四十九話 早とちりと信頼
まるで時間が止まったかの様に静寂が支配する。霊華の前に立つナレスの身体が小刻みに震える。
「これは…違うんです」
ナレスがそう言い終えるか否かのタイミングで、少年が一歩を踏み出す。その圧に気押され、ナレスは少年が進むごとに一歩後退する。そして、とうとう壁に阻まれてしまい少年との距離が縮まった。少年はナレスに顔をずいっと近づける。その瞬間、ナレスから小さな悲鳴が上がった気がした。
「何が違うんだ?後ろめたい事が無ければ俺から距離を取ろうとはしねえよな?」
少年がそう言うと、ナレスはヒューヒューと過呼吸になって、女性が見せてはいけないような顔になる。
「早く言えよ…言えっつってんだろ!!」
少年はこめかみに青筋を浮かべ、大声で怒鳴り上げた。ナレスはビクリと肩を震わせて怯える。
そんな様子を見かねてか、霊華が少年の肩を掴む。
「そんなに怒るな。怯えて言えるものも言えないだろ」
「触るんじゃねえ!」
少年は怒りを抑えずに、霊華の手を振りほどく。霊華は一歩引き、少年を睨みつける。
「落ち着けよ。お前の正体がどうとかはわからない。だが、男が女を泣かすんじゃねえ。何のための力だ」
霊華はそう説教する。その間、少年は静かに聞いていたが、説教が終わった途端、物凄い形相で歯を食いしばり肩を震わせる。
「さも、当然の様に説教を垂れてるんじゃねえ!第一に、お前が元凶なんだよ!他人事かの様に振る舞うんじゃねえよ!」
少年はそう言うと、拳で本棚を殴りつけた。本棚には異様な風穴がぽっかりと開き、大量の本が落下する。
「あぁっ!!私の本が!」
それを見たブランシュは、悲鳴の様な声を上げて本棚に駆け寄る。
それをよく思わなかったのか、少年は駆け寄ってきたブランシュを思い切り蹴ろうとした。だが、ブランシュも相当な実力者である。少年の足は、いとも容易く受け止められてしまった。
「おい小僧。本の弁償、してくれるんだよな?」
「あ゛?」
ブランシュは受け止めた少年の足を持ち、吸血鬼の膂力でぶん回す。そして、少年は店の壁に向かって投げつけられてしまった。
しかし、少年もその程度ではやられたりはしない。空中で体勢を立て直すと、壁に着地し、すぐさま壁を蹴ってブランシュに肉薄する。華麗に一回転し、蹴りを見舞わせる。ブランシュの側頭部に吸い込まれるような形で放たれた蹴りだったが、間一髪で防ぎ、それどころか魔法でカウンターをしてきた。
「血液魔法・ブラッドアロー」
空中に生み出された真紅の矢尻が少年を襲う。首を動かしてそれを避ける。そして、足を蹴り抜いて反作用を利用し、ブランシュから距離を取る。着地してすぐに顔を上げると、眼前まで血液の矢尻が迫っていた、
(しまった!!)
