七十三話 新たな旅立ち
「はは…倒した」
呆れと達成感の混ざった乾いた笑みを浮かべる少年の目の前には、肩から腹まで切り裂かれ、吹き出す血すら凍りついた凄惨なミカエルの氷像が佇んでいる。少年は疲れ切った身体に鞭打ち、無くなった足を庇いながら手すりに寄りかかって立ち上がる。
(血を出しすぎたな…魔力も体力も、何もかもがカツカツだ…)
今にも手放してしまいそうな意識を必死に握り締め、ナレスの姿が見えるまで耐え忍ぶ。ここで倒れてしまえば、ナレスの安否が不明なまま気絶してしまう。更に、この惨状を見たナレスに不安を抱かせてしまう。
そんな考えを杞憂にするかのように、そのナレスは息を切らして階段を駆けて屋上の扉を豪快に蹴破る。
「少年!魔力が切れかけてて遅くなった!先程ネールナルがやってきたが、戦況はどう…なっ…た?」
ナレスはミカエルの氷像を目にすると、呆気に取られた顔をし、すぐに安堵の満ちた涙目を浮かべた。
「勝ったのだな!少年!」
「ああ。勝ったよ」
ナレスは目を腕で擦り、赤らむ目尻で笑みを咲かせた。最高に可憐な一輪花であった。
だが、少年の辛そうな姿と失った片足を見ると、やはり不安そうに駆け寄ってきた。
「少年!足が!」
「大丈夫だ…だが…血を出しすぎた…。少し寝る…から…止血を…頼む」
少年は限界だったようで、意識を手放して倒れてしまった。ナレスは地面にぶつかる前に少年の身体を支え、ゆっくりと寝かせてやった。その後、足の止血をする為に自分のインナーを引きちぎって紐状に加工し、少年の足を強く締め上げた。
「これで…大丈夫なハズ…」
そこにダメ押しと言わんばかりにポーションを振り掛けた。処置も終わり、フーッと大きな息を吐いて天を仰ぐナレス。疲れで襲ってきた眠気に身を委ねるようとしたその時、ふと横目で見たミカエルの氷像の目の前に禍々しいワームホールがボンヤリと口を開いていた。特別な魔道具によって開かれたと思われるソレは、いや、その向こうには、ミカエルの比にならない程の存在感を放つ何者かが居るのがわかる。そうこうしている内にワームホールから足が出てきた。
(来る…!)
その直後、高身長の鋭い目つきをした男がヌルりと姿を現した。
「…っ!!」
瞬間的に濃密になる存在感と威圧感に吐き気を催す間もなく口内に胃液が迫り上がってきた。
「うっ!おえぇぇぇ…」
殆ど何も無い吐瀉物が地面にビチャビチャと音を立てて落ちる。焼けた喉に唾液を流し、ゴクりと生唾を飲み込む。その一連の動作すら長時間に感じた。
その男は、ミカエルの氷像に憎悪の視線を送ると、徐ろにミカエルの氷像が手にしている天秤を掴み、腕ごと奪い取った。そして、それを何処かへ消し去ると、視線を横に逸らしてナレスを睨みつけた。正確にはナレスの足元に居る少年を。
「女。器をコチラに寄越せ。」
心の底まで凍りついてしまいそうな冷たい声でナレスに命令する男。ナレスは小さな悲鳴をあげて身体を震わせる。何か言葉を吐こうにも、歯がぶつかり合ってカチカチと鳴る音しか出てこない。
男は表情を変えず、しかし気怠そうにナレスに近寄り、足元の少年の頭を掴んで引き摺りながらワームホールへ帰って行く。その際、ナレスを蛇のような目つきで睨みつけ、ナレスは蛙のように身動きができないまま、少年が連れ去られるのを見ていた。
(死…殺される…動いたら…少年…助ける…不可能…死)
思考が滅茶苦茶に掻き乱され、恐怖で抜けた腰は脳の命令を一切受け付けてくれない。そうして少年は、天使、ラファエルに連れ去られてしまった。
静かになった屋上には、へたり込んで放心しているナレスと壮絶な表情を浮かべるミカエルの氷像、主人を失った可哀想な足が残されていた。
――――――――――――――――――――――――――
まるで朝日の様な心地の良い光に刺激されて少年は目を覚ました。
「ん…」
眩しさから目を半開きにして辺りの情報を脳に送る。真っ白な一枚岩でできた階段が目に入り、顔を上げると謎の書見台の様な物とそれの上に置かれた青い半透明の本があった。
(魔導書か…?)
