三十五話 ふと気がつく違和感
深い、深い眠りから目を覚ます。瞼を開くと、見知らぬ空が視界に入ってきた。怠い身体を動かし、首を横にすると、窓が見えた。窓の向こうは、黄味がかった橙色の空が広がっている。雲のない夕暮れ空をぼんやりと眺めていると、誰かが部屋に入ってくる音が聞こえた。そちらに視線をやると、少年が立っていた。優しい、ホッとした表情の少年がナレスを見つめる。
「ここ…は?」
気怠げな声が部屋に響く。
「ここは宿屋だ。あの戦いの後、怪我と疲労で気を失ったお前をここに運び込んできたんだ。宿屋の女将がビックリしてたから、後でお礼でも言いに行け」
「そっ…か、ありがとう」
少年は枕元の椅子に座り、ナレスの頭をそっと撫でる。
「身体は怠いか?」
「ちょっと怠い…」
「沢山寝てたからかも知れないな。夕飯を貰ってくるから、食えそうだったら食え」
「うん…」
ナレスは頷くと、すぐに寝息を立てて寝てしまった。
少年はナレスを起こさないように静かに部屋を出て、女将さんのもとに向かう。
(らしく無いことをしちまったな…妹と重なるからか…)
考え事をしながら歩いていると、注意が散漫になって壁にぶつかってしまった。
額を摩りながら引き返し、階段を降りてゆく。
「女将。アイツが…ナレスが起きた」
少し声を張ってそう言う。すると、受付で売り上げの勘定をしていた、ぽっちゃりとした勝ち気な女将が勢いよく立ち上がり、満面な笑みでこちらに迫ってきた。
「本当かい!?よかったねぇ!彼女さんが無事で!」
少年は鬱陶しそうな引き攣った表情で女将の勢いにたじろぐ。
「彼女じゃねえよ。協力者だ。そんな事より飯寄越せ」
「夕飯だね!あの子のご飯は消化にいい柔らかいものにしとくよ!」
「そうしてくれるとありがたい。できるまでそこで待ってるから、できたら言ってくれ」
「わかったよ!まかしときな!」
少年は女将の勢いに押され、疲労感を感じながら椅子に座る。丸いテーブルが幾つか置かれており、何人かの宿泊客がそこで飯を食べていた。
宿屋が狭いので殆どの宿泊客は外に食べに行っており、深夜に酒に酔った客が帰ってくる音が度々聞こえる。
(この後はどうしようか…)
少年がぼんやりと考え事をしていると、誰かが上の階から降りてきた。
ゆっくりと階段を降りる音が気になりそっちを見ると、ブランケットを羽織ったナレスがフラフラと階段を降りていた。
「大丈夫か?」
少年が心配してナレスのもとに駆け寄る。ナレスは少し青白い顔で笑みを作って少年の差し出した手を握る。
「大丈夫…女将さんにお礼が言いたくて」
すると、丁度夕食を作り終えた女将が、夕食の乗ったトレーを持って奥の方から現れた。
「あら、来たのかい!そうかいそうかい。いっぱい食べて元気出しなさいね!」
「ありがとうございます。女将さん」
机の上に料理が並ぶ。パンにスープにサラダにハンバーグ。彩豊かな夕食に、少年は舌鼓を打つ。ナレスは、消化の良い粥とスープが出され、少年の料理を羨ましく思いながら食べた。
「ご馳走様」
「ご馳走様でした」
食事が終わり、食器を片してから部屋に帰る。ナレスが食器をふらつきながら運んでいたので、少年は食器を半ば強引に奪い、さっさと片してしまった。
その様子を呆気に取られながら見ていたナレスだが、少年の意図を察し、風邪で赤い頬をさらに赤らめて微笑んだ。
「ほら、さっさと部屋に戻るぞ」
ナレスはコクリと頷き、少年の後ろをついて行く。少年はナレスを気にしてか、度々後ろを振り返っていた。
翌朝、すっかり体調も良くなったナレスは、昨日の出来事を思い出して顔を真っ赤にしていた。
(いくら弱っていたからと言って、無防備すぎよ私っ!しかもなんなのあの少年の目は!目つきは悪いのに、なんであんなに親身になって見てくれたの!?)