そう思った瞬間、少年の前に突風が吹き抜ける。風のせいで軌道が逸れた矢尻は、明後日の方向に消えていった。
「どう言うつもりだ…!」
少年が向ける視線の先には、風を纏ったナレスがブランシュを睨んで立っていた。その瞳には覚悟が籠っており、何人も近寄れない様な覇気があった。
「私は、貴方について行くと決めたのです!女神のクソ野郎と馴れ合うつもりは微塵も無い!」
「お前…」
「信じてくれますか?」
ナレスの芯の通った瞳に、少年は一瞬たじろぐ。しかし、すぐに僅かな笑みを浮かべ、ナレスの背中を叩く。
「少しは活躍してくれるんだろうな!?」
その答えに、ナレスは放心したようにボーッと少年を見ていたが、頭の中で反芻して理解したのか、晴れやかな笑みを咲かせる。
「はいっ!」
その元気な返事を聞いた少年は、悪魔の様な笑みで霊華をロックオンする。
「背中は任せる!」
「私はこっちをやります!」
少年とナレスは背中合わせになり、少年は霊華を、ナレスはブランシュを睨みつける。
初めから終わりまでじっと見ていた霊華とブランシュは、二人の選択にため息をついて呆れる。
「ハァ、気が変わっても知らないぜ?」
「気に入った奴だったのだがな。のぉ、女神さんよ」
霊華は身体の力を抜き、半身になって刀にそっと手を触れる。ブランシュは、やれやれと言った感じで首を振り、脱力しながらナレスの前に立つ。
「改めて名乗ろう。太陽を克服した現代最強の吸血鬼、ブランシュ・ヴァールハイト。悔いのない様にしよう」
「私はB級冒険者、鎌鼬のナレス。ナレス・デンルーナ。後悔なんてしません」
互いに名乗り合うと、構えをとって睨み合う。
「あっちは名乗りあってる様だが、俺たちもするか?」
霊華がその様子を見て、少年に聞く。しかし、少年は鼻で笑う。
「馬鹿らしい。今から死ぬ奴の名前なんて聞きたいか?面倒臭い。ま、やりたいなら乗ってやるよ」
「面倒臭いのは同感だ。さ、かかってこい。いつでも良いぜ」
二人は武器に手を添え、相手の動きに最速で対応するべく極限まで力を抜く。
店内の空気が張り詰める。いつ破裂してもおかしくない様な雰囲気がしんしんと過ぎてゆく。四人は揃って合図を待った。筋肉の動きを、空気の流れを、警戒心の緩みを、合図として待つ。
「「「「……」」」」
いつまでも続くかと思われたその緊迫感は、急な来客によって切り裂かれた。
「すみませーん、やっていますか?」
その声は、次第に尻すぼみになって消えた。店に入った瞬間、目の前に一触即発の状態にある四人が居たからだ。
一瞬ピクリと動きそうになった四人だったが、霊華が大きなため息を吐いた事により緊迫した空気は霧散した。
「やめだやめだ。馬鹿馬鹿しくなっちまった」
「お客さんの対応をせねばな」
霊華とブランシュはそう言い、片方は店を出て、もう片方は客の対応をしだした。
呆気に取られていた少年とナレスの二人だったが、一気に緊張が解けた事により、足の力が抜ける。ナレスはその場にしゃがみ込んでしまう程だった。
「私達があのままやり合っていたら負けていたかもしれませんね」
「かもしれないんじゃない。負けてたんだよ」
二人は来ていたかもしれない未来を予想し背筋が粟立つ。ゾッとしながらも命がある事を感謝して店を出ていった。
道の奥の方で霊華とその弟子二人が戯れているのが見える。
「アイツにも人間らしいところがあるのか…信者どもが狂っていたのにも何か裏があるのかもな」
「宗教と言うものは時に人を狂わせる。その人の境遇も考えないとですね」
「面倒だな」
少年と話しているナレスは非常に楽しそうに笑う。その顔を見た少年の表情が自然と緩む。
「よし、次の街だ。シュルルーシを避けて南下するぞ!」
「はい!」
少年達は、次の国、マール共和国を目指して出発した。
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暗い聖堂に祀られている女神像に、必死に願いを捧げる男が一人いた。
「天にまします主よ…いえ、この世界にいます主よ!私に力をくださいませ!」
その男、藤也を保護してくれたあの神官長は、血走った目でそう叫んだ。されども、その声は女神像の前で儚く消え去り、虚しい余韻だけが残る。
神官長の部下に当たる聖職者の一人、トリヒス・レイ・ガイストが女神様のお姿を目にしてからと言うもの、その情報を耳にした神官長はより一層熱心に祈りを捧げていた。
それは狂気とも思える程で、時には一昼夜祈り続けた事もあった。しかし、当然女神が現れることは無く、最近は虚しさすら感じる様になった。
(私は何を熱心に祈っていたのだ…?いや、女神様にご無礼だ…女神様は救世主なのです)
腹の奥底で育つ懐疑の念が神官長を正気にさせる。だが、数十年信じ続けたプライドか、現実から目を逸らそうとより祈りは長くなる。
女神は我々を救ってはくれないのでは無いか?小さく鼓動するその思いが神官長の心を蝕み、壊れてしまうことは、そう遠く無いうちに訪れるだろう。
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