見たことの無いものに困惑していると、前方から物音がした。反射的にそちらを見ると、鼻の下に髭を蓄え、ヨレヨレの白衣を着た老人が立っていた。
その老人は少年を見ると、口角をニイっと持ち上げて三日月の様な笑みを湛えて少年に近寄った。そして、片目につけていた筒状のルーペの様な片眼鏡を弄りながら少年を良く観察する。
「おォ…おは、おはようございますす!うぅ器よ!」
その独特な吃り方に少年は眉を顰めて睨みを効かせる。
「おや、おや、何か不満があるので、あるのでしょうか!?ぁナタは今、ラファエル様のめ、命で拘束、解析をおこ、行っています」
少年は拘束と言う言葉に反応して自分の手足を見る。魔法で作られた黒い手錠に両手を囚われ、足は太ももの辺りを揃えて固定、足首も鎖で繋がれている。ただ、片足が無くなっており、少年はミカエルに切断された事を思い出して舌打ちをした。不機嫌な状態のまま、少年は目の前の老人に八つ当たりをするかの様な荒っぽい口調で話しかけた。
「おい。お前何者だ。あと、その気持ち悪い話し方を辞めろ」
老人の話し方を指摘すると、老人はその瞬間、急に威圧感を発して少年に狂気的で怒りの孕んだ笑みを見せる。
「おい。今なんて言った。吃音を馬鹿にしたか?神に乗っ取られる前にここで死にたい様だな」
老人の豹変具合に顔を引き攣らせた少年は、冷や汗を流して唾を飲み込む。老人は少年が怖がっているのがわかったのか、すぐに元の嫌な笑い方に戻った。
「い、いえすみません。何の、何の話でしたかかな?そぉだ!ワタクシは神について研究し、神の復活をてつ、手伝っている。Dr,ノイゲルと申します」
Dr,ノイゲルは仰々しくお辞儀をすると、顔だけあげて狂気と好奇心の孕んだ目で少年をじっと見つめたのだった。
――――――――――――――――――――――――――
あれから一、二週間程経過した。ナレスは少年を失ったショックとラファエルの恐怖が未だ続いており、今も宿の片隅にうずくまって泣いている。偶に宿の人が来て様子を確認してくれるが、少年が街で暴れた事件があったからかあまり好意的な印象は持たれていない。だが、それでも一人の少女がひどく落ち込んでいるからか、食事を提供してくれるなど、優しくしてくれている。
(…怖い。少年が連れ去られるにも関わらず、全く動けなかった自分が怖い。あの天使の目が怖い。少年の居ない旅路が怖い。独りは怖い)
鼻をズビズビ鳴らして、嗚咽までして涙を流し、恐怖に震えて、そんなだがそんなことをしている暇は無いとナレスは何となくわかっていた。そして、これからすべきこともわかっていた。
「少年が邪神教に連れ去られた…協力してくれる親しい人は居ない。だけど、利害関係が一致している人は知っている」
そうしてナレスは立ち上がり、閉め切っていた窓を開けて地平線の彼方を強く睨みつけた。
「例え女神でも、使えるモノは利用してやる。少年よ。待っていてくれ」
ナレスは覚悟を決めて自分の鎧を手にし、準備に取り掛かった。
――――――――――――――――――――――――――
ナレスが覚悟を決めて外に出るのとほぼ同時期、月光が照らす草原の真ん中で霊華は藤也の居るどこかを見上げていた。
(藤也の捜索隊を結成してからより捜索をしやすくする為に転移装置を使ってレイカ教国に来たけれど、それでも進展は無い。俺の炎も他者の魔力が無いとまるで使えない)
全盛期よりも肉体、能力共に弱体化し、自分の炎が魔力を燃やして燃える特別な性質を利用しないとまともに戦えない自分の情けなさに握る手の力が籠ったその時、霊華の背後に何者かが現れた。ローブを見に纏い跪き、首を垂れている女性であり、霊華の結成した捜索隊の一員である。彼女は捜索隊の成果を報告する。
「女神様、僭越ながら定期報告をさせて頂きます。藤也様は未だ見つかりません。この国、レイカ教国周辺の邪神教は全て制圧いたしました」
