七十四話 引越し
朝の目覚めはいつも木漏れ日である。藤也はぼんやりとしたまま身体を起こし、朝日が昇るのを差し込む光の動きで感じとる。最近はもっぱらこのようにして早朝をのんびり過ごしている。そんなことをすれば当然考え事も浮かんでくるため、藤也は昨晩起こった不思議な体験を思い出していた。
夜中に厠に立った時に外から聞こえてきた艶やかな声、転けそうになった時に背中をそっと支えたあの小さな手、月光で照らされて妖しく笑った口元。
(見た目と年齢が一致してない…師匠のような長命の人なんだろう)
そんな考え事をしていると、気怠げなテティスが部屋に入ってきた。
「おう。起きてんのか。調子も良さそうだな」
「はい。お陰様でだいぶ調子が良いです」
テティスは藤也を上から下まで観察すると、ベッド横の丸椅子にどかっと座ってからため息を吐く。
「唐突で悪いんだが、引っ越すぞ」
「え?」
「困惑するのもわかる。だけど、俺らの村で信仰してる龍王がどうも不機嫌でな。お前の存在にも勘付いてる」
その言葉に藤也は諦めたように引き攣った笑みを浮かべてからガックリと項垂れる。
テティスは気まずそうに立ち上がり、伸びをしながら藤也を見る。
「あ〜…その傷、大分良くなってるな。肺は治癒したか?」
露骨に会話を変えたテティスに合わせて藤也は肩の大きな傷にそっと触れ、何度か深呼吸をしてみせた。
「肺も治って呼吸もしやすいです。魔法って凄いですよね。こんな大怪我なのに神経すらも治癒してる」
「ああ、傷跡は残っちまうがな。それでも凄いさ」
テティスはそう言った後、踵を返して部屋を立ち去る。その出る直前に振り返って伝え忘れた事を藤也に言った。
「昼食後、午後になったら移動する。今のうちにいる物をまとめて準備をしとけよ」
「はい、わかりました」
テティスが部屋から居なくなり、元の静寂が戻ってきた。いつの間にか棚の影も短くなり、朝を伝える鳥の鳴き声も昼を謳歌するものへと遷移している。今日の昼食は何だろうか。期待と不安を胸に藤也は外を眺めた。
テティスが用意してくれた昼食を食べた後、藤也は車椅子で外に出る。片手には刀を持ち、その他着替えを膝に乗せる。
「テティスさん。改めて何から何までありがとうございます。この着替えも用意してもらって、感謝してもしきれません」
藤也が口にした感謝の言葉を聞いたテティスは目を丸くした後に口角をあげて自慢げに笑った。
「おうよ!死ぬまで感謝しろよ。必ず借りを返してもらうからな!」
「ハハ…お手柔らかに」
藤也はこの先に待っているであろう借りの返済を想像して苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、時間も無いし向かうとしよう」
少し会話をした後にテティスはそう言いながら藤也の車椅子を押して道を進む。道といっても舗装はされてないため、雑草や石なんかの段差でいちいち車椅子が上下して傷に酷く響く。
「痛っつつ…」
藤也が呻き声をあげると、テティスはその度に止まってくれる。これを何回か繰り返してから埒が開かないと思ったのか、地面に手を当てて何やら魔力を流し始めた。
「な、何をするんですか…」
「まあ見てろ。すぐわかる」
何をしたいのかは結果を見てすぐにわかった。魔力が放出されたかと思えば、テティスが触れている地面から先がボコボコと蠢き、石や雑草を地中に飲み込んでしまった。そして、蠢いていた筈の土はいつの間にか上から圧がかかったかのように固く平らに締まっていた。
テティスは手を地面から離して振り返り、手のひらの上に小さな礫を創り出して弄ぶ。
「俺は地面に関連する魔法が得意でな。これなら揺れも無くなるだろ」
さも当然かのようにそう言うテティスだが、藤也は魔法の規模の大きさに気づいていた。限られた範囲の地面に一手間加える程度なら容易にできる。造形を細かくするのも得意な人ならできるだろう。しかし、テティスは石や植物が複雑に混じり合った土壌を、それも遥か遠くまでの距離を耕し、まるで数百年と人が通ってきたかのように固めたのだ。それだけでテティスの技量と魔力量が膨大だとわかってしまう。
「ポカンとするな!さあ、どんどん進むぞ!」
そう言って車椅子を押すテティスは同時に通ってきた道を元通りに戻していた。藤也がそれに気がついた時、藤也は呆れにも似た感情を知覚するだろう。
道を整地してからはスムーズに進むことができ、ものの数十分で目的地の付近まで近づいてきた。
「ここら辺に滝があるんですか…?」
「ああ、この先に川が横切っている。その滝裏が隠れ家になるわけだ」
曰く、村から数キロ離れた地点にそこそこ大きな滝があり、その裏は幼い頃のテティスの秘密基地だったらしい。
「湿度が高くて不快に思うかもしれないが、完治するまでの辛抱だ。我慢してくれ」
「我慢は慣れてます!それに、こんなに尽くしてもらっているのに文句は言えません」
そうか。とだけテティスは言って前を向いた。
心地よい静寂に鳥のさえずりと木々のざわめきがアクセントを加える。その最中、唐突に周囲の雰囲気が明らかに変わった。
(…殺気!?)
