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一華とペットショップ

作者: 折田高人

 死臭が漂っていた。とうの昔に生気を失ったであろう男達の虚ろな視線が、部屋の一点へと注がれている。

 奇怪な怪物が其処にいた。一見すると猫科の獣。されど、身体の至る所には魚類の特徴が見て取れる。猫眼とも魚眼ともつかない無感情なその瞳が、対峙した少女に向けられていた。

 黒く艶やかな長髪を二つに括った少女の唇が異界の言霊を紡ぐ。

 狭い室内に響き渡る詠唱が終わりを告げる。少女は異形の獣を見据えながら、その小さな拳を突き出した。

 空気が震える音と共に、獣の肢体が力無く吹き飛ぶ。倒れ伏した獣。その瞳は瞬き一つせずに天を見つめ続けていた。


「ふぅ~……」

 冷や汗が頬を伝う。身体から魔力が抜け出ていく異質な感覚。背を伝う悪寒を振り払うよう、龍王院一華は深い息を吐く。

 仰向けになった標的を視界にとらえた一華は、魔術による一撃がしっかり決まった事に満足げな笑みを見せた。

 僅かな静寂を引き裂き、万雷の拍手が一華に向けられる。一様に笑みを浮かべているのは、生ける屍と化した男達。一華が魔術の修行場としている、ここ「湖畔の夢啓示団」の面々だ。

 リーダー格の男のサムズアップに一華も親指で返す。不気味な容姿ではあるものの、根はいい連中である事を一華は短い交流の中で十分に理解していた。

「いや~。良いパンチが入ったっすね、お嬢! このまま世界でも狙うっすか~?」

 ショートカットの少女、獅堂二葉がタオルを渡してくる。冷や汗をタオルで拭いながら、一華は得意げな表情を浮かべた。

「ふっふ~ん! 妃の奴が拳闘界デビューでもするなら考えてもいいのだわ!」

「流石の滋野嬢もボクシングデビューはしなさそうっすね。あっでも、ボクシング部の手伝いをしているのは見たっす。えぐいパンチをサンドバックに叩き込んでたっすよ」

「我がライバルながら本当に節操無い奴なのだわ」

 屍人の一人が持ってきた飲み物を有難く受け取り、喉を潤す一華。葡萄の甘みと渋みが魔力を酷使した身体に染み渡っていく。

「それにしても、相変わらずの不細工な面なのだわ」

 生きているように死んでる団員達が、倒れたままの異形を元の位置に戻している。

 まるで猫と魚を適当に混ぜたようなその巨大なぬいぐるみは、一華もこの堅洲町にてちょくちょく見かけていた。

 名はニャントロ。ダゴン秘密教団の考案したゆるキャラ、ノンモ君の相方である。お魚パーカーを被った少年という形のノンモ君は堅洲ではそれなりに愛されていたのだが、相方のニャントロの方はというと「怖い」「キモい」「精神病みそう」と散々な評価である。

 当然、そのぬいぐるみの売れ行きも絶不調。ノンモ君のぬいぐるみばかりが売れ続ける中、ファンシーショップの主のごとく鎮座するニャントロ人形を、幾つも見てきた一華であった。

 魔術の練習用として、何か標的になるようなものが無いかと団員達に聞いた際にお出しされたのが、一分の一スケールなる誰得なニャントロ人形であった。何でも、商店街の福引で当たったらしく、団員達も持て余していたらしい。

「……闇の力……ここまで使いこなすとは……流石我が主……」

 結構強烈な一撃を受けたにも拘らず、全くもって無傷のニャントロ人形を擦りつつ、陰気な雰囲気を湛えた少女、蔵馬三樹は雇い主の娘である一華を称賛する。その瞳には紛れもない羨望が見て取れた。

「……我が命……指名果たすべく捧げよう……主よ……我にも力を……」

「駄目なのだわ」

「……無慈悲……」

 肩を落とす三樹。中二病真っ盛りのこの侍女にとって、魔術を使えると言うのは紛れもないステータスなのだろう。

 別に一華は侍女に嫌がらせをしている訳ではない。忌々しい没落令嬢の宮辺響が忠告したように、元来人間の肉体は魔術を使うのには向いてないのだ。故に、負担無く魔術を使えるようになるには、肉体が魔力に慣れるよう長く厳しい修業が必要となる。

 まだ魔術を齧って一か月余り。一華は響の言葉を身をもって痛感していた。たった一撃。ぬいぐるみを吹き飛ばす程度の魔術を行使しただけで、数日のインターバルが必要となる。初めて行使した後などは、凄まじい虚脱感から丸一日気絶してしまったものだ。

