五話 醜い欲と救い
スラムのど真ん中を、千鳥足で歩く男がいた。
その男は右手に持った酒瓶を振り回し、所構わず怒鳴り声を上げる。
「なんでぇ俺がこぉんなゴミな街にぃなきゃ何ねぇんだよぉ!」
男は呂律の回らない声で愚痴をこぼす。
「クソォ!」
男は何も無い空間を蹴る。
それはストレスを発散させるためか怒りの為かはわからない。
ただわかるのは、その男に絡まれたらまずいという事だけだ。
男は突然足を止め、一つのボロ小屋に入る。
「たぁだいまぁ〜」
男が入った小屋は、ミュアとディースの住んでいる小屋。
「お父さんが帰ったぞぉ〜」
そう、その男はろくでなしの父親だった。
「おぅい。ディースは何処だぁ?おにぃーちゃーん。ヒャハハハ!」
男はディースを探して小屋の中を見回す。
そして男は何かを見つけ、下卑た笑みを浮かべる。
「ミュアー」
気持ちの悪い声を出してミュアの名前を呼ぶ。
ミュアは恐怖に染まった顔で父親を見上げる。
「今日は遊んでやるよぉ〜。ヒャハッ!」
父親はミュアに向かって手を伸ばす。
ミュアは必死に逃げるが、壁に阻まれてしまう。
「楽しませてくれよぉ〜」
父親の手はミュアを捉えた…
―――――――――――――――――
あの日、兵士が光る石を探しにきた後、少年は混乱する頭で帰路についた。
(あの石はどうすれば…)
何か重要そうなその石は、妹のミュアにプレゼントした石と特徴が似ている。
少年は違うものだと願うのだが、光る石なんて魔石くらいしか無く、それに緑色に光るものなんてこの世にあるのは一握り程度だ。可能性は高い。
「あ…」
少年が気がつくと、家の前まで歩いて来ていた。
考え事に没頭していて気が付かなかったようだ。
「ただいま…」
少年はミュアに帰りを伝える。
「今日は計算を習った…ん…だ…」
少年の声が震える。
少年の視界の先には父親がおり、何かを押さえつけている。
「お…親父…」
父親はゆっくりと身体を起こす。
父親は自らのモノをしまいながら返答する。
「お、か、え、りぃ」
父親は下卑た笑みで少年を嘲笑する様に言う。
父親が離れたお陰で、父親に隠されて見えなかったものが露わになる。
それは見えて欲しくなかったもの。
「あ…みゆ…ミュアァァァ!」
ソレは、体液に塗れ、無惨な姿となったミュアだった。
少年はミュアの元に駆け寄る。
ミュアを抱き上げると、全身にへばりついた体液が少年の身体に付着する。
どうやらミュアは生きてはいる様だが、全身にアザと傷があり、そして何よりも悲惨なのは光のない瞳で『ア…ア…』と呟くだけの人形のようになってしまったことだ。
心が壊れた。それは取り返しのつかない事であり、何をやっても心は治らない。
少年は枯れてしまったミュアの涙の跡をなぞる。
そして、ミュアを静かに運び、薄っぺらい布の上に寝かせてやる。
少年は立ち上がり、ゆっくりと顔を上げ父親を睨みつける。
その瞳には、憤怒と憎悪と、全ての負の感情を混ぜた様な圧があった。
しかし、その圧を受けてもなお、父親はヘラヘラとした態度で笑っているばかりだ。
少年はゆっくりと口を開き、言葉を放つ。
「許さねぇ。ミュアは…何の罪もない…ミュアは…優しい子だ。それなのに…ソレなのにテメェは!テメェはミュアを犯して壊した!殺してやる!完膚なきまでに!微塵も残さず!ミュアの為に…これまでの罪は!ミュアを嬲った罪は消えてない!殺してやる…壊してやる…壊してやるっ!」
少年は父親に突撃する。
拳を握り、精一杯怒りを込める。
「来いよ。ゴミが」
父親は構えもせずに少年を煽る。
射程圏内にはいった少年は、その拳を父親に向けて放つ。
拳は父親に向かって行く。父親の腹を破壊せんと一直線に。
拳は父親に当たった。
ど真ん中に。
しかし、父親は何の反応もせずに笑っている。
「軽いなぁ〜」
少年の顔は絶望に染まる。
「俺が憎いのにやれねぇのかぁ。そうか、その程度かぁ。お前の怒りは」
少年はその言葉に反応し、無茶苦茶に拳を振るう。
しかし、父親はどこ吹く風といったように少年を眺める。
「そりゃそうだよなぁ。ガキだし。何よりも栄養が足りてない貧弱な身体でどうしようってんだ!あ?」
父親は少年を蹴り飛ばす。
「無様だよなぁ。妹守れねぇ程に弱い。愚かだなぁ。父親に歯向かって。仕事をしてんなら俺に金をよこせよなぁ!」