頭から湯気が出そうになる程羞恥心を感じていると、旅の準備を整えた少年がやってきた。
「あ?何やってんだお前。体調が良くなったんだろ?ならさっさと帰ればいいだろ。礼なんか要らねえよ」
戦いの時と同じ、冷ややかで鋭い目つきに戻っている。昨日の優しさが嘘のようだった。
「礼は不要だ。もし、良ければだが、君の旅に同行させてくれないだろうか。世界を見たいんだ」
「……」
ナレスの提案に、少年は複雑そうな顔をして首を振る。
「ダメだ。俺の旅は血生臭過ぎる。お前みたいな奴が来ていい旅じゃ無い」
「私が弱いと言うのですか!!」
「違う。お前の心の、考え方の問題だ。お前の実力は知ってる。俺とは真逆の、他人を救おうとする清く正しい考えだ。だが、俺は自分が良ければそれでいい、利己的で邪悪な考え方なんだよ。わかったら帰れ」
少年はため息を吐きながら手を雑に払う。それをされたナレスはわなわなと身体を震わせ、鬼の様な形相で少年に詰め寄った。
「舐めるのも大概にしなさい!私がその程度で折れるとでも思っいましたか!?絶対について行く!何がなんでも!」
少年は憤慨するナレスをジッと凝視する。そして、サッと踵を返してどこかに歩いて行く。
「待ちなさい!」
「五月蝿え。耳がつんざく。俺は買い物に行く。好きにしろ」
ぶっきらぼうに言った少年の言葉に、ナレスの表情は花が咲いたように明るくなった。顔が蕩けたような笑顔で少年の後について行く。
「何を買うんですか?教えてください」
「黙れ。阿呆みたいな顔しやがって」
少年に指摘され、すぐに表情を元のキリッとした真面目なものに直す。まだ気を抜くと蕩けてしまうようで、度々顔を揉んで直している。
表情を直すのに夢中になっていると、急に少年が止まり、背中にぶつかってしまった。痛む鼻を摩りながら顔を上げると、『交易商•マーチェル ナパージャ支店』と書かれた看板があった。
「有名な交易商直属の店ですね。ここで買い物を…?」
少年にそう聞くが、返答は返ってこない。不審に思ったナレスは、後ろから見える少年の背中を見つめる。
「少年…?」
「…いや、なんでも無い。少し懐かしかっただけだ」
少年はそう言い、また進み始める。ナレスは、少年声色がどこか寂しそうに感じた。
一通り買い物を済ませ、二人は街の外に居た。石レンガで綺麗に舗装された道とは違い、人が通る事によって踏み固められた土を踏み締める。
「次はマール共和国のピューロに向かう。山脈の東を通るが、険しい道のりだと予想される。途中の街で準備を万全にしてから進む」
「はい。行きましょう」
ゆっくりと歩き始める。これから何があるのかを考えながら、しかし、心の中は平然と凪いでいる。落ち着きがある。
風が吹き、木々が鳴く。ざわめきと共に、それは来た。水面を揺らす小石のように、それは穏やかな二人を荒らそうと飛び出してきた。
『ガルルルル…!』
森から飛び出してきた巨大な炎の狐。その身は風で揺らぎ、妖しく儚い炎は全てを喰らわんと猛る。
「お前…どこかで会ったか…?」
少年は徐に狐に話しかける。それを見ていたナレスは、なんのことかわからず、内心キョトンとしていた。少年は話を続ける。
「お前とは会ったこと無いはずだが、どこかで知っている雰囲気がする。何者だ?」
少年は警戒心を保ちながら、冷たい声で聞く。狐はら少年を睨みつけながら、何かを伝えようと口を開く。
『神の血を飲んだ子よ。私は炎の分身。女神の片割れである』
「っ!!」
『少しの間お前の事を見ていた。その力、その身に余る強大なものだ。悪いが、死んでくれ』
狐は、唸り声ともとれるしゃがれた声で少年にそう言った。少年はまさか女神に関係するものだとは思っておらず、冷や汗を流して動揺する。
着いていけないナレスは、一歩引いた所で一人と一匹の会話を聞いていた。話し終えた狐が、動揺する少年に襲い掛かる。少年は動揺によって判断が遅れ、今にも狐の燃え盛る牙で喰われそうになっていた。
「危ない!」
ナレスはその間に入り、素早く抜き放った魔力剣で防ぐ。女神の作った炎は魔力に近しいものであるらしく、ナレスの魔力剣で触れることができるようだ。
『その者の味方をするか。女』
「ええ、一応仲間と認められた身。仲間の事を守らずして、何が冒険者ですか」
「良くやった。ナレス」
少年は落ち着きを取り戻し、空間を破壊して狐の背後に回る。
「一つ聞く。狐、お前の主は今何をしている」
『それはわからない。私は作り出された炎に仮の魂を植え付けられた存在。私は女神とは切り離された一生命体だ。記憶の共有は、私が女神の元に戻り、消えた時のみできる』
「そりゃ儚いな」
少年はそう言いながら狐の懐に入って破壊した。
(『なっ!?』)
(見えなかった…!)
ナレスと狐は、少年の動きを捉えられず、一瞬で懐に入った少年に驚愕する。だが、少年はただ動いただけだった。普通に、ただ狐を破壊しようと。少年の動きは、あまりにも自然すぎたのだ。風が吹くが如く当たり前に、日が登るが如く平凡に。クルーとの戦いで身につけたのだろうか。前までの少年では出来なかった芸当であった。
地面に膝を突く狐。悔しそうな表情で歯を噛み締める。そんな狐に、少年は疑問を投げかけた。
「なぁ。関係の無い話になるが、聞いてくれるか」
『唐突になんだ』
「何故この街の人々は、クルーの攻撃があったのにも関わらず、翌日から…いや、その時から普通に過ごせているんだ?」
「『っ!!』」
狐だけで無く、ナレスまで驚く疑問だった。
「確かに、あんな惨状があって、人が黄金に変えられているのに何故誰もその事を口にしないの…?」
『何かが!おかしい!』
その時だった。空から鳥の羽根が落ちてきたのだ。バサリと翼を羽ばたかせる音が聞こえた。
三人が顔を上げると、燃え盛る剣を持った、神々しい天使が地に降り立とうとしていた。
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