五十五話 恩を仇で返す
まるで、アメジストの様な色をした光剣を持つ左手をぶらりと脱力させ、右手では分厚い聖書を開いている。
「神の奇跡は民の奇跡。私は気がついたのです。女神とは言わば現人神。その一つしか無い身でどうやって世界中の信者を救うのかと。何もしてくれない無能神も、胸を貫かれて死んでいる。確信。その事実がここに今あるのです」
微笑みにも見えるその表情からは、下剋上を果たしたかの様な達成感と、開放感が滲み出ていた。
神官長が瓦礫の山に向かって歩き出すと、その瓦礫の山が崩れ、傷だらけの藤也が立ち上がる。特に酷いのは、魔力攻撃を受けた上半身で、鳩尾のやや上を中心に黒々とした痣が放射状に浮かび上がっていた。
「痛そうですね。今なら神様が治してくださいますよ」
「他人の神なんて興味ねえよ。宗教にどうだとか口を出す気は無えが、着いて行く相手は自分で決める。それが宗教だと思っている」
藤也はそう言いながら立ち止まる。神官長も立ち止まり、数メートルの距離を空けて見合った。真剣な瞳をした藤也とは対照的に、神官長の瞳はどこか見下している様な感情が込もっている様だった。
「そうですか。では、私の判断に何か口を出すことはありませんね?」
「無い。だが、こんな襲撃をしているのは許せないな。あんなに心優しい対応をしてくれた貴方が、こんな事をするなんて微塵も頭に浮かばなかったよ」
「そうですか。ですが、もう止まれません。幸福の為なら手段も厭いませんよ!」
「じゃあ、俺も容赦はしない。俺は、俺自身の判断で貴方を殺す」
最初に動いたのは神官長だった。聖書が紫色の光を放ったかと思えば、聖書から溢れた魔力が流れて集まり、巨大な魔力球が生み出された。
「塵も残らないと思いなさい」
放たれた魔力球は、地面を抉り取りながら藤也に向かって曲線を描いて突き進んだ。通った後は、地面が爛れて紫色の魔力光がじんわりと熾火の様に光っていた。
巨大な魔力球を目の前にした藤也だが、一切の動揺も見せずに腰を低く落とし、左に差した刀に手を添える。鯉口を音を鳴らして切ると、魔力球との距離を測り、上段から下段にかけて振り下ろす形で素早く抜刀した。青白い刃は吸い込まれる様に魔力球と衝突する。そして、いとも容易く飲み込まれた刃は、対象を左右に真っ二つに両断してしまった。
『魔力を…切った…!』
どこからかその様な声が上がり、群衆にどよめきが広がる。魔力球を放った本人も、まさかあの大きさを両断するとは思わず、僅かに動揺を見せた。
「し、しかし、この程度では終わりません。強くなった気でいる様ですが、それは武器の力。納刀はさせません!」
納刀しようとする藤也を阻止するべく、魔力の剣を構えて迫って来た。魔力でできた質量がほぼゼロの剣を振り回す。聖職者であるからか太刀筋は滅茶苦茶で狙いも雑だが、それを補うスピードと鋭さがあった。
藤也は刀をなるべく動かさずに対応する。幸い、一発一発に重みは無く、鍔迫り合いをする事も無く剣を振り抜いてくれたので、丁寧に受け流せばそこまで苦では無かった。
「確かに、この刀は抜刀の瞬間に身体能力と思考力判断力を高めてくれるみたいだ。だからと言って鍛練を怠った訳じゃない。貴方が女神の所に送ってくれたお陰で、この技術を手に入れる事ができた!!」
藤也の動きが突然変わった。剣と刀がぶつかる刹那に剣をグイッと押し出し、太刀筋を僅かに狂わせた。そして、それと同時に一歩踏み出し、神官長の懐に入り込んだ。
「っ!?」
神官長はまさかの反撃に驚き、一瞬だけ思考が吹き飛んだ。藤也はそれを狙っていたのだ。懐に入り込んだら思い切りタックルをし、そのまま刀を振り上げる。仰け反って体勢の崩れた神官長に、刀を避ける事はできない。その鋭い刃は、神官長の右肋骨下部から左肩にかけて傷を刻み込んだ。
「ぐぅっ!?」
傷を押さえてよろける神官長。痛みに顔を顰め、手についた真っ赤な血と藤也、傷口を交互に見る。
「ど、どうやら、剣術に関しては貴方に分があるみたいですね。ですが、傷は浅い。肋骨のお陰で内臓までは至っていません。所詮、勇者の武器もその程度ですか」
「そうだな。だが、それは負け惜しみにしか聞こえないぞ。傷が浅いのは俺の躊躇いの所為だ。幸い、他人を下げることしかできない貴方の発言で、その躊躇いも無くなったようだが」
藤也が煽ると顕著に表情を変え、自分の周りに紫色の十字架を大量に創り出した。
「挑発に乗ってあげますよ。女神にでも祈る事ですね!」
神官長は手を前に突き出すと、大量の十字架を藤也に向かって放った。同時に放たれたそれらは、壁となって藤也の動きを封じる。
(広い攻撃範囲と高い密度。周りに囲む野次馬が邪魔で避けられない…!)
