七十八話 置いてかれた者達
教会で残されたアン。彼女は目覚めた瞬間に霊華の気配が無いことを察知した。砂鯨の子である彼女は、群れで過ごしていた習性から周囲の生物を感知する能力に長けていた。
朝の呑気な空気に構わず、急いで飛び起きて教会の礼拝堂に飛び込んだ。そこでは女神を信仰する信者達が整列し、霊華に託された手紙を代読していたところだった。
『信者の皆さん。突然居なくなってしまい申し訳ありません。これは、私の弟子である桐崎藤也を救うためであり、邪神教へ立ち向かうためでもあります。どうか心配しないでください。私は現人神として、女神として、常に皆様によりそっています。霊華』
陰で聞き耳を立てていたアンは、手紙が読み終わるタイミングで走り出していた。行先は決めていない。ただ、不安が帰るまで、いつまでも走りたかった。
「ハァ…ハァ…」
教会を遠くに望む市外の路地裏。日の光で温まらなかった空気が集まってキンと冷えている。もう涙は流すまいといつか決めた覚悟のせいで必死に奥歯を噛み締めて耐えなければいけなくなってしまった。
足元に生えた陰性の雑草を睨みながら心休まるのを待っているが、一向に治る気配は無く、漠然とした不安がブクブクと膨張して身体から溢れてしまいそうだった。
「どうしてお兄ちゃんは私達に相談してくれなかったの…」
蚊の鳴く様な声でそう溢した時、ふと人の気配を感じた。
「もし、そこの子鯨さん。どうかしましたか」
鈴のなる様な凛としていて儚い少女の声。ハッとして顔をあげるとそこには、九尾の小さな女の子が立っていた。逆光で見えにくいが、それでもわかるほどの美貌を持っており、同性であるアンも頬が蕩けるほどである。
「大丈夫ですか?」
少女の心配そうな声に我に帰ったアンは、表情を和らげて笑みを浮かべた。
「うん。大丈夫。少し悩み事があっただけだから」
「ほんと?」
「うん。本当」
頭を撫でてあげようと手を伸ばした時、少女が笑みを浮かべていることに違和感を覚える。先程まで、こちらを気にかける様な心配の混ざった声を発していたのに、今はまるで玩具を見つけたかの様な好奇心に満ちた表情を浮かべている。決して、アンが「大丈夫」と口にしたことで安堵したわけでは無い、その場においては違和感のある表情。
「貴方、何者?」
サッと手を引いて警戒の色を示す。その行為に少女は不機嫌になるわけではなく、むしろ安堵と期待も合わさった喜びの感情を露わにした。
「うふふふ…安心しなさんな。私は貴方達をずぅっと見てきたのよぉ。貴方がお兄ちゃんと呼ぶ彼もね」
急に話し方が妖艶になり、なにより話しの内容が思いもよらないものになったため、アンは絶句した。その様子を楽しみながら彼女は言葉を続ける。
「貴方の思い人は無事よ。今はまだ見つけてあげるべきでは無いわぁ。あの子は巣立ちの機会を伺う若鳥のように自立の力を養っているの。それと、あの子…女神様かしら?あの子の方が心配ね。追いかけてあげなさい」
九尾の少女はアンの背後に回ると、軽く背中を押した。思わず一歩を踏み出したアンはハッとして振り返るが、吹き消された灯火のように細い煙を残して消えてしまった。
「…っ」
アンは彼女の意図を汲み、どこかでこちらを見ている筈の少女に向けて頷き駆け出した。
その頃、朝から慌ただしい教会で、冒険者であるカーターやガットら一行は女神不在という突然の一報に呆然としていた。
「ほ…本当かよ、女神様が一人で邪神教に乗り込むなんてよ」
「そうよ、彼女はそんな愚かな筈ないわ。きっと悪い冗談よね?」
ガットとキャシーが一報を伝えにきた教会関係者にそう確認するが、残念ながら首を横に振られ、意気消沈する。
「本気かよ…」
「……」
気まずい空気が流れる中、彼らは居た堪れなくなって一度教会から外に出た。
