六十三話 竜の気まぐれ
オーガの剛腕が藤也を捉えるかと思われたが、その腕は触れるか触れるまいかで止まった。オーガは藤也から目を逸らし、そのままの格好で首だけ左を向いた。
そこにあるのは見慣れた森の一部。しかし、そこから放たれる圧は非日常であった。面で押し潰されるような、それを放つ生物の輪郭が浮かぶかのような鮮明な圧。浮かんでくるのは竜の睨んだ姿。下級の鬼如きではまるで相手になどならない。確かな強者がそこに居た。
『あ〜?なんだこりゃ?道に迷ったと思ったら見慣れねえもんがあるじゃねえか』
そう言いながら現れたのは一人の男。長身だが、精々二メートルあるか無いか。影になってよく見えないが、筋肉質だが丸太の様な剛腕も無い。オーガとはまるで比べものにならない程小さな人間種族。しかし、オーガとは比べものにならない程大きな生物としての格。
オーガは悟った。今動けば何かがヤバいと。
「ん〜。鬼さんよぉ。その人間、ちと見させてくれや」
男が前進するとオーガは慌てて後退る。決して目を離さないのは、人が熊と出会った時と同じで死にたく無いから。背を向ければ確実に死ぬ。
風が吹いて太陽が木の葉の隙間から差し込み、男の顔が露わとなる。推定三十歳くらいの顔つきで、獣の様に鋭い目の下には一本の爪痕の様な化粧がしてある。そして何よりも特徴的なのが、側頭部から生える一対の角。根本から枝分かれして鹿のものの様に見える角が後ろに向かって伸びている。腰の辺りから生える一本の尾には角ばったナイフのような棘が五本、ロボットアームかのように生えていた。
「ほぉー…こりゃえげつねえ怪我だな…相当な力を与えないとこうはならないぞ。コレができんのは俺たち竜人族みてぇな戦闘力のある種族か?」
そうぶつくさ言いながら藤也を持ち上げ、まるで荷物でも担ぐように肩に担ぐ。
「俺は行くから好きにしな。くれぐれも変な気は起こすなよ。じゃあな」
竜人族の男はオーガにそう言うと、何事も無いかのように去っていった。残ったオーガは動かずにその背中を見続け、姿が見えなくなった瞬間に慌てて逃げたのだった。
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深い眠りから覚めた藤也の視界に最初に入ってきたのは、優しい色味の木目の天井だった。血を流しすぎた影響か、いつも以上にぼんやりした寝起きで空っぽの頭。それも次第に冴えてくると多数の情報が一気に流れ込んできた。
(…そうだ。俺は教会に運ばれて…)
教会に運ばれたとこまで思い出したとこで、さっき見た天井が見知らぬものであることに気がついた。教会で治療を受け、その後暴れた所までは覚えているが、そこからは曖昧で最中は殆ど記憶が無い。
(あの後何があったんだ…?)
周りを見渡して見ると窓があった。その奥に見える景色は淡い新緑の森で、山々の谷間にある街中の教会内では無いことが窺える。
もっと外を見ようと身体を動かした瞬間、全身に耐え難い激痛が走る。あまりの痛みに声が出ないが、外の景色から情報を得るべく、牛歩よりも遅い速度で身体を動かしてベッドから降りる。棚や壁なんかに手を突いてなんとか窓辺に向かうと、森だけでなく民家なんかも見えた。
(これは村か?茅葺屋根な所を見るにあまり発展してなくて街と隔絶された場所にある村だな。でも柱が太くてしっかりしている…)
そう推測したところで不意に背後の扉が開いた。それに驚くと、それで身体が跳ね上がったことによって全身に激痛が走り、胸を押さえて崩れ落ちる。特に胸の奥の方が痛む為、浅い息をして耐える。
「…大丈夫か?」
部屋に入ってきた人物はそう心配する言葉を口にする。とても渋くて大人びた声だが、どうも本心では心配していないらしい。どっちかというと面倒という感情が籠っているように思える。
何かを置く音が聞こえ、その直後に藤也の身体が浮いた。何事かと思っていると、ふかふかなベッドに寝かせてくれた。
「重傷なのに歩き回るな。ハァ、まあいい。そんなことより自己紹介の時間だ」
男は自分のことを話し始めた。
「俺は竜人族のテティス・ドラゴニールだ。年は百五十までは数えたがよくわからん」