少し迷った藤也だったが、すぐに決断して納刀する。
「また魔法を切るつもりですね。ですが、そうはさせませんよ!」
どうやら遠隔で魔法を生み出す事ができるらしく、神官長は藤也の周囲を魔力球で囲んだ。
魔力球は藤也を一斉に襲う。ここで抜刀しなければ攻撃は防げない。しかし、前方から迫り来る十字架は、抜刀時の能力上昇が無いと斬り裂け無い。
「覚悟を決める!」
藤也はそう叫ぶと、納刀状態を維持したまま魔力球に突っ込んだ。
「なっ!?」
驚愕の声を上げる神官長。流石にこれは想定して居なかったのか、声が若干上擦った。
魔力球に触れた藤也の皮膚は、焼かれたかの様に焼け爛れるが、あまり重傷では無く、身体の欠損も無い。
これは、魔力球に触れる瞬間に、刀の鯉口を切って若干刃を露出させた事による能力上昇の賜であった。
魔力球を抜けた藤也は、力いっぱい刀を鞘から抜き、乱暴に十字架の壁を斬り刻んだ。
そして、唖然とする神官長目掛け、一直線に駆けて行く。
「神官長、覚悟してください!」
慌てふためき、魔力の剣を振り回そうとする神官長の腕を切り落とし、攻撃を出始めで防ぐ。そして、まだ抵抗しようと魔力を込める神官長だが、藤也がすぐさま聖書を右手ごと真っ二つにした為、発動する事は無かった。
最後の一振りと言わんばかりに藤也は大きく踏み込み、右脇に構えた刀を身体全身を使って振り上げた。
「桜火乱舞・還り咲き!!」
大きく叫んだ技名は、師である霊華のものであった。今度は何の迷いも無く刀を振れたため、神官長の身体は左右に真っ二つになった。
「ガ…ァ…」
まるで弱った獣の様な呻き声をあげた神官長は、目も当てられない姿となって崩れた。
「神官長、仇で返してすみません」
死体に向けてそう言うと、すぐに霊華の元に走ろうと足に力を入れた。その瞬間だった。背後から放たれる濃密な邪悪。その気配に藤也の足は止まり、まるで時が止まったかの様に辺りの音が悉く消えた。
(動けない…動いたら終わる…!)
身体は震えすら起こさずに恐怖し、滝の様に流れる冷や汗が肌を伝うのをやけに鮮明に感じる。
『死んでしまうとは…ゴミは再利用せねばな』
ドス黒く、低い声が放たれる。藤也は速くなる鼓動を聞きながら、錆びついたブリキの人形の様にギギギっと首を動かした。
視界に飛び込んできたのは、やけに目が真っ赤なあの大男であった。しかし、ローブは脱ぎ捨てられており、真っ黒な羽根と角を生やしている。神官長を足蹴にし、雑に踏みつけた。
『生まれ変わり、神の意思を遂行しろ』
大男はそう呟くと、左手に膨大な量の魔力を集め出した。その色は神官長と似て紫色だったが、それよりも色が暗く、ほぼ黒に近くなっている。そのあまりにも膨大な量の魔力は、集まるだけで風を巻き起こした。
濃密な魔力が貯まったかと思えば、ギュッと握りしめて雫のように神官長に垂らす。
その瞬間、周囲の生命全ての視界をゼロにする程の真っ黒な魔力が弾けた。新月の夜と錯覚する程の黒は、瞬き程の時間で消え去った。戻ってきた視界にはあの大男はおらず、神官長の死体だけが残っていた。
「何だったんだ…?」
藤也が訳もわからず呟いた時、神官長の死体が急にビクッと激しく痙攣し、切れた肉体が蠢く。
「な、なんだ!?」
死体はあっという間に肉塊となり、黒い魔力を放ちながら形を変える。その様は、何事にも形容できない程醜く恐ろしかった。そして、肉塊は止まったかと思えば、亀裂ができて真っ二つに割れた。
「まさか…!」
そのまさかであった。中から人の手が伸び、肉塊を掴む。ヌゥッと言うような効果音がつきそうな気持ちの悪い動きで出てきたのは、黒いコートを纏ったガタイの良い男だった。
「全ては神の定め」
そう呟いた直後、その男の姿がブレた。その途端、藤也の肩に強い衝撃が走る。視線を肩に移すと、肩から胸にかけてパックリと割れ、まるで噴水かのように血液が吹き出していた。
「グゥッ!?」
驚愕の表情を浮かべる藤也の顔からは、徐々に血の気が引いていった。
読んで頂きありがとうございます。
誤字脱字などがありましたら教えて頂ければ幸いです。
評価や感想などもお待ちしてます。




