五十三話 不死の大蛇
ヤマタノオロチを倒した霊華だが、久しぶりの激しい戦闘からか体力を著しく消費してしまった。魔石を抱えたまま地面に倒れ込んだ霊華は、荒い息で鈍色の重い空を眺める。爆風で散り散りになった雲も、高温によって蒸発した水滴や、気流のおかげで元に戻ってきている。二、三分もせずに雨が降り出すだろう。
案の定、額に一滴の雫が落ちてきた。
「おっ…!雨だ…」
一つ二つと数が増え、雨足が早送りしているかの様にあっという間に強くなる。土砂降りで景色が霞む中、霊華は寒雨の冷たさを心地よく感じていた。水滴が目に入ってこようとするのが少々うざったいが、火照る身体には丁度良い。
ほうっと白い息を吐き、ふと魔石を見る。何ともなしにぼんやりと。しかし、見た瞬間に霊華の表情は強張ることとなった。
それは、魔石を中心に蠢く水の塊。死んだと思っていたヤマタノオロチは、魔石だけになってもなお、生にしがみついて復活しようとする。
「っ!」
それを阻止すべく、業火をもって焼き尽くす。しかし、疲れからか、はたまた豪雨からか火力が出ずに水の勢いに負けてしまった。水は次第にその大きさを増していき、全盛の頃とはかけ離れているが、それでもなお巨大な水の大蛇へと姿を変えた。
「まずいな…!」
大蛇は憎しみのこもった瞳で霊華を捉えると、一撃で片をつけるべく襲いかかった。
霊華は大蛇の噛みつきを避けようとするが、足下が泥濘み体勢を大きく崩してしまった。
(やられる…!)
その隙はあまりにも大きかった。死を悟った間際、人体は活路を見出すべく脳のリミッターを一つ外した。それにより、極限まで高められた思考力と動体視力は、刹那の動きを数秒にまで引き延ばした。
結果、霊華の瞳は道を捉えた。泥濘みで滑って傾いた状態から、更に倒れるような重心移動をする。そして、勢いをそのままに片手を突いて側転をした。
霊華を狙った大蛇の顎門は虚空に食らいつき、霊華は無傷で避けることができた。
「あ…危なかった」
一歩間違えていたら命が無かったかもしれない事実に、無意識に身体が震える。しかし、まだ危機は去っていない。大蛇はトグロを巻き、舌をチロチロ出して様子を伺っている。
霊華は鞘に収まる刀に手をかけ、炎を溜め込む。鞘走らないように抑え込むが、カタカタと音が鳴る。
(狙いは一瞬、相手が動いた瞬間だ)
一人と一匹の間に、凄まじい程の緊張感が走る。砂すらも逃げ出してしまいたくなるような殺気を孕んだ視線が互いを睨みつけている。決着は、瞬き程の僅かな時間で付くのだった。
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山脈の頂上、修道服を身に纏った一団が眼下に佇む街を凝視していた。先頭の見やすい位置に立つ男が望遠鏡を覗きながら、丁寧でありながらも誰かを憎む様な声色で後ろの男に話しかける。
「あれが女神の居る街ですね?」
「ええ。そうです。神官長様。しかし、女神を呼び捨てにしてはいけませんよ」
話しかけられた男はねっとりと嘲笑するような口調で神官長と呼ぶ男を嗜める。
「おっと、すみません。ですが、貴方も大概では?」
神官長と呼ばれた男は、丁寧な煽り口調で返した。
たしかにこの男は、つい先日まで女神を崇める女神教の神官長であった。しかし、女神が何もしてくれないことを悟ったのだ。初めはそんなことは無いと自分に言い聞かせていたが、次第に言い聞かせることをやめてしまった。
一団は、不気味な薄笑いを浮かべながら前に立つ神官長と男を見ている。
「さて、女神を潰す前に何か言葉の一つでも言いましょうかね」
男はクルリと振り返って群衆に語りかける。
「創造神を崇めよ!創造主たる神はただ一神のみである!神と偽るメス豚には、正義の鉄槌を下さねばならない!創造神と、創造神教一神派代表、私セレナー・ディスクの名の下に!いざ!」
そう宣言すると、金の刺繍が入った質の良い黒いローブを翻して山脈の急斜面を下っていった。それに続いて一団も駆け降りてゆく。最後に残った女神教神官長は、意味深な笑みを浮かべてから透けるように消えていった。
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西の空が情熱的な紅に染まり、東の空に藍色が下りる頃、藤也とアンは街に戻って来た。二人は獲物を片手にギルドまで直行する。西日の暖かさは心地よい。しかし、二人は少し早歩きで向かう。ギルドの扉を開け、急いで受付に行くと、ギルド職員にギルドカードと野兎を突き出す。
「今日の成果です!」
「残りの四匹は今週中に獲ってきます!」
