1話 再会とお茶の水橋
初投稿です。これだけ続きありそうな感じなのにこれからの展開なんも考えてないってマジ?
「御茶ノ水、御茶ノ水、ご乗車ありがとうございます」
アナウンスと共に電車から大勢の人々が一斉に吐き出される。彼らは朝から既に疲労困憊の様子で、みな一様に階段を目指して歩いている。線路の先には、今日も相変わらずドブ川と工事現場のクレーンが見える。
人の流れに流されるように、御茶ノ水橋口とかいうふざけた名前の改札を通り、御茶ノ水駅とかいうふざけた名前の駅を出る。その後ドブ川の谷にかかる橋を渡り、左へ右へ、少し歩けばキャンパスに着く。本当は乗り換えて地下鉄の駅で降りた方が近いんだけど、たかが一駅分のために金を無駄遣いするわけにはいかない。
私、瀧チアキは、秋学期最初の講義を受けるべく大学に向かっている。その講義の名前は……
確か「地理学ナントカ」だったっけ。
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まあどうでもいいや。必修の直前にある講義なら何でもいい、受験のときに地理を勉強したおかげで楽そうだったから選んだだけだし。まあ、またあの超しょうもない暗記ゲーに付き合わされんのはダルいけど。講義中はツイッター見て、んで試験の時は過去問見ればいいだけ。教授が問題使い回してるらしいから楽勝楽勝。
……だいたい、地理学って何の学問なんだよ。受験のときはさんざん世界中の地名覚えさせやがって。作物の出荷量に石炭石油の産出量。挙句の果てには国ごとの発電方法の違いって。確かフランスだと原子力がどうのこうのとか言ってたっけ?全部ネットで調べれば出てくるってのに。まあ調べれば出てくる程度の内容なら、講義を聞かずとも試験に臨めるしいいのか。
__でも、そんなもののために、たかが単位を取るためだけに時間を使うだなんて。
講義は100分ほどある。もし講義がなければ、その100分を、私はどうやって使っただろう。遊び?バイト?それとも、……。
__いや、特にやりたいことなんてない。時間をどのように消費するかなんて興味がない。それをもったいないとも思わないし、焦りも生じない。大学入学から今までずっとそんな調子で、「人生の夏休み」とか言われる大学生活を棒に振って生きている(もっとも、私のカリキュラムじゃ単位を取るだけでもまあまあ忙しいんだけど)。
ともかく、私は自分の意思もなく、この猶予期間を流されるままに過ごしているだけだ。
そんな思索を頭に巡らせ、少し憂鬱な気分に酔いしれていたら、いつの間にか教室の目の前まで来ていた。
歴史ある我が大学は、その歴史性にすがって未来を見据えず、よって建物を改築することすら忘れてしまったのか、要はボロい。扉を開けると軋音が鳴った。教室は150人程度が入れるデカい箱のようで、よく高校生が想像する、前方にステージと教卓があって、それを囲うように座席が配置されたコンサートホールのようなものではなく、高校の教室を、座席部分だけずらーっと後ろに伸ばしただけのものだ。さて、そんな教室で私はどの席に座るか。当然、一番後ろである。そこは、教室の明かりもよく届かないような薄暗い席だった。ここなら、教授の視線も気にならず、話も入ってこない。
私は教室に入るなり教卓に背を向けて最後列へ一直線に歩く。その時だった。
(……!?)
あの小さい背、丸みを帯びた顔つき、やけに長いさらさらとした黒い髪。あの姿は、
「ハル……?」
そう心の中で発したはずの言葉は、声となってしまったのだろう、呟くなり彼女がこちらへ目を剥いて勢いよく振り返った。
「あれ、チアキさん……っ!?」
げっ。
「チアキさんじゃないですかっ!どうしてここに?」
幡ヶ谷ハル。彼女のリスのように小さく丸まった口から、まごつきながらもかすれた声で驚嘆がこぼれる。……あぁ、やっぱりハルだ。この声色は、その口調は、彼女にしか出せないものだ。というか、
「それはこっちのセリフなんだけど!?この大学に行くなんて聞いてないし!」
「あれ、そうでしたっけ?というかむしろそっちが変わらずここ志望だったのが意外というか……。てっきり私と疎遠な間に心変わりして、陶芸修行の道に……。」
「行くわけないでしょ!てかなんでそう思ったの……。」
「だってチアキさん高校のころいっつもしかめっ面してたし、友達いないし、独り山籠りして芸術に勤しんでる感じが……。」
「私と陶芸家の両方に謝れ!……あ、講義もう始まっちゃう……。じゃ、もう私後ろの席行ってるから。」
「あれ、チ、チアキさん!?一緒に講義受けましょうよぉ……!」
私は眉をひそめながら、そそくさと座るはずだった席へ向かう。最悪……なんでよりにもよってアイツなんかと再会するの……?それにアイツ、めちゃくちゃ嬉しそうに私に話しかけてきて……あの日のこと覚えてないの……!?