 それでも、修練無くしては身につかないのは事実であろうが、急いでもメリットはさほどない事を一華達は理解していた。

 人間を止めて魔女になる。それだけで、肉体にかかる魔力の負担は解消する。そして、その目処は既に立っていたのである。

 響と妃を魔女としてスカウトしていた、月光院ガラシャなる魔女。リリスの末裔である彼女の血を受ければ、晴れて魔女になれるのだ。

 日課のように響をストーキングしていたガラシャに対し、一華達は自分を魔女にするように猛アピール。彼女が経営するメイド喫茶の手伝いを行う条件付きで、魔女となる資格を得たのである。

 とはいえ、すぐに魔女になれる訳ではなかった。堅洲町の決まり事で、余程の事がない限り、十八歳を迎えて高校を卒業してからでないと、魔女になるのは認められないらしい。

 魔女化の恩恵を受ければ、肉体に負担をかけずに魔術が使えるようになる。よって、魔術を学ぶならば魔女化した後の方が何かと効率が良い。一華が三樹に対して今すぐ魔術を覚える事に反対しているのも、人間のまま魔術に手を出して下手に肉体を虐める必要はないという、彼女なりの心遣いからであった。

 では何故、当の一華が負担を受けてまで、今現在魔術の修業をしているのかと言うと。

「私には妃よりも先に魔術を学んでマウントをとると言う崇高な目的があるのだわ!」

 至極個人的な見栄のためであった。

 修行の後片付けが終わりかけた頃、部屋に入ってくる男が一人。金髪碧眼の白人男性だ。

 彼の名はジョン・スミス。「湖畔の夢啓示団」の創設者であり、一華の魔術の師であった。

「やあやあ、お嬢さん。今日の研鑽は終わったかな?」

「見ての通りなのだわ。一発撃っただけで魔力切れ。まだまだ先は長いのだわ」

「まあ、魔術ってのはそう簡単には身につかないからねえ……と、そうだった。一華君、この後暇かな?」

「時間は空いているのだわ。何か手伝いでも?」

「いや。ちょっと知り合いに呼ばれてね。面白い物を見せてくれるとかなんとか。何より、彼の店は魔術師としては抑えておくべき場所だからね。折角だし案内しておきたいんだよ」

「ふ~ん?」


 五道商店街は。裏家業に精を出す面々が御用達の鯖江道とは違い、堅洲町の真っ当な住民が利用する活気ある商店街だ。

 辺りを見渡してみても、怪しいローブ姿のカルト信者や怪しい物を売っている露天商などは皆無である。

 そんな健全な商店街にて、一華達が訪れた店。「ラ・メデューズ」と看板が掲げられたそこは、爬虫類専門のペットショップであった。

 店内では色取り取りの蜥蜴や蛇がのんびりと過ごしている。爬虫類の種類や飼い方を詳しく記した自家製の小冊子が無料で配布され、飼いきれなくなった爬虫類を受け入れる準備があるとのチラシも貼ってある。

