七十五話 薫風、炎燻らす
藤也が村を出て引越しをした日の翌日、レイカ教国の早朝の教会が少しばかり混乱に陥っていた。
『女神様が失踪なされた!』
『なんだって!?』
『お部屋の机の上にこのようなメモ書きが!』
『な、なんて書いてあるんだ!』
教会内からはこのような悲鳴にも近い声が聞こえる。どうやら、朝から女神である霊華がおらず、教徒達がパニックになっていたようだ。
彼女の部屋で発見されたメモ書きを見ようと皆が群がる。このままでは埒が開かないので、主導者である立場の男がメモをひったくって人の波から離れ、女神を模った彫像の下に立った。
『コホン!皆さん落ち着きなさい!今から私が女神様の尊いお言葉を代読いたします。心して拝聴しなさい』
そして、男はメモを一度黙読してからそれを声に出して読み始めた。彼はメモを黙読してから終始渋い表情をしていたので、教徒達は不安を胸に抱いて静かに聞く。
『信者の皆さん。突然居なくなってしまい申し訳ありません。これは、私の弟子である桐崎藤也を救うためであり、邪神教へ立ち向かうためでもあります。どうか心配しないでください。私は現人神として、女神として、常に皆様によりそっています。霊華』
女神の言葉を聞いた彼らは途中は困惑していたが、読み終わり、その声が空間に吸い込まれて消えた時には、皆女神の行動を理解し、誰が命じたわけでもなく膝をついて女神の像に手を合わせた。
数分後、礼拝堂に集まった信者一同は軍隊かと見紛う程綺麗に整列し、女神に変わって指揮を取る先程メモを読み上げた男に視線を向けていた。
『諸君!女神様が不在の今、我々の守腕が試される時である!女神様がご帰還なさった際に感動される程に完璧な仕事をしようではないか!』
『はい!!!』
気合いの籠った威勢の良い返事が教会を揺らす。
『よし!皆手分けして作業をするぞ!数人は女神様のご友人にこの事を報告!諜報部隊は邪神教の同行を調査!それ以外は教会の隅々を清掃して気持ちよく出迎える準備をしろ!』
『うぉぉぉぉ!!』
教会はこの日から数週間、何も知らない部外者が見たら驚くほど活気に満ち溢れていたと言う。
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信者達が自分の為に奔走しているとはつゆ知らず、当の本人である霊華は全速力で大陸を南に突っ走っていた。走り続けて早半日、景色はあっという間に変わってゆき、北部の山脈の麓にあるレイカ教国の落葉樹林地帯とは打って変わり、艶のある葉を目一杯広げる常緑樹が増えてきた。
「ハァ、ハァ、もう相当走ったな…身体強化して長距離を全力で走るのなんていつぶりだ?長距離走は不得手なんだがな…」
息を切らして苦笑いしながらも、ここで足を止めれば妥協が生まれて歩みが遅くなってしまうため、目標を次へ次へと先に定めながらそこに向かってひたすら走りまくる。そうでもしないと今にもめげそうになってしまう。そんな中、前方から強い殺意が放たれ、直後に風の刃が飛んできた。
「っ!」
全力で走っているため、慣性を落としていれば間に合わない。なので、スライディングをして風の刃の下を潜り抜ける。また、間髪入れずに立ち上がり刀に手を添える。
「何者だ!」
風の刃が飛んできた方向を睨みつけてそう発する。すると、前方に見える人影がゆっくりとこちらに歩いてきた。余裕の表情で笑みを浮かべるのは怪しげな女性であり、胸元のフリルが特徴的な服を纏った上半身に不釣り合いな下半身の無機質な金属のブーツといった格好をしている。
彼女は霊華から十メートル程離れた地点で立ち止まり、指に挟んだ手紙を放った。手紙は風魔法で霊華のもとに届けられる。警戒心を極限まで高めた霊華は受け取るのを躊躇ったが、何があっても良いように覚悟して掴んだ。
「これは…?」
手紙の表裏を確認し、差出人の名前を指でなぞる。そこにはDr,ノイゲルと書いてあったが、全く身に覚えが無いので、訝しみながら封を切って中身を閲覧する。