__結局、私は彼女のことで頭がいっぱいになって、耳に入った教授の話がすぐにすっぽ抜け、完 璧に聞き損なったのだった。ま、もともと聴くつもりなんてなかったけど。
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やっと講義終わったぁ〜……。こんな100分ぶっ通しで教授の話を聞いてるだけの講義、集中力を切らさずにいられる人間がいるのだろうか。ともかく、アイツに会わないように、さっさと帰って、もう次回からは講義には出ないで、こんな講義、単位落としてもいいから……
「講義楽しかったですね!チアキさん!」
ふと横から割り込んできたのはなんとハルの声。
「ハルいつの間に!?……てか、講義が楽しかったって、まさかちゃんと全部聞いてたってこと……?」
「え、逆にそれが当たり前じゃないんですか?」
「それは、そう……だけど……」
目が泳ぐ。彼女の根っからの真面目さはどうにも眩しすぎて近寄りがたい。
「で、楽しかったって、どこらへんが?」
「それなんだけど、先生の小話がすっごく面白くって!諏訪湖のあたりで時計産業が発達した理由とか、なんで砺波平野で散村が形成されたのかとか……!わたしの知らない知識ばっかりでっ!」
「あぁそう……縁もゆかりも無い場所の話でよくそんなに興奮できるね……。」
「いやぁそれほどでも……まあ、講義自体はイントロダクションって感じだったんだけどね。」
そう早口で話すハルの目は、とてもきらびやかだった。心から興奮して、感動して、それが抑えきれずに、口がぱぁっと開いて溢れ出す。暖かな春の陽だまりのように、喜びが顔にみちる。
今のハルのように、心を動かされること、私にはあっただろうか。好奇心に突き動かされ、感動を揺さぶられること……。
もういい、考えるのはやめよう。私とハルじゃ、何もかも違うんだ。あの時から、ずっと……。
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で、
(なんで一緒に歩いてるんだ……?)
私が歩きだすとハルはやはり私の後を追う。追い払おうにも、下手すると子供みたいに泣きわめきそうな気がして、……それと、思ったよりハルとの溝は深くなってないみたいだし、まあ彼女の話も気にならないことはないし、だから、ちょっとだけ、一緒に話してみてもいいかな〜、とか、決して思ったわけではない、断じて。
「そういえばチアキさん、さっき講義中は話を聞いてなかったって言ってましたけど、それなら何をしてたんですか?」
コイツは煽りとかじゃなく本心からそう尋ねたのだろう。が、それゆえに一層ムカつく。
「何って、インスタとかXとかYouTubeとか……別に教える必要なんてないでしょ」
「えぇっ!?授業、ちゃんと聞かなくていいんですか!?」
「あのねぇ……大学生っていう人種はね、講義なんて真面目に聞くような存在じゃないの!大学生なのに講義をちゃんと受けるなんて、そんなの大学生としての本分の怠慢だよ!!」
「あれ、なんで怒られてるんでしょう、私……。」
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そんなことを話しながら、昼休み中の構内をあてもなくふらつく。
「そうだ、講義のあとめちゃくちゃテンション上がってたけど、結局、ハルって『チリガク』、ってのが好きってことなの?だとしたら、どんなところが?」
純粋に疑問に思って尋ねてみる。ハルにとっては意外な質問だったのか、一瞬言葉を詰まらせると、
「うーん、例えば……近くで『地理学』っぽくて分かりやすいところ、知ってますよ!チアキさんも一緒に行きましょっ!」
そう言うと、ハルは私の右手を掴み駆け出した。
「あっ、ちょっと!?どこ行くつもりなの!?」
私はハルに手を引かれ、正門を出た先、国道を駆け足で進む。その間に目に映った大小様々なビルは、どれもやはり色が沈んでいるように見えた。
そうして訳もわからず連れられた先、そこは、結局行き帰りで通っているいつもの「お茶の水橋」だった。
ハルはその橋の東側の欄干まで私を連れた後、ようやく私の手を離した。そして彼女につられて橋の下を見ると、目に映るのはやはりいつも通りのドブ川だった。直線的に整備された川べり、無造作に生やされた草木、川岸を渡る中央線、そして川の上はずっと工事中だ。
いつも通りの、冷たい景色。今更何の面白みも感じないつまらない景色。なんとなく生気を感じない。目に映る景色すべてに色を感じない。この場所には、物語を感じない。
