黒羽根のいけにえ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うん、すごい羽根の散りようだね、あそこは。
ここのところ、車道なり歩道なりで鳥の羽根がまき散らされたり、固まっていたりするのを見るんだよねえ。たぶん、あやまって轢かれたんじゃないのか?
少し前なら、鳥たちも人や自転車とかの気配を察すると、触れられる前から逃げ出すことしばしばだった。
それが、駅のホームといった人口密集地であろうと、平然とちょこちょこ歩き回る姿を見かける。
人のこぼしたものを拾うのが、リスクに見合うということなのか。それとも、人が自分たちに手出ししないことを熟知し、なめきっているのか。
あまりになめすぎて、引き際を間違えると、ああいう無残な目に遭いかねない。いつだって、謙虚さは心のどこかに留めておきたいものだ。
……ああ、羽根といえば。
つぶらやくん、君に頼まれていた昔話、ようやく聞くことができたんだ。
ちょうど羽根をめぐる話でもあるし、このタイミングにはぴったりかもしれない。
どこかお店にでも入ろうか。休みながら、ゆっくり話そう。
「白羽の矢」については、君もご存じだろう。
数あるものの中から選ばれることを指す言葉だが、もともとは神が求めるいけにえの対象となったとき、その家の屋根につき立つ矢のことだ。
神様がこうもリクエストをくれるなら、よっぽど欲しがっているのだよなあ。しかし、この印象が強すぎたためか、一時期は白羽の矢が立っていないにもかかわらず、人間のほうから進んで人身御供を差し出す……なんて風潮ができる始末。
ぶっちゃけ、過去に注文したことがあるからって、今も欲しいかといわれると微妙なことがあるんだよね。
なのに、延々と一方的に送り付けてきて、怒りをお鎮めください~なんて、ちゃんちゃらおかしいでしょ。むしろ、よけいに青筋を立てる自信があるよ、僕は。
ゆえに神職とか、神と人間を仲介してくれる存在はありがたいもので。互いのニーズのすり合わせも仕事のひとつだろう。
そして人間、引き続き捧げる立場でもあり、賜る立場でもある。
白羽の矢の派生についても、ちゃんとした対応が求められるんだ。
それは、とある地域をおさめる豪族に屋敷で起こった。
夜、眠りについていた当主は、夢の中で無数の黒羽に身を包まれたという。
羽根は一枚だけでも、当主の顔面を完全に覆ってしまうほど大きい。それが数えきれないほど降り注ぎ、夢の中で払いのけようとしても、あとからあとからまとわりついてくる。
もはや沐浴ならぬ羽根浴と呼んでもいいくらい、埋もれに埋もれたところで、当主は夢より目覚めたんだ。
夢かと、ひと心地つけたのも、わずかな間だけ。
横になっている当主の布団、その足元には夢で見たものよりも大きい、しかし色合いなどはそっくりの大きな黒羽根がつき立っていたのさ。
野太刀もかくやというその大きさに、びびらずにいられる方が少ないだろう。当主は眼をむきながらも、すぐに下々の者を呼びつけて、近くの神社へ使いを走らせた。
この黒羽根につき、どのような判断をすればいいのか、助言をもらおうと思ったのだ。
やってきた神主もまた、黒羽根の堂々たる威容に驚きながらも、丹念に調べていく。
この羽根の上部にあたる屋根には、かすかな穴さえも空いていない。
誰かが持ちこんだか、あるいは尋常ならざる技でもって、屋根をすり抜ける形で突き刺さってきたか。
現在なら、まず前者を想定して動くだろうが、まだまだ神秘がそばにあって、信じる者の多かった時代。後者を踏まえたからこそ、神職が呼ばれたわけだ。
「――いけにえの告知ですな」
しばし、羽根を調べていた神主の言葉に、当主はどきりとする。
「いったい、誰を? もしや、それがしが……」
