七十九話 灰の幼女
「うはぁ!高ぇ!」
ガットが子供の様にはしゃぐ。ここは地表から少し上、層雲程度の低い位置に発生する雲くらいなら見下ろせるくらいの高度である。
『オォォォォォ…』
そのはしゃいだ声に答える様に腹を震わす重低音が鳴り響いた。
「うー!鼓膜が破れるから鳴かないで!お願い!」
皆耳を塞いで辛そうな顔で耐える。この重低音はどこからきたのか。それは、彼らが乗ってるものの正体が鯨であり、それが発生源である。
『キュゥゥゥゥ…』
今度は高めの音が響く。どうやら謝っているようだ。
「それにしてもアンが鯨の子だとは今でも信じられないね。地面魔法の扱いが上手なのも頷ける」
マオはうんうんと頷きながら一人でぶつくさ呟く。なぜ、砂鯨の姿になったアンの背中に冒険者一行が乗って空中散歩をしているのか。それは少し前に遡る。教会前でアンと出会った彼らに、アンがとある提案を持ちかけた。
「今から女神様を探しに行かない?」
今朝行方知れずになったばかりの女神。それを今から探そうと言うのだ。その誘いにカーターは頭を掻きながら答える。
「誘いは嬉しいが、あの嬢ちゃんなら大丈夫なんじゃねえか?どうも探して欲しく無いらしいし、それよりも兄ちゃん、藤也を探すのが先決だと思うんだが…」
「私も初めはそう考えたの。だけどね、路地で出会った不思議な獣人に言われたの。『藤也は無事、探さない方が彼の為。それよりも女神が危うい』って」
アンの不確かな情報にカーターだけでなく他の者も困惑の反応を示している。
「アンちゃん。その獣人って知り合いなの?」
「ううん。知らない人。でもね、お兄ちゃんと昔から知り合いだって言ってたの」
「…あのなぁ、嬢ちゃん。どこの誰だかわからない奴の話は信じちゃならねえ。もしそいつが明確な証拠を突きつけてきたのならまだわかるが、口頭だけのやりとりだろ?それを信じろってのは無理な話だ」
ガットの厳しい正論を前にしたアンは、悔しそうに唇を噛んで泣きそうな顔になる。
「でもね。私は彼女は正しいと思うの。突然目の前に現れて妖艶な雰囲気を醸し出す。みんなも直接会ったら絶対に彼女の言う通りに行動してしまう魅力があるの…。私も自分がおかしいことを言ってるのはわかる。だけどね、それでも私はお兄ちゃんを探したい。そしてお兄ちゃんに、私たちは戦える。ってことを証明したいの!」
「…そうか、なら俺らもそれに乗ってやるよ」
そして、冒険者一行は砂鯨に変化したアンの背に乗って上空を飛ぶことになったのだ。探すと言っても基本はやることがないので呑気な雰囲気で満ちている。そんな中、キャシーが難しい顔で考え事をしていた。
「にしても、女神様はどこに居るのかしら」
ふと呟いた素朴な疑問。それを耳にした皆は、ポカンと呆気に取られて言葉を失う。誰も女神の所在を知らないため、この広大な大地で人一人を探すのは困難を極めるのだ。
「どうすんだよこれぇ!何か案があるんじゃねぇのか?アンさんよぉ!」
『オォォォォォ…』
突然パニックになる背中の彼らにつられ、パニックになってしまうアン。集中が完全に途切れてしまった為、人を乗せて慎重に泳いでいたのが乱れてしまい、少し揺れが大きくなってしまった。それが仇となってしまった。
「きゃぁ!」
小さな可愛らしい悲鳴が響く。驚いてそちらの方向を見ると、マオが背中から滑り落ちて高度数百メートルに投げ出されてしまう場面が目に飛び込んできた。
「掴まれ!マオっ!」
すぐにカーターが駆けつけてマオの腕を掴む。宙ぶらりんになるマオだが、落下は免れることができた。一安心するも、まだ危機からは逃れられない。意識を背中に集中させてしまったアンが、前方から向かってくるワイバーンに気が付かずに顔面に火のブレスを浴びてしまった。
『キュゥゥゥ…!』
悲鳴の様な甲高い声が響き、その巨体を仰け反らせる。そうすれば勿論、背中に乗っている物は滑り落ちてさらに投げ出されてしまうだろう。
「うわぁぁぁ!!」
冒険者一行は全員、上空数百メートルからのスキンダイビングを強制されてしまったのだ。
「お前ら舌を噛むなよ!『風魔法・アッパーブラスト』」
地面に激突する寸前、ガットが上昇気流を発生させる魔法を行使して皆をふわりと浮かせる。お陰で速度が打ち消されて無事に着地することができた。
「怪我は無いな!無事生きていることを喜びたいが、今はそれどころじゃない!さっき突っ込んできたワイバーンを狩らねばならぬからな!」
カーターがそう言うと、彼を先頭に陣形を組んだ。矢尻型の陣形の先、やや斜め上から件のワイバーンが滑空して強襲を図る。