 売り出されている生体は爬虫類だけのようだが、ペット用品に関しては哺乳類、両生類、魚類向けの物も豊富に用意されていた。

 そのせいか、犬や猫を抱いた客も見える。飼い主の腕の中、興味津々でコーンスネークを眺めている犬の姿に、一華の頬は自然と綻んだ。

「いらっしゃいませ、スミスさん」

 興味深げに店内を見回っていた一華達に、眼鏡をかけた温厚そうな青年が声を掛けてきた。

「やあ、多々良君。店長に呼ばれてきたんだけど……」

「伺ってますよ。どうぞこちらへ……と、そのお嬢様方は?」

「ああ、うちの新入りさんだよ。社会勉強も兼ねて連れてきたんだ」

「そうですか。では、お嬢様方もどうぞ」

 多々良に案内されたのは、店のバックヤードだった。ケージから見知らぬ蛇が鎌首をもたげて一華達を眺めている。

「ここからは自分で行けるよ。有難う多々良君。表側の仕事、頑張ってくれ」

「ええ。それとお嬢様方」

「何なのだわ?」

「店長の姿を見ても、驚かれませんように。魔術を習う身ならば、尚の事」

 そう一言忠告して、多々良は売り場に戻っていった。

「なあスミスさん。ここの店長って魔術師なんすか?」

「まあ、そうだね。魔術師でもあるかな」

「何なんっすか、歯切れの悪い。あの眼鏡のお兄さん、驚くなって言ってたっすけど、そんなに強面なんすか?」

「二葉君、百聞は一見に如かずさ。実際に顔を合わせた方が早いよ」

「焦らすっすね」

「……されど我らが心……屍に対しても動くこと能わず……無用な心配となるだろう……」

 スミスは微妙な笑みを浮かべた。確かに、今の一華達は死体程度では驚かないだろう。何せ、同僚が生ける屍達なのだ。初めて顔合わせした際の阿鼻叫喚は忘れておくとして。


 スミスが案内した一室。扉の前でノックする。

「曾呂君? 僕だよ僕、僕僕」

『……お使いになった番号は現在使用されておりません』

「お~い! オレオレ詐欺じゃないよ! そもそも電話でさえない! 第一、君が呼んだんじゃないか曾呂君!」

『軽い冗談だ。入っていいぞ』

 部屋の中に入ると、細い目をした男が座って出迎えた。机の上には魔法陣が描かれており、清潔かつ無機質な部屋とのミスマッチが甚だしい。近場の椅子には、アライグマやリスなどの毛むくじゃらな獣達が積み重なるように山になっていた。

「よう。待ってたぞ」

 男が笑顔を向けてくる。どことなく、獲物を前にした蛇を思わせる表情だ。確かに多少は不気味であるが、一華達も流石にこの程度の不気味さでは驚きはしない。多々良の忠告は大袈裟なものだったのか。

「って、仕事中? お客さん待たせていいのかい?」

 部屋に居たのは男だけではなかった。大小二匹の黒猫と、少女が一人。少女の腕の中には、赤ん坊が収まっている。

「あれ? 水島さんじゃないっすか」

 二葉達はその少女に見覚えがあった。水島日子。彼女は一華達のクラスメイトである。大人しい性格故か、教室の隅で一人で過ごしている事が多く、一華達もそれ程彼女と交友がある訳ではなかった。

「……変わらぬ日常……すでに浸食されていたか……これほど近くに闇の力の使い手が潜んでいたとは……」

「そうっすね~。ここに来たって事は、水島さんも魔術師って事っすよね?」

「ええと……あの……その……」

 言葉に詰まる日子の手の中、赤ん坊がキャッキャと笑って毛玉の山に手を伸ばしている。

「水島様はこの店のサービスを受けにやって来ただけで、魔術師ではないですよ」

 突如として聞こえる、聞き覚えのある声。この町の守護者、武藤家の魔王である武藤雅のものだった。

 それがどこから聞こえてきたのかと言うと。無数の獣が群がる毛玉の山が、突如として立ち上がる。

 人形のような真白な腕が生え、正面に張り付いていたアライグマを引き剥がすと、そこには無機質な美貌を湛えた雅の顔が覗いていた。

「武藤雅? 何やってるのだわ?」

「動物に集られてるっすねえ」

 少女の様な雅の顔が満足げに微笑んでいる。

「魔力の充電です。蘇生したばかりの使い魔は魔力不足で飢えていますからね。私が発する魔力を直に取り込もうと、こうして頼って来てくれる訳です」

「使い魔?」

「はい。曾呂崎様はファミリア作成の専門家なんでモガモガ」

 話を遮る形でアライグマが再び雅の顔に張り付く。眼を細める毛玉達。ストーブの前を占拠する猫のように、何とも心地良さそうだ。

「魔王殿に紹介された通りだ。俺は曾呂崎柳。表向きはペットショップの店長だが、裏では使い魔の製造販売を行っている」

「君達も魔術を修めて独り立ちするなら、使い魔の一匹は欲しいだろう? 曾呂君の作った使い魔は出来が良い事で有名でね」

「……眷属……闇の眷属……!」

「成程! 一流の魔術師の証ね!」

 使い魔と言う言葉に魅せられる一華と三樹。その一方で、二葉は首をかしげている。

「水島さん、魔術師でもないのに使い魔を貰いに来たんすか?」

「あ……う……はい」

 消え入りそうな声で肯定する日子。

「ぷはっ。水島様には子育ての手助けがいると片喰様から相談を受けまして」

 顔に張り付くアライグマを再び引き離し、雅が事情を説明する。

 日子の腕の中の赤子。何でも、水子の霊らしい。当然、普通の人間にベビーシッターが務まる訳でもなく。日中、日子が学校に通学している間にこの霊の相手をしてくれる使い魔が必要になったとの事だった。

