルは知っていた。

ユノア・ヴェル=エルミナ。

通称ユノ。

“黒い狂犬”と呼ばれる冒険者。


ガゼフの顔色が、すっと引きつる。


---


ユノはゆっくりと歩み寄り、

ユウたちのそばに立った。


「じゃあ最近の流行りに乗っかって、

 俺も“いじめてもらおう”かねぇ……なあ、先輩?」


声は低く、しかし妙に朗らかだった。


「お手柔らかに頼むぜ?

 じゃないと……ほら、な?」


そう言って、

ユノは腰から“使い古された片手斧”を抜き取った。


酒場がざわめく。

斧を振るうのかと思った――が、違った。


ユノはその斧を、

まるで宝物を扱うように、極めて丁寧に、静かに――


テーブルの上へ、ただ置いた。


コン……


小さな音なのに、

酒場じゅうが静まりかえったせいか、妙に響いた。


武器を手放した。

揉め事を避ける、正しい行動。


だが、喉笛に噛みつくことを狙っているような、殺気を孕んだユノの目が。

むしろその行動によって“恐怖”を煽っていた。


---


ガゼフの喉がひくつく。


「……い、いや、ユノ。

 おまえ、なんでここに……」



「酒場に俺がいちゃいけないか?

 で、どうする先輩。俺と一杯やってくか?」


ガゼフは白旗を上げるように手を振る。


「わ、分かった、分かった。そう殺気立つなよ……

 興が冷めた。俺たちは行かせてもらう」


ガゼフが退散し、そのまま逃げるように取り巻きたちが去っていく。


ユウはぽかんとし、

リシアは運ばれてきたパンを小さくちぎって口に運んでいた。


ユノは肩をすくめ、

斧を持ち上げながら言った。


「やれやれ。

 最近の先輩は付き合いが悪いね」


まるで何もなかったかのように。


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