「わかりました。下がって良いですよ」
霊華は振り返って柔らかい声でそう言って下がらせる。しかし、まだ報告があるらしく、動く気配は無い。
「女神様、この国から遠く離れたマール共和国のアイナガと言う街で大規模な戦闘が起きた様です。街の様子を観察したのですが報告してよろしいでしょうか」
「ええ、許可します」
霊華が許可すると、女性は懐からメモ帳を取り出してめくりながら話し始める。
「一週間前にアイナガに到着しました。アイナガは交易で栄える都市だったのですが、その時は戦闘の影響で壊滅状態でした。街中には人々の死体と破壊痕があり、街の出入り口である街門の外には謎の巨大な柱が多数出現していました」
「ん?柱だと?」
「はい、その柱は天を貫く程の大きさで、内部には空間がありました。内部には謎の物体があり、それがこれです」
懐を探して取り出したそれは、霊華にとって思いもよらない物だった。
薄汚れて所々壊れてはいるが、四角い見た目と数字の書かれた複数のボタン、そして特徴的な、欠けた四角柱のように見える。それはまさしく、地球でみた固定電話であったのだ。
霊華は困惑して狼狽えていると、突然固定電話がけたたましい電子音を鳴らし出した。肩をビクッと震わせた霊華、固定電話の発信を知らせるランプは急かすように点滅している。
躊躇しながら受話器を手にし、耳に近づける。
「もしもし…」
久しぶりに使った馴染み深い言葉。しかし、この世界では全く似つかわしくない言葉。
すると、受話器の向こう側から低いくぐもった声が聞こえてきた。
『焔木延治で合ってるか。私は創造神の子であり、創造神を支える天使、ラファエルである。この前の戦闘、天晴だ。私が創り変えた神父は強かっただろう』
「お前がアレを創ったのか!?」
霊華は慌てて大きな声を出す。相手は冷静に淡々と言葉を続ける。
『お前の弟子、桐崎藤也の居場所が気になるとは思わないか?』
「っ!!知っているのか!教えてくれ!」
『ああ、教えてやろう。だが、条件がある。お前が討伐したヤマタノオロチ、その魔石を私達に捧げろ』
「わ、わかった」
霊華は愛弟子の居場所がわかると知って思わず受話器を持つ手に力が籠る。
『今から言う場所、そこに来い』
「……」
『この大陸で最も標高が高い、大陸北西部に位置するサン・メガマウロ山だ』
「了解した」
霊華は頷き、受話器を耳から離そうとした瞬間、受話器からまだ音が漏れる。それに気がついて手を止めた。
『この電話は私達が創った魔道具だ。この瞬間でも干渉は容易である』
その言葉の意味に気がついた霊華は、咄嗟に女性の手から固定電話の本体を取り上げ、全力で放り投げた。
「頭を伏せろ!!」
怒鳴り声をあげて女性に覆い被さる。その瞬間、固定電話から魔力が溢れたと思ったら轟音を放ちながら爆発し、内部から鋭く尖った光の礫が放たれた。
幸い、遠くに投げたおかげで威力は減衰し、炎で迎撃するのも容易であった。
黒煙が収まり無事が確認できると、霊華は立ち上がって不機嫌な表情で俯く。
「女神様…」
霊華は苛立ちを抑える為に息を吐き出す。
「報告ご苦労様です。これからも頑張ってください」
口では労いの言葉を吐いてはいるが、声に怒気が混ざっており、憤怒の感情が久々と伝わる。
「し、失礼します」
報告を済ませた女性がそそくさと姿を消すと、霊華は誰にも聞こえない様な声で呟いた。
「絶対に殺してやる…藤也…待ってろ」
受話器の向こう側に居たラファエルは、霊華のこの呟きを知ってか知らずか、王座にもたれかかって珍しく笑みを浮かべる。
「来るが良い…紛い物の神が」
その時、人知れずに天使と女神は直接的な敵対関係となった。
読んで頂きありがとうございます。
誤字脱字などがありましたら教えて頂ければ幸いです。
評価や感想などもお待ちしてます。




