確かな拒絶
トイレから戻るころには、僕もカイルも魂が半分抜けていた。
宿屋の主人は「冒険者は大変だねぇ」と笑っていたけれど、
僕らが大変なのは冒険ではなく――主に角兎と昼食のキノコだ。
部屋の扉を閉めると同時に、リシアが静かに近づいてくる。
「ユウ、こちらに」
真っ白い指先が、僕の手首をそっと取った。
そのまま簡素なベッドに座らされ、
彼女は僕の腕に手をかざす。
淡い光が、じん、と皮膚に染み込む。
「浄化術、治癒術を併用いたします」
いつもの無表情なのに、どこか“心配”の色が混じっていた。
見る見るうちに、腕の擦り傷が塞がり、
胃のむかつきもふっと軽くなる。
僕は感嘆の声を上げた。
「……すごい。ありがとう、リシア」
光が消えると、リシアは微かに目を細めた。
それは、ほんの少しだけ嬉しそうな、柔らかな影。
ふと、さっきのことを思い出す。
「そうだ……カイルも結構ボロボロだったけど。
リシア、カイルも治してあげられないかな?」
なんとなくわかる。リシアは特殊だ。
冒険者ギルドの冒険者たちは皆、傷だらけで、
カイルに教えてもらった貨幣価値から考えても、街で見たポーションはとても高価だった。
だから、人前でこんな高度な治癒術を使うべきではないのだろう――
そこまでは僕にも予想がつく。
だけど、カイルを部屋に招けば治癒できるはずだ。
そう思って尋ねたのに、
リシアはゆっくりと、けれどしっかりと首を横に振った。
「ユウが傷つくのであれば、リシアは何千回、何万回でも魔法を使います。
けれど、他のものに使う魔力は、持ち合わせておりません」
聞き慣れた丁寧な言葉。
なのに、どこか硬くて、冷たい。
いつもの“薄いけど優しげな”リシアの面影が、その瞬間だけ感じられなくて、
僕は思わず息を呑んだ。
「いや、でも……カイルを部屋に呼べば、誰にも見られないし――」
「ユウ」
食い下がる僕の言葉を遮るように、リシアの声が落ちる。
静かで、揺らがなくて、真っすぐで。
そこには、はっきりとした拒絶の意思があった。
困惑して押し黙る僕に、
リシアは一度目を伏せて、少し考えるような仕草をしてから視線を上げた。
「それに……カイル様ご自身がおっしゃっていましたよね?
簡単に人を信じるべきではない、と。
昨日知り合ったばかりの方に、手の内をさらすのは、得策とは言えません」
今の表情は、いつものリシアだった。
優しげで、落ち着いていて――だからこそ、さっきの無表情が胸に残る。
(……僕より年下なのに、色々知ってて、いいやつで……
なんか、うっかり信用しちゃってたから……)
でも言われてみれば、確かに不用心だ。
リシアは怒っているのかもしれない。
実際、ギルドの受付でも注意されたじゃないか。
隙を見せれば食い物にされる、と。
ましてや治癒の力は僕の力でも何でもない。
それを、出会って間もないよく知らない人に使えなんて――
世間知らずも甚だしい。
「……リシア、ごめん」
そう言うと、リシアは首を横に振った。
「お気になさらないでください。
リシアは、ユウがそうお考えになったことが……少し、嬉しくもありますから」
その言葉は、申し訳なさそうで、
でもどこか安心した気配も混じっていた。
僕は少しだけほっとした。