「よし!ここなら神田川がよく見えますね」
「川って、それがどうかしたの?」
「それでは……ここでクイズ!どうしてここに川が流れてるんでしょうかっ!」
彼女は意気揚々と私に質問を投げかけた。私は彼女とは対照的に、
「……は?どうしてって、流れてるから流れてるんじゃないの?そこに意味なんてないでしょ。」
「ちっちっちっ……これを見てください!」
そういって彼女が得意顔をしながら見せたのは、何やらカラフルな画像。
「これって……?」
「これはですね……地理院地図に『自分で作る色別標高図』と『陰影起伏図』をつけてですね、標高や傾斜がどれぐらいあるのかを示した図になるんですけど……。」
「はぁ……。」
『地理院地図』ぐらいしかよく聞こえなかった。地理院地図なんて、受験のとき以来というか、人生でまた出会うなんて思わなかったけど。ハルは私がきょとんとしているのに気づいたのか、
「えっと……まあ、どこがどれくらい土地の高さが高いかってことです。今私たちがいるのはちょうどこの橋の上、赤い点があるところですね。橋とか崖の上の標高が10mちょっとぐらい、それに対して川……この赤い線が引かれてるものの高さが1.5mぐらい。」
「へぇ、意外と高低差あるのね。」
だからなんだよ、と込み上げた声を喉元で抑える。そもそも、川の高低差が大きいことと、川がどうしてここを流れているかに何の関係が……
……あれ?
「ちょっと待って……これっておかしくない?」
「どうしました?」
「だってこの地図を見る限りここって高台で、だからここを川が通るときは高台を貫く必要があるわけじゃん?でも、高台になってるのはここだけで、周りはここよりずっと低い……普通なら、わざわざここじゃなくてその低いところを流れればいいはずなのに……。
……『どうして』?」
「……!!その言葉を待ってましたっ!実はここ、『人が掘ってできた』んです!」
「えっ、そうだったの?全然そんな風には見えないけど……」
「まあ、掘ってから数百年は経っちゃってますからね……。それまでは日本橋あたりを流れていたんですけど、江戸時代に現在の形になったと言われてますね。工事前は『平川』と呼ばれていたとか」
「で、どうして工事なんてしなきゃいけなかったの」
「それはですね、外堀の構築とか、削った土を利用するためとか、いろいろあるでしょうけど……。やっぱり防災のためなんじゃないでしょうか。昔の川の流れだと、増水したときに江戸城や江戸の街に水が溢れてしまいます。それを防ぐためだったんだと思います。」
「なるほどね……でも、この堀、まあまあ深くない?あとだいぶ広くない?」
「そうなんです。すごく、大変だったでしょうね。当時は重機なんかも当然なかったでしょうし。」
「へぇ……。」
なぜだろうか、浮世絵タッチの半裸の大工だかが、堀を掘っている光景が目に浮かんだ。いや、それを抜きにしても、ついさっきまでここは何の変哲もないただの川だったはずなのに。何の面白みも、物語もないドブ川のはずだったのに。それが今では、この目に映る風景が、少し、ほんの少しだけ、変わって、それも色づいて見える、そんな気がする。
「だいたい、こういうものです、『地』の『理』を究める学問、『地理学』とは。
……まあ、これだけじゃないんですけどね。」
これが、地理学……。
「この川に限らず、この世のだいたいのものは、何か理由があってそこにあるはずなんです。理由なく存在するものはない……。
ところでチアキさん、チアキさんが私と同じこの大学に進学したのは、どうしてなんでしょう?」
「!……。いや……別に。なんとなく就職に有利そうで、なんとなくネームバリューがあるからってだけ……特に何か理由があるってわけじゃ……」
急に面接官のようなことを尋ねられたので言いよどんでしまった。私にとっては酷な質問だった。
「なら!これから作ればいいじゃないですか!その理由を!」
「……は?」
「紹介したい人がいるんです!……来週講義が終わったら、正門前でまた会いましょうね。」
なぜか含みのあるような言い方をされ、私がぼうっとその言葉の意味を考えている間に、彼女は私の目前から消え去ってしまった。
紹介したい人って?来週まで、そのことがずっと頭から離れないんだろうか。私はゆっくりと溜息をつくつもりだったが、今がちょうど昼休みの時間で、早く次の時限までに教室へ行かなければいけないことを思い出すと、慌てて大学のある方向へ踵を返すのだった。