アンの言葉に続いて藤也がそう言う。その勢いに気押されたのか、ギルド職員がたじたじとなりながら受け取った。そして、兎を別の職員に渡し、ギルドカードを二人に返す。これで終わりかと思われたが、二人はまだその場から動かなかった。
アンは、ギルド内を一度見回してから藤也とアイコンタクトを取る。そして、職員にとあることを聞いた。
「あの、おにぃ…じゃなかった。青みがかった白髪の女の子見なかったですか?」
職員は少し記憶の中を探し、答える。
「お昼に居た方ですね?あの方は一度ギルドから出た後見ていません」
「そうですか」
藤也は平然とした声色でそう返すが、顔が明らかに焦っていた。アンの方もただ突っ立っている様に見えるが、呼吸が速くなるのを必死で抑えている様に見える。
そんな二人を見かねた職員は、手がかりになりそうな情報を話す。
「ただ、ギルドから出る前に、ギルド長への伝言を言ってました」
それを聞いた途端、二人はあっ!と声をあげて目を見合わせる。
「確かに言ってたね!」
「適当に聞き流してたから忘れてたんだ!」
二人は一斉に違う言葉を言うと、またアイコンタクトを取ってから礼をして去ろうとした。
その瞬間、ギルドの扉の向こう、街の外から凄まじい魔力が近づいているのを感じた。濃密で鋭い存在感は、周りの冒険者全員が察知してそちらに視線を向けた程だ。ざわめきがギルド内に広がり、次第にパニックとなる。その間にもその存在は徐々に近づいていた。数十分後、ギルドの扉が豪快な音を立てて開いた。途端にざわめきが鎮まり、唾も飲み込めないくらいの緊張感が一瞬走った。
だが、そこに居た正体を見た瞬間、全員が安堵の表情を浮かべる。藤也とアンも例外では無かったが、安堵するや否や駆け出していた。
「師匠!」
「お兄ちゃん!」
二人は半ば抱きつく様に駆け寄り、そう呼んだ。二人に抱きつかれた麗華の表情は安らかだった。
「ただいま。少し疲れてるんだ…用事をさっさと済ませたい」
しかし、霊華は二人を手で離れさせ、おぼつかない足取りで受付に向かう。ギルド職員達は未だ放たれる威圧感のせいで真っ青な顔をしていた。
霊華がいざ受付に魔石を置こうとした瞬間、ギルドの奥から焦った様な低い男の声がした。
「おいっ!!この気配は何だ!?」
ギルドの奥から現れたギルド長は、ギルド内の様子と霊華を見てから眉間をつまんで息を吐く。
「いや、わかった。お前の仕業か」
そう言われた霊華は、くたびれた顔で憎たらしい笑みを浮かべる。
「そうです。信じてくれない様なので実力を誇示する品を持って来ました」
「そうか…」
ギルド長はそう呟き、渋い顔で腕を組んで俯く。
「しかし、やり方が気に食わん。帰れ」
ドスの効いた声でそう吐き捨てると、踵を返して立ち去ろうとした。しかし、すぐさま霊華が呼び止める。
「良いんですか?こんなにも存在感のある大きな魔石、並大抵の生物ではありませんよ?それこそ、ドラゴンだとかレヴィアタンだとかの神に匹敵する生物のですよ?」
「だからだ!」
煽る様な口調の霊華にギルド長はそう怒鳴って、振り向いて詰め寄る。
「もう少し地道に出来ないのか!?説明をするだとか、奉仕作業をするだとか!そんな事をせずにいきなりこんな危険物を持ってくる!魔石につられて危険な魔物が来たらどうするんだ!」
ギルド長が捲し立てるが、霊華には対して効いていない様だ。静かに話を聞いていた霊華だったが、それが終わってからゆっくりと口を開く。
「危険な魔物が来たら?俺が狩ればいいだろう。それに、お前は俺が奉仕活動をしたとしても話を聞いてくれなかっただろ。それならこっちの方が早いと思ったんだ」
霊華はズイッと一歩踏み出す。少女の身とは思えない程の口調と自信は、ギルド長を委縮させ、あたかも巨人かの様な姿を錯覚させた。
「それに…」
霊華がそう言いかけた瞬間、ドスッと言う音と共に動きが止まった。胸に走る激痛。口に広がる鉄の味。霊華がゆっくりと下を見ると、鳩尾を貫いた弓矢がそこにあった。
「なんだ…こりゃ?」
霊華は困惑しながら数歩後ろに下がる。血反吐を吐き、手に付いた血をまじまじと見た後、震えながら後ろを振り返った。
そこには、見たことの無い修道服を身に纏った男が立っていた。
「テメェ…何を…しやがる」
低い声でそう言ったが、後半は血のせいで喉がゴロゴロと鳴り、よく聞こえなかった。視界が掠れ、躓いて倒れ伏す。血が木目を伝い、広がってゆく。
ボンヤリとした意識の中、悲鳴にも似た声が耳をつんざくのが印象に残った。
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