「いえ、まだ完全な判断はいたしかねますな。もし当主様ご自身であるなら、言い伝えられる通り屋根に立てるか……あるいは、その御身をじかに羽根が貫いておったでしょう。
見られたという夢も、あくまで羽根に埋もれるどまりで、害されるところまではゆかず。別のことを伝えたいと考えておられるのやも、ですな」
神主は、詳しく調べるためにも、この屋敷へ泊まり込むことにしたそうだ。
その夜、羽根はそのままにして当主も神主も、あえてこの部屋で寝入る。そして二人そろって、まったく同じ夢を見たんだ。
やはり黒羽根に埋もれる夢ではあったが、話に聞いていたよりも量が多い。
昨日は身動きが取れなくなったあたりで夢から覚めたが、それにとどまらず、頭頂部まですっかり埋まって、なお満足せずに降り積もる……そのような有様だったとか。
そして二人が目覚めたとき、部屋には二本目の羽根がつき立っていたんだ。抜かずに置いておいた一本目、そこへ寄り添うような形でね。
あらかじめ、この部屋のまわりはしっかりと封鎖し、外から誰も入れない状態を保っている。いよいよ、人ならざる存在の手によるものである可能性が、色濃くなってきた。
羽根は一本目と変わらぬ色と大きさ。つき立つ場所もまた、一本目のすぐ近く。
神主はそれを見やってから、もう一日。確かめたいことがあり、時間が欲しいと申し出る。
ただし今回は、部屋をもぬけの殻にする。
当主も自分もこの部屋にはとどまらず、別の部屋で眠るということだ。
犯人――と呼べるかも、もはや怪しいが――を暴くより、この奇妙な事象の真意を確かめる。夢のこともあったからね。
その晩、別々の部屋で寝た彼らは、あの羽根浴の夢を見ずに済んだ。
そして、かの部屋には三本目の黒羽根が新しくつき立っている。前二本のそばへ寄り添うかっこうで。
当主を目当てにしたものではない、ということがはっきりした。そして見る夢もまた、この羽根が原因とも考えづらいものとなる。
となれば、あとはこの三本の羽根によって執拗に示された床板こそが怪しい……。
神主と当主の思惑はおおよそ一致し、くだんの場所へ屋敷内の刃物たちがこぞって集められる。それらが当主の指示により、羽根に続けといわんばかりに、床板を次々と貫いていく。
もはや針山のように化した床板へ、何本目の刃が差し込まれたときだっただろうか。
ニワトリを思わせるような鳴き声とともに、床板が盛り上がり、ぶち破られた。
成人数人分に相当する、大きなミミズのごとき形。その身は、先に床へ刺さっていたものと同じ、巨大な羽根を無数にまとっていた。
刃物を刺されてもだえるその生き物の苦しみようといったら、跳ねて床を叩くたび、屋敷全体が大きく揺れるほどだったとか。
屋敷にいたもの皆が、離れたところから何十本も矢を打ち込むと、ようやくその異形は動きを止めたらしい。
すると、そいつの身体に刺さっていた矢も刃物も、ひとりでにするすると、その場へ滑るように抜け落ちていったんだ。
姿を見せた時からそうだったが、血の一滴もここには垂れない。代わりに、その身体を覆う羽根が刃物たちと一緒に抜け落ち、床へ寝そべっていく。
そうしているうち、かの身体に刺さったもので残ったのは、あの床板へ刺さっていた三本の羽根のみとなる。
ミミズが有するものに対し、より黒く、より大きいそれらは、ぴんと天井へ向けて、おのずと背筋をただす。
直後、羽根もろとも、ミミズの姿がどんどんと浮き上がり始めた。
本来、ぶつかるだろう屋敷の屋根もすんなりと通り抜け、これらは立ちどころに見えなくなってしまったらしい。そしてこの部屋で眠ったとしても、あの羽根に包まれる夢を見ることはなくなったのだとか。
あのミミズの正体は、ようと知れない。
ただ天があれを欲していたことと、放っておいたら夢を通じて、よからぬことへつながったかもしれないことは、おおよそ考えの一致するところだったという。