父親は怒鳴り声をあげて立ち上がろうとした少年を殴る。
少年は吹き飛ばされて壁にぶつかる。
少年は倒れ伏し、鼻血の出る頭顔を押さえて痛みに耐える。
「泣いてんじゃねぇよ」
父親は抑揚のない声で冷たく言い放ち、少年の髪の毛を掴み上げる。
「グウっ」
少年は呻き声を上げるが、抵抗する気力は無く、グッタリとしている。
父親は少年を持ち上げて、空いた右手で殴る。
少年は仰け反るが、壁のせいで倒れる事が出来ない。
そのままサンドバッグの様に殴られた少年は、壁に背中を擦りながら横に倒れる。
少年はピクリとも動かない。
「あーつまんね」
父親は欠伸をしてミュアの方を向く。
「さ、もう一回」
父親はミュアの元に歩いてゆく。
その顔はこの世のものとは思えない程に欲望を欲して歪んでいた。
父親はミュアに跨る。
「オイ!」
しかしソレは、男の声によって止められた。
父親が声のした先、小屋の入り口に目を向けるとそこには、屈強な男が立っていた。
その男は歯を食いしばって震えている。
「起きろ!ディース!」
その男、グラッド•マーチェルは少年の名を呼ぶが、少年はピクリとも動かない。
「誰だよお前」
父親がグラッドの前に立ち塞がり、グラッドを見上げて睨みつける。
「誰だって聞いてんだよ!」
父親はグラッドの腹を一発殴るが、その鋼の様な腹筋に阻まれる。
父親はその硬さに驚き、グラッドを見上げて固まる。
グラッドは父親を見ずに、少年を見つめている。
「ディース。起きろディース!」
グラッドは父親を押し除けて少年の元に歩み寄る。
ディースの身体を触って生きているかを確かめ、無事とわかると立ち上がった。
「無視してんじゃねぇ!」
父親は無視をされた事に激昂する。
「俺がスラムのクズだからってか!?あ?」
父親は両手を広げて詠唱を始める。
「土よ、集いし土よ!我を阻むものを弾き飛ばせ!土魔法!ロック•バレット!」
父親が土くれを放つ。
土くれがグラッドに当たるが、グラッドが強いのか否か、全くダメージが無いようだ。
「う、嘘だろ?怯みすらしねえって!」
父親はグラッドを恐れ、背を向けて逃げる。
「初級魔法を詠唱しないと発動出来ず、更には威力もしょぼい」
グラッドは呟く様に言う。
「魔法ってのはわからねぇが、教えてやるよ。本当の威力を」
グラッドは腰を低くし、拳を強く握る。
「衝撃魔法•バーストインパクト」
グラッドは詠唱を完了させ、虚空に向けて正拳突きをする。
すると、辺りに強い風が吹く。
そして、背を見せて逃げる父親の背中が殴られたかの様に凹んで吹き飛ばされる。
「クズは所詮クズなんだよ。死で償え」
グラッドは踵を返し、少年とミュアを抱き抱える。
グラッドは二人を憐れみ、そして救えなかった事の罪悪感に苛まれる。
「すまねぇ…すまねぇ…」
顔を歪め、涙を流す。
すると、少年の指がピクリと動き、口が微かに開く。
「グラッドさん…ごめんな…さい」
「やめろ!口を開くな!お前は悪くないんだ!」
グラッドがそう言うと、少年は目元を綻ばせる。
「ありがとう…ございます…」
少年はそう言い残して目を瞑った。
「俺は…何もしてねぇよ」
グラッドは震える声で呟く。
涙は滝の様に溢れ、地面に染みが広がる。
「派手にぃやったな」
突然、背後から声が聞こえる。
グラッドが振り向くとそこには、煌びやかな鎧を着た騎士が立っていた。
騎士を囲む様に兵士が並んでいる。
「騎士様が何をしに」
グラッドは低い声で騎士に問う。
騎士は真面目な顔で答える。
「スラムの見回りだ。一応だがな」
グラッドは歯を食い縛り、怒りを堪える。
「スラムを見回りしていて、こんな子達を見てきたんだろ。なのに!何故救わない!」
グラッドが大声で怒鳴るが、騎士は調子を変えずに話す。
「スラムをどうするかは国が決める事。私達は国の犬だ。忠実に言う事を聞く。ソレだけだ」
グラッドはそれを聞いて、一瞬だけ力を入れてから抜く。
「もう…お終いだ…この…いや、何でもねぇ」
「そうか。だが、話は聞かせてもらうぞ」
騎士は表情を変え、低い声でそう言った。
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