「して、片喰さん。素体はどんな感じかな?」

 曾呂崎の言葉に促されるよう、金色の瞳の大きな黒猫が、毛玉の塊と化している雅の足下を前足で示す。

 許可をとった曾呂崎が、そこにある鞄の中から取り出したのは、白い毛布に包まれた何か。

 毛布を解く。そこに横たわっていたのは猫だった。時が止まったかのごとく、微動だにしない。胸の上下が確認できないところを見るに、亡骸のようだった。

「こりゃ随分と綺麗な仏さんだな。修繕する手間が省けた」

 そう言って、曾呂崎は猫の亡骸を一撫でする。

「その猫、どうするのだわ?」

 一華達が興味津々に覗き込む。余りにも綺麗な死体だったためか、不思議と嫌悪感が湧いてこないようだった。

「当然、使い魔として蘇生させるのさ。君達の事はスミスから聞いているよ、新入りさん。これも勉強だ、じっくり見ていきな……と、その前に」

「のだわ?」

「ちょっとばかし本性を現すんで、驚かないでくれよ?」

 その言葉と共に、曾呂崎の姿が変質していった。体の表面には無数の鱗が生え揃い、瞳は爬虫類そのものに。二股に分かれた舌が口からチロチロと覗く。

 爬虫類と人間のキメラとも言うべき生き物がそこに立っていた。

「のののだわッ?」

「あ……あう……」

 驚いた様子を見せる少女達に、スミスは愉快そうな笑みを浮かべた。

「まあ、驚くよねえ」

「だな。叫び声を上げないだけ優秀だ」

 別段気にした様子もなく目の前の爬虫人と談話するスミスを見て、一華は一早く冷静さを取り戻す。

「蜥蜴人間……なのだわ?」

「蛇人間さ」

「手足があるのだわ?」

「エデンの蛇には手足があったのさ」

 軽口を叩きながらも、蛇人間の曾呂崎はテキパキと準備を進めていく。

「っていうか、魔術使うだけなら人間の姿でもいいんじゃないっすか?」

 そんな二葉の言葉に、曾呂崎は首を横に振る。

「いや、人間の声帯ではうまく扱えない呪文があってな。この姿じゃないといい使い魔が出来ないんだ……と、水島さん?」

「え、あ、はい」

「使い魔の仕様、どうすればいいんだ?」

「え、えーと」

 まだショックから戻り切れていない様子の日子に代わり、緑眼の小さな黒猫が鞄を漁る。

 曾呂崎は小さな黒猫が咥えて持ってきた紙片を手に取ると、仕様を一つ一つ確認していった。

「……なるほどね。追加のオプションは人化できるようにするだけでいいと。それならすぐに終わるな」

 魔法陣の中心に恭しく猫の亡骸を置き、陣の外に新たな術式を書き加えていく。

 準備はそれで終わったらしい。曾呂崎は亡骸に手を触れながら、人の口からは到底発する事の出来ない奇怪な呪文を唱えだした。

 陣が明滅する。それと同時に、追加された術式が輝きだした。文字が剥がれ落ち、亡骸に吸い込まれていく。

 詠唱が止まる。曾呂崎は人息つくと、再び人の姿に戻った。

 トン、トンと亡骸だったモノに指先で合図を送る。冷たくなっていた肉体に、再び命の火が灯った。のそりと身を起こしたその猫は、呼吸を再開する。ゆっくりと胸を上下させながら、部屋の中をキョロキョロと見渡した。