藤也はテティスと名乗る男の年齢を聞いてギョッとしたが、よく考えてみると自分の師匠が六百歳越えな事に気がついて何となく面白くなってしまった。
気持ちを切り替えてこほん、と咳をしてから藤也も自己紹介をする。
「俺の名前は桐崎藤也です。性が桐崎で名前が藤也です。年は今年で十七です」
「なんだ、まだガキじゃねえか!あ、人間は竜人よりも成長だとかが早いのか…」
テティスはブツブツと独り言をする。藤也はその顔を自らの師匠、霊華と写し合わせていた。
(師匠、無事かな…?俺と一緒に運ばれていたけど…)
そうやってぼーっと考えていると、急にテティスが立ち上がる。
「悪い。少し出る。くれぐれも安静にしとけよ」
そう念押ししてテティスは部屋から慌てて出ていった。
「何で慌ててたんだろ…」
疑問に思う事は多々ある。なぜ助けてくれたのか。ここはどこか。それでもあまり聞いてはいけない気がした。彼には底知れない何かがあり、それに触れてはならないような気もした。だから、藤也はあまり言葉を発する事なく様子見し、聞き手に回ろうと決心した。
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村から少し離れた小高い丘にテティスは居た。歩みの先にあるのは基礎と柱、屋根で構成されたパルテノン神殿のようなシンプルな見た目の神殿。大理石でできた白い階段を登り、その先は真っ平で何も無い神殿内部。そこには顔の知った村の人々が集まっていた。
「遅いぞテティス」
「うるせえ長老風情が」
小言を言ってきた長老に反抗して横を通り過ぎる。
「全く、この村に居たら腐っちまう。頑固ジジイ共め」
その時にボソリとそう呟くと、別の竜人族の老人が反応して怒鳴る。
「コラ!誰に言ったんじゃ今の言葉!」
つんざくその声を無視してテティスはズカズカと前に進む。そして、神殿内にある巨大な岩石の前で後ろを振り返って皆を睨みつける。
「お前らに言ったに決まってるだろ。老い先短いくせに未来ある若者に口出すな」
「老い先短いだと?まだ五十年は余裕じゃこの…っ!」
老人はそこまで言った所で歯軋りして口を噤んだ。
「ハァ…」
テティスは何かを察し、ため息を吐いて前を向いた。その瞬間、神殿の屋根に間穴から注ぎ込む太陽光が遮られ、巨大な影が降りてきた。
人々はタイミングを合わせたかのように胸に手を置き跪く。
「ようこそお越しくださいました。私長老含め、民共々貴方様のお越しをお待ちしておりました」
長老がそれに向けて歓迎の言葉を贈る。しかし、どうも形式めいておりテンプレート感が否めなかった。
『良いぞ。面を上げよ』
神殿内に重厚で威厳のある言葉が響く。テティスやその他人々が顔を上げるとそこには巨岩に乗った、これまた巨大なドラゴンが居た。鋭い爪は岩を掴み、大木のような尾は鞭のようにしなる。顎に並ぶナイフの様な牙は、見ているだけで背筋がゾッとする恐ろしさを放っていた。
そのドラゴンは眼前に跪く人々の顔を一通り見ると、スウッと息を吸ってから大地を揺らす程の咆哮を放った。
『人の匂いがする。誰だ人と接触した痴れ者は。今すぐ我が眼前に出て来い。今ならその人間を捧げるだけで許そう』
ドラゴンは苛立ちを隠さずに乱暴にそう言い放った。教会内は静寂に包まれ、ドラゴンが苛立ちで鳴らす爪の音だけが悲痛に響く。
数十秒と言う短い時間も、強大なドラゴンの前ではなぜか長く感じる。緊張の中、長老が急に立ち上がった。
「神龍様、人間の匂いと言いましたが、それは本当でしょうか?」
長老の言葉にドラゴンは間を置く。長い長い間は、長老の心臓をバクバク鳴らす。
『この我が間違えていると言いたいのか?』
「い、いえ!そう言うことでは無いのですが…我々は人間の匂いを嗅いだことが無いのです。なのでどの様なものかわからないのです」
『…そうだな。長老、次は無い。良く教育しておけ』
ドラゴンはそう言うと、大きな翼を広げて教会から飛び去った。残された人々は皆、緊張の糸が切れて大きな息を吐いたのだった。
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