十五話 小さな一歩
鉄臭い部屋に、少年は居た。
身体中が傷だらけで、骨もあらぬ方向に曲がっている。
身体の感覚は鈍く、唯一痛みだけがあった。
今までの虐待とはまるで違う痛みが少年の心を抉る。
「ァ…ァ…」
声も発せず、動くこともできない少年の腕を神官が持ち上げて引きずる。
神官は別の部屋まで少年を運ぶ。
「生きるか死ぬかは貴方次第です」
せめてモノ報いか、それとも拷問の続きか、神官は独房の中に少年を投げ入れた。
そして、懐から一冊の分厚い本を取り出し、魔法を詠唱する。
神官の魔力が光の十字架を作り出す。
その十字架はゆっくりと少年の頭上に移動し、その胸に突き刺さる。
その途端、少年が踠き苦しむ。
胸に激しい痛みが走り、痛みは熱となって全身に広がる。
少年の身体から白い煙が立ち昇る。
「これに耐えられれば、貴方は自由の身になるでしょう。悪魔が拷問の時点で現れるかと思いましたが、とんだ期待はずれです」
神官は踵を返して立ち去る。
一人残された少年は、苦痛に喘ぎながら神官を、宗教を、世界を憎んだ。
―――――――――――――――――
アレから一月が経った。
青く澄んだ空の下、教会の扉から少年は外へと出る。
あの拷問から一切食事をせず、治療も受けていない身体はひどく痩せ細り、感覚も殆ど無かった。
風が吹けばすぐに倒れてしまいそうな枝の様な足と、歪な形で治癒した左腕は醜く不気味に見える。
教会の前の道を行く人々は少年を見ては目を逸らし、逃げるように去ってゆく。
『どうやら悪魔は既に貴方の身体を捨てたみたいですね』
苦痛に耐え抜いた末に少年に投げかけられた神官の言葉が頭に残る。
普通だったら怒りを覚える筈なのだが、心が壊れた少年は何の感情も湧かなくなってしまった。
早く教会を後にしたい少年だが、空腹と貧血によって足元がふらき、倒れてしまう。
なんとか意識を保ち、立ち上がる。
立ち上がる際、曲がった左腕が酷く痛んだが、顔色一つ変えずに少年は歩き出した。
その歩みは遅く、ふらついていた。
やっとの思いで路地裏へと移動した少年は、いつかの自分と同じ様にゴミ箱を漁る。
酷く饐えた匂いが辺りに広がるが、それも構わずに食べられそうな物を探す。
野菜の屑を見つけた少年は、一心不乱にそれを食べた。
まだまだ腹は膨れないが、一月振りの食事に少年は涙を零す。
(涙…?無意識に泣いてた…?)
少年は無意識に溢れる涙に少し困惑したが、空腹感に襲われ、食べられそうな物は無いかゴミ箱を再度漁った。
ゴミ箱を一通り漁り、見落としていないかゴミ箱の中を見ていると、路地の奥から人の足音が聞こえてくる。
少年は路地の奥の薄暗闇を凝視する。
「お前さんや。何をしとる」
奥から現れたのは、腰の曲がった老婆であった。
老婆は少年を下から上に舐めるように見る。
老婆は不適な笑みを浮かべると、少年に近寄る。
「この国を出て東の山脈に行くが良い。道のりは険しいがお前の力になるものがあるだろう」
少年の耳元でそう囁くと、老婆は少年の手を握る。
「土産に持っていきなさい」
老婆はそう言うと闇の中に消えていった。
少年が手の中を見るとそこには、小さな瓶に入った赤黒く光る液体と硬貨の入った布袋があった。
少年は液体を凝視する。
飲みたい。飲まなければいけない。と言う衝動に駆られる。
まるで身体の中にある何かが少年を操るかのように自然に手が伸びる。
小瓶の栓を抜き、正体不明の液体を呷る。
口に入れた途端、血生臭い匂いが鼻腔に広がる。
普通不快に感じる筈の香りだが、何故か身体が歓喜する。
小瓶の液体はすぐに無くなり、少年は恍惚とした表情で物足りなさそうに小瓶を舐める。
「ッ!?」
少年が急に胸を抑える。
身体の中で何かが暴れるような感覚がする。
自らの陣地を広げるかのように痛みと熱がじんわりと広がる。
だが、次第に痛みは引き、何事もなかったかのように元に戻る。
「?」
少年は不思議に思いながらも、先程の液体をもっと飲みたいと言う欲求に駆られる。