「こちらの都合で起こしてしまって悪かったな、お嬢さん。君を雇いたいって子がいてね。ほら、そこの娘さんだ」

 猫と目が合った日子が、慌てて会釈する。赤子の霊が興味深そうに手を伸ばしていた。

「状況は理解できたようだな。まあ、まずは魔力を補充したほうがいい。頼む、魔王殿」

「承知しました。すみません皆様、少しスペースを開けてくださいね」

 雅の言葉に答えるよう、毛玉達が身を寄せ合う。僅かに開いた空間を認め、蘇ったばかりの猫はその狭い空間に身を滑り込ませた。

 心地良さそうに瞼を閉じる猫を見て、一華は曾呂崎に語り掛けた。

「使い魔って、ここで買えるのだわ?」

「早速、使い魔が欲しくなったか?」

「それはもう。だって、魔術師と言ったら使い魔ってイメージなのだわ!」

「買ってくれるなら有り難い……と言いたいがな」

「のだわ?」

「悪いな。品切れ中だ。使えそうな死体の在庫がない」

「そこのアライグマとか、一匹くらい貰えないんすか?」

「そいつらは既に予約済みだ。最近新しい魔術組織が旗揚げされるらしくてな。そこから使い魔の大量発注があったんだ」

「あらら。残念っすね、お嬢」

「別にいいのだわ。アライグマじゃ魔術師っぽくないのだわ」

「そうか。リクエストがあるなら取っておくぞ?」

「猫! 猫がいいのだわ! それも黒猫! それ以外は譲れないのだわ!」

「了解した……って魔王殿、どうした?」

 一華の言葉を聞いて雅は微かに困ったような表情を浮かべていた。

「猫を使い魔にするのは、結構難しいかもしれませんね……それも、毛色まで指定するとなると猶更」

「どうしてなのだわ?」

「片喰様が来てから、堅洲の猫達がにわかに力をつけはじめまして。どうにも生き残るための術を教授しているらしく。このままでは寿命を通り越して全員猫又になりかねないくらいです。猫の死体、目に見えて少なくなりましたしね」

「そういやそうだな。今年に入って猫を使い魔にしたのはこれが初めてだ」

「この子も不慮の事故にあって命を落としただけですしね。絶対に死体が出ない、と言う訳ではありませんが、片喰様が堅洲の猫に助力するようになった以上、これまでのように猫を使い魔にするのは難しくなるかと思います」

 膝の上で窮屈そうに瞼を閉じる猫を雅が撫でる様子を、金眼の黒猫……片喰は満足げに見つめていた。

「仕方ないのだわ。絶対ではないのなら待つだけなのだわ」

「こだわるっすねお嬢。烏とか梟とか、魔術師のイメージに合う動物は他にもいるっすよ?」

「嫌なのだわ。猫がいいのだわ。もふもふ可愛い黒猫がいいのだわ。そこの子猫のような……」

「何ならお姉さん、私を使い魔にしてみる?」

「のだわ?」

 唐突に割って入った聞きなれぬ声。その方向には、緑色の瞳をした少女が立っていた。

「おわっ! あんた、どこから入ったっすか?」

「さっきからずっといたよ」

 ケラケラ笑う少女の側には金眼の黒猫の姿のみ。先程まで一緒に居た筈の緑眼の子猫が見当たらない。

「もしかして、あの子猫なのだわ?」

「そうだよ! 師匠に魔術を教わって、この通り人にも化けられるんだ! そろそろ自分の実力も試してみたいし、雇ってみない?」

 差し出された手。一華は躊躇なく握り返した。

「商談成立だね、お姉さん! 私は蓬、よろしくね!」

 そう一言告げて、再び子猫に戻った蓬は一華の肩の上に乗る。

「ありゃ残念。客を取られたか。まあいいさ、今回の仕事の報酬に魔王殿からいい物をもらったしな」

「なんだい、それ?」

「それを見せるためにお前を呼んだんだ」

 そう言って曾呂崎が机の上に一冊の本を置く。一華の眼には随分と新しいもののように映った。題名は「Re-Animator」。

「魔王殿が仕事で手に入れた本の写しでね。原本は車輪党の魔女が持っていったらしいが、写しの方は俺のために確保してくれたらしい」

「どんな本なのだわ?」

「死者の蘇生に関する記述がそりゃもうわんさかと。死体を取り扱う仕事をしている俺達にはとても有益な本だ」

「ほう? 確かに興味はあるね。だけど、我が愛する同胞達のために世界のありとあらゆる死霊魔術を学んだ僕のお眼鏡にかなうような魔術があるのかい?」

 スミスのその言葉に、曾呂崎の瞳が愉快そうに細まった。

「魔導書じゃない」

「何だって?」

「魔導書じゃないんだスミス。こいつはれっきとした科学書。純然たる科学の力による死者蘇生に関して書かれた本なんだ!」

「ほ、本当かい?」

「マジだマジ! 魔術や魔力を一切使わない、人間の知識のみで成される死体蘇生術。その知識の最先端が記されているんだ!」

「早く、早く見せてくれ曾呂君!」

「慌てるな! 今、叡智の扉を開く! どれどれ?」

「まず初めはH・W式蘇生液について……ふむ、これだけでは完全な形での蘇生は流石に難しそうだね」

「だが、魔術無しでこれを成し遂げてるってだけでも興奮物だ……次は……」

 大の大人が身を寄せ合って、キャイキャイはしゃいで本を捲り始める。

 その様子を生温い視線で見つめていると、一華の足が突かれた。

 片喰と目が合う。その黒猫はまるで「弟子を頼む」と言わんばかりに、ペコリと頭を下げたのだった。

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