移動する二人に並行して殺気が向けられているのに気がつき、テティスに伝えようとするがどうやらわかっているらしく、唇に人差し指を添えて悪戯に笑っていた。
数分後、殺気が一瞬消えたかと思えば茂みから謎の生物の影が飛び出してきた。
『グルゥァァ!』
耳をつんざくような咆哮をあげるのは、針金のような剛毛を全身に纏った二足歩行の狼、人狼だった。鋭利な爪を生やした手を振り翳してくるワーウルフに対して、テティスはノールックで対応する。飛びかかって強襲するワーウルフに向けて棘のような鋭利な岩を地面から生成すると、空中で回避行動を取れない彼はその勢いのまま岩でできた針山に衝突、身体を何箇所も貫かれて絶命した。
「低級の魔物が襲ってくるなんて珍しいなぁ」
呑気にそんなことを呟きながらテティスは何事も無かったかのようにその場を後にした。
それから数分後、二人は滝が落ちる崖の上に佇んでいた。山を流れる上流の河川としては至って普遍的な光景が目の前に広がっており、ざあざあという水の音が涼しげである。
「ここが目的の滝だ」
「思っていたよりも良さそうで安心しました」
ここから崖の側面を伝って行くのだが、人が横歩きになってやっと通れる程度の狭さだったので、ここでもテティスの魔法が役に立った。幅を広くして更にスロープ状にした斜面を楽に進み、マイナスイオンどころか水飛沫がたっぷりの滝の裏に到着した。そこには薄暗い洞穴があり、広さは人が軽く居住できる程度はあった。
「ちょっと待ってろ…今魔法のランプを点けるから」
テティスは魔法のランプと呼んだ魔道具に魔力を流し込み、辺り一帯を明るく照らす。
「これやり過ぎると眩しくなんだよなぁ…」
そんなボヤきを垂れながら奥まで進んで行き、突き当たった所でランプを地面に置いた。何とも味気ない洞穴だと言う感想を藤也が持っていると、テティスは洞穴の隅に魔法で四角いベッドフレームのような台を創造した。
「これがベッドの代わりだ。持ってきた布団を敷けば完成。ほら、疲れただろ?早く横になれ」
テティスは藤也が立つのを支えてやり、補助をしながらベッドに座らせてやった。藤也は寝具の感触を確かめた後、ゆったりとした動作で寝転がった。
「テティスさん。ありがとうございます」
「良いってことよ。ふむ、それにしても湿気が不快だな」
すると、テティスは片手から魔力を放出して辺りを魔力で満たした後、水魔法を使って湿気の原因となる気体の水を手の上に集めた。効果はすぐに現れ、ジメッとして身体にまとわりつくような不快感があったのがすっかり無くなり、外の空気と似たような感覚を覚えた。
「後は湿気を調節する魔法陣を書けば…」
集めた水を変形させて魔法陣を創り出し、まるで外と内を隔てる扉かのように入り口にその陣を浮かべた。
「これで数ヶ月は持つだろう」
そう言って振り返ると、藤也が驚いた顔をしているのがテティスの目に入る。何事かと思って辺りを軽く見回すが、特に何も無い。改めて藤也に視線を戻すと、藤也の目は尊敬の眼差しへと変わっていた。
「凄いです…っ!テティスさん!魔法って何種類使えるんですか?」
「俺が得意なのは二種類、土魔法と水魔法だ。それがどうしたんだ?」
「いや、魔法を二種類、それもかなりの技量でホイホイ使ってるのが凄いと思いまして。魔法陣の知識もあるなんで尊敬します!」
「そんなにか?別に魔法陣は遊んでりゃ何となく作れるようになるし、魔法だって暇な時に弄ってたらこんくらいできるだろ」
その言葉に藤也は大声で笑い出した。何が可笑しいのかわからないテティスはキョトンとしており、藤也の笑いが収まるまで困惑しているようだった。
「すみません…テティスさんの魔法の熟練度は、テティスの努力が関係しているのだなと。いや、努力だけであそこまで鍛えたものを簡単と言う胆力が笑ってしまうほどかっこよくて」
「んな努力なんてそんな…ただ暇つぶしとか作業に利用してただけだぞ?人間はそんなことしないのか?」
「人間も日常的に魔法は使いますし、努力もします。ですが、テティスさんはそれに対する理解度がすごいんです。独学だけでは魔法陣なんて作れないと師匠は言ってました」
「そうか。これも竜人族ならではってやつなのかな」
「そうかもですね!」
二人は和やかに笑ってしばし語り合った。気がつくと外は暗くなっており、夜が降りてきた。
「すっかり暗くなってしまいましたね」
「ああ、そろそろ飯にしよう。食料を持ってきたんだ」
テティスは持ってきた食材と鍋で料理を作り始めた。数十分で鍋料理が完成し、二人は同じ鍋を突いて腹を満たした。腹が満ちれば次第に眠気がやってくる。一日の疲れを癒すため、藤也の意識は次第に夜に溶けていった。
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