(東の森…)
先程の老婆の言葉を思い出し、少年は街の外へ歩を進める。
通り過ぎる人々が曲がった左腕と痩せ細った身体に嫌悪の眼差しを向ける。
少年はそれに気がついたが、そんな些細な事よりもアレが欲しい。足を止めるのが惜しいと言うかのようにひたすらに歩く。
気がつけば白い街門に辿り着いており、遠くの方に険しい山脈が見える。
山脈の頂上付近には雪が積もっており、白い冠を被っているよう。
少年の本能は、その山脈にソレはあると強く反応しており、少年は獲物を見つけた獣のように涎を垂らす。
少年は逸る気持ちも抑えず、足早に街道を進んで行った。
―――――――――――――――――
深い森の中、麗らかな日差しを求めて木々が若葉を広げる。
その木の下を少年は歩く。
アレから三日、未だ山は遠くに聳え立ち、少年はイラつきを隠せずに辺りに当たる。
アレが欲しいと言う渇望が心の中を支配し、空腹も感じにくくなっていたが、流石に無理がある。
一ヶ月飲まず食わずに加え、死んでいてもおかしく無い程の大怪我をしていたのだ。生きているのが奇跡である。
少年は片っ端から雑草を毟って口に運び、舌に痺れを感じて吐き出すを繰り返していた。
少年の腹が食糧を求めて大声をあげる。
その時、少年は前方に何かを見つけた。
近寄るとそれは、何かに襲われて亡くなった人であった。傷は新しく、腐敗も殆ど進んでいない。
少年はその死体を見て笑みを浮かべた。その人は食糧を持っていたのだ。少年は袋に手を伸ばす。
袋の中には干し肉が入っており、少年の口腔が涎で満たされる。少年はすぐに干し肉にかぶりつく。塩味のみの質素なものだが、空腹と言うスパイスのお陰かこの上なく美味しく感じる。
気がつけば袋の中の干し肉は全て無くなっていた。
まだ足り無さそう袋を眺めるが、諦めて袋を投げ捨てる。
他に有用そうな物は無いか死体を漁る。ナイフに硬貨に謎の薬に死体が身に纏っていた服。
少年は服を着替える。ローブもあった。歪んだ左腕を隠せるうえに、恐らく知れ渡っているであろう顔も隠せた。
少年が再び進もうと立ち上がると、背後から気配を消して何かが襲いかかってきた。
咄嗟に避けようとするが、足がふらつき避ける事が出来ずに攻撃を喰らってしまう。
思い一撃が少年の右半身を襲う。
吹き飛ばされた少年は木にぶつかって倒れる。
少年を吹き飛ばした正体は巨大な熊だった。丸太のような腕で少年を殴り飛ばし、倒れた少年を見て涎を垂らす。
熊は賢く、執拗な生き物だ。倒れた人を餌に新たな獲物を誘き寄せる。少年は罠に嵌っていたのだ。
熊は心なしか笑っているかのような表情で少年にゆっくり近く。
少年は必死に起きあがろうとするが、鈍い痛みによってうまく身体を動かせない。
(立て立て立て立て!)
心の中で自分を鼓舞するが、状況は変わらない。
「…ぅぉおおおおおお!」
雄叫びをあげて何とか立ち上がる。少年はすぐさま構えを作って熊を睨む。だが、重い身体には力が入らず、構えるのもやっとだった。
今この状態では熊が少年を殺すのは容易い事のように見える。実際、容易いのだが、少年はまだ抗おうとしている。
熊は早く事を終わらそうと、立ち上がって少年に腕を振りかざす。少年はそれを大袈裟に避け、地面を転がりながら体勢を立て直す。
熊は今の一撃で仕留められなかった事に対して苛立ったのか、雄叫びを上げた後その巨大な身体で少年を吹き飛ばそうと突進する。
少年は深呼吸をしながらタイミングを測り、最小の動きで避ける。
熊はすぐさま向きを変えて少年に再度突進しようとした。しかし、突然腕に痛みが走り足が止まる。
痛む場所を見るとそこには、そこそこ大きな切り傷があった。切り傷からはじんわりと血が染み出し、ツーっと雫が垂れてゆく。
熊の突進を避ける際、先程死体から奪っていたナイフで熊を切りつけたのだ。
熊は傷口を一舐めし、少年を睨む。少年も熊の動きに対応する為に