「それにしても急ですね?何かあったに違いありませんが…」
「ホントよねー。相談くらいしてくれても良いんだけど…」
ブランはこの様な状況でもピシッと姿勢を崩さずに丁寧な所作で顎を撫でる。対してマオは階段に座り込んで感情のままに項垂れていた。
少しの間共に旅をした仲であるはずなのだが、全く訳も伝えられずに離れていってしまうのではどうも気に食わないといった感じでガットはため息を吐いた。
「俺らは俺らで藤也の捜索に行こうかね…っん?」
教会があるのは街の中心とも言える場所で、大きな通りが四方に走っている。その内の彼らが居る通りの向こうの方から、激しい土煙が上がってるのが見えた。
「おいおい!二大宗教の内の片方の総本山に魔物襲来とか笑い事じゃねぇぞ!」
先程までの最悪な気持ちは吹っ飛び、緊張感がその場を支配する。
「キャシーは強化魔法とサポートを頼む。マオは足止めを、俺がタンクとして惹きつけるからガットとブランで滅多撃ちにしろ」
「「「「了解」」」」
カーターを中心に、各々が役割を果たすために行動に映る。
「彼の者に白銀の静けさと秋霜の鋭さを与えたまへ。純粋な心は確実な勝利の道を美しく照らす『氷支援魔法・初雪の賜り物』」
キャシーの魔法により、パーティーメンバーに薄っすらと霜が降り、すうっと溶けて消えた。すると、足音や鎧のぶつかる音が小さくなり、更に力も上昇したようで、活力も漲っているように見える。
「『土魔法・ウォールダム』!抑えられるかはわからないから早期決着だよ!」
マオが人の背丈の二倍ほどの土壁を作って進行を止めようとする。しかし、こちらに迫っている何かは土煙の中から飛び上がり、中空を優雅に泳ぎ始めた。土煙が無くなり、露わになったその正体は数十メートルもある巨大な砂色の鯨だった。
「あ…」
「計画変更!全員で対空放射だ!」
まさかの事態にマオは呆気に取られたが、カーターはすぐに思考を巡らせて計画を変えて命令を下す。対して鯨は空を放射状に飛び、カーター達目掛けて落下してきた。
「撃ち落とします!その隙に退避を!『炎魔法・フレイムバーン』」
ブランは鯨の前に立ち、両手を伸ばして魔法を唱える。すると、火球が創り出され、いくつも分裂して複数の火球が鯨に襲いかかった。炸裂した火球により姿が黒煙で覆い隠され、一瞬だけ視認が困難になった。
「やりましたかね…っ!?鯨が消えた!?」
鯨が落下してこないため無事撃退したかと思ったブランだったが、煙が晴れても鯨の姿が見えず、逃げていたとしてもありえない状況が眼前にあった。
「あの巨体でどこに消えて…ん?おい、何か小さいのがこっちにくるぞ!」
ガットも困惑していたが、鯨がいた筈の空間に人の丈ほどの生き物がいることに気がつき、大声をあげた。冒険者一行は皆で目を細めて必死に正体を探る。次第に距離が縮まり、姿が鮮明になってくるとまさかの正体にみんなして驚愕の声を上げた。
「えぇ!?」
「どう言うことだよこれは!」
「…?」
上空からすごいスピードで落下し、ヒーローの様に膝をついて着地する。ゆっくりと立ち上がり、晴天の様な笑顔でサムズアップをする彼女は、砂鯨の子供であるアンだった。
「アン、見参!」
おどけて見せるアンに対して、彼女の砂鯨の姿を初めて見て、魔物と勘違いして緊張感に包まれた後の一行は、安堵から次第に言い表せない怒りの様な感情が湧き出てやきもきしてしまう。
「街中でこんなことして!びっくりしたじゃねぇか!」
「もー!無駄にした魔力返しなさーい!」
「土壁を平さないと…」
その反応を目の当たりにしたアンは、悪戯大成功と言わんばかりに大袈裟にピースのハンドサインを前に突き出したのだった。
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