『初めまして、見目麗しい女神様。私は創造神の下で様々な研究をしています。今回は、貴方様がこちらに来訪なさるとのことなので、歓迎がわりに私の実験成功体二十号の彼女にこの手紙を持って行かせました。そして、唐突なのですが、彼女と戦ってもらいたいのです。ラルラージとの戦闘データだけでは足りないのでね』
最後の一文を見た瞬間、背筋に悪寒が走り反射的に一歩後ろに引いた。その行動は最善の行動であり、今まで居た地点に空気の圧がかかって地面が綺麗に凹んでいるのがそれを裏付けている。
「はぁ、こっちは急いでるんだがなぁ…」
ため息を吐き、気怠げな雰囲気を露骨に現しながら肩を回す。悪戯っぽい笑みを浮かべて女を睨み、左手で刀の鞘を握った。
「長い間鈍った身体もこの前の戦いでほぐれたんだ。全力、出させてもらうよ」
生意気にそう言い切るか否かのタイミングで霊華の姿が消え、女の眼前に肉薄する。鯉口を切って鞘に収まった刃を僅かに露出させると、今か今かと獲物を狙う飢えた獣の様な焔がチラリと溢れる。
「桜火乱舞・死桜一閃」
弱った微かな炎の圧縮で劣化した抜刀。だが、それでも長年の鍛錬によって洗練されたそれは、過去の全盛期となんら遜色の無い速度であった。音速に近い速度の刃だったが敵はギリギリでしゃがんで避けたらしく、手応えなく空気を切り裂いただけだった。
しゃがんだ彼女は掌底に風を纏い、立ち上がる勢いを利用して鳩尾に強烈な一撃を叩き込まれた。
「『風魔法・風打ち』」
そう魔法を唱えた気がするが、霊華にとってはそんな事どうでも良い。内臓を風が貫き、筆舌しがたい激痛が身体中を駆け巡る。
「ぐぅっ…」
衝撃はあるが、身体を通り抜けているので上空には打ち上がらず、そのまま落下する。そこを更に追撃の後ろ回し蹴りが襲うのだからどうしようもない。吹き飛ばされた霊華は地面で弾みながら転がっていった。
「っ…強烈だな…」
身体の調子は戻ったが、戦いの勘はまだ戻って無いらしい。一度頬を叩いて落ち着こうとしたが、そう待ってくれる相手でも無い。
今度は自分の番だと言わんばかりに肉薄し、風魔法を唱えて風の刃をあらゆる方向から放った。
(不可視の斬撃…かろうじて歪んで見えるが回避は難しいか)
そう感じた霊華は攻撃を受けることにした。刀に纏っている織火のような微かな火を集めて小さな火球にし、手を薙ぎ払うように回転して風魔法を燃やす。それによって勢い付いた火炎を身体に纏い、頭上からの踵落としへ火炎柱を放つ。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
思わぬ反撃をモロに喰らい、火達磨になる女だが、風魔法を応用して空気を薄くして消火しようとしている。もちろんそんな事はさせない。
「桜火乱舞・散り桜」
接近して刀を上段から振り下ろす。消化に必死になっている隙だらけの相手を見事に真っ二つに切り裂いた。筈だった。
「…!」
刀が触れた途端に女は霧のように溶けて消えてしまい、残った魔力を炎が燃やして跡形も無くなった。瞬間、背後に殺気を感じる。不意打ちを察した霊華は振り返ると同時に刀を横に一閃。こちらも手応えは無かったが、相手が大きく後ろに下がったため体勢を整える隙ができた。
「さっきまでとは違うようね」
女は煩わしそうに顔を顰め、わざとらしく舌打ちをして服に付いた土埃を払う。
「しょうがない。宣言するわ。今から十分と経たずに殺してあげる」
人差し指で霊華を指してそう宣言する彼女。心なしか全体的な存在感が増しているようだった。
対する霊華は、挑戦的な相手に合わせるように霞の構えで刀の切先を女に向ける。
「いいぜ。それなら俺は攻撃を全て捌いて十分後に殺してやるよ」
霊華の炎が相手を燃やさんと轟々と燃え盛る。その炎をなびかせる強風が女の周りを白けさせる程に逆巻いていた。
直後、二人の力がぶつかり合う。両者、どちらの宣言が現実となるのか。結果はこの十分間で明らかとなるだろう。
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