「俺が耐える!マオとキャシーで撃ち落とせ!」
「「了解!」」
ワイバーンは鋭い爪でカーターを襲う。掴まれる寸前に大きな盾を前に出して攻撃を防ぐ。豪胆な膂力により衝撃を喰らってもびくともしない。動きが止まった好きにキャシーとマオが同時に魔法を唱える。
「地に穿ち、空を落とす彗星よ。母なる大地は全てを迎え入れる『土魔法・メテオ』!」
「凛花は過去、未来を果て月冴ゆる夜に刃を研ぎあげる『氷魔法・アイシクルペルマム』」
空中に生み出された隕石のような巨岩が自由落下でワイバーンを押しつぶす。そして、下からは凛と冷えた冷気と共に氷柱の花弁をもつ一輪の花が剣山の如くワイバーンを貫いた。
「最後のダメ押しですね。業火よ、穢れを払い安然をもたらせ『炎魔法・ダス・ヘレン・ファイヤー』」
瀕死のワイバーンに何もさせまいとブランが高火力の炎魔法で追撃を加える。放たれた巨大な火球は渦を巻きながら直進し、ワイバーンに当たった瞬間に肉体を黒焦げにして消えた。
「ふう、終わったか」
「アンは大丈夫かしら?えーっと…」
空を見上げてアンを探す。あの巨体ならすぐに見つかるだろうと高を括っていた一同だが、どこにもアンの姿は無い。まるで姿そのものが消え去ってしまったかのような清々しい空だけがぽっかりと浮かんでいた。
「この短時間でどこ行ったのよ!」
「参ったなぁ…」
仕方がないので手分けして辺りを探すことになった。しかし、土地勘も無い場所で更に木々が不規則に並ぶ森林では沢山の針の中から目当ての一本を探す様なものである。捜索は困難であった。
「このまま見つからなかったらどうしよう…あら?」
徐々に不安が大きくなる中、キャシーが藪の中に服らしき布切れを見つけた。
「アン!そこに居るの?」
すぐに駆け寄って薮の中を掻き分け、すぐに人影が見えた。
「アン!…ってあら?貴方は誰?」
そこには、銀髪の可愛らしい幼女がスヤスヤと寝息を立てている姿があった。
幼女の眠りは深いらしく、ちょっとやそっとでは目を覚ます様子は無い。目当ての人物では無いが、野良猫にすら食い殺されてしまいそうな幼気な子供を放置できるわけもなく、困り顔で幼女を抱き上げて優しく身体に引き寄せる。耳元で聞こえる規則正しい寝息には思わず微笑みを浮かべてしまいそうになった。
「ねぇ、みんな!アンを探してたらこの子を見つけたんだけど!」
すぐにメンバーの居る場所に戻ると、そこにはちゃっかり戻ってきていたアンも居た。
「あ!アン貴方どこ行ってたのよ」
「あはは…ごめん。少し遠くに不時着して少し気絶してた」
「今は大丈夫なの?」
「うん!ピンピンしてるよ」
アンは腕を曲げて力瘤を見せつける。特に外傷もなく元気そうだ。
「なあ、それよりもその子供はなんだ?さっき見つけたとかなんとか言ってたが」
ガットが面倒そうに幼女を指差してそう言う。キャシーは一度幼女を見つめてから困り顔で肩をすくめる。
「それが私にもわからないの。この子、藪の中で気持ちよさそうに眠っていたけど、こんな所に捨てる親もいないだろうし…」
その時、幼女がゆっくりと瞼を開いた。露わになる真っ赤な瞳は、底知れない恐ろしさを醸し出している。
「起きたのね。貴方自分のことはわかる?」
優しい声でそう問いかけるキャシーだが、幼女はそれを無視して無言を貫く。
「まだ言葉がわからないのではないでしょうか?」
ブランが幼女の瞳を覗き込みながら、まるで問いかけるようにそう言う。すると幼女はゆっくりと口を開いたので、今まさに言葉を話すのではないかと期待した。しかし、その期待はすぐに困惑へと変わった。幼女の口に生える野生味ある鋭い犬歯。次の瞬間、幼女はキャシーの柔肌にその犬歯を突き立てたのだ。
「痛っ!」
小さなキャシーの悲鳴が森の中に吸い込まれていった。すぐに引き剥がそうとするが、まるで大人を相手にしているかのような膂力に引き剥がすことができず、されるがままとなってしまった。
「うぅ…」
次第に顔色が悪くなるキャシー。貧血気味なのかふらついてへたり込んでしまう。
「大丈夫か!?」
すぐに皆が駆け寄り、幼女を引き剥がそうとする。その時、幼女は首筋から口を離し舌舐めずりをしてから口を開いた。
「私は吸血鬼の始祖である。この女を眷属にされたくなければ即刻離れて手を出さないことだ」
その口から発されたのは、幼女らしい舌っ足らずな話し方とは裏腹な、高圧的な態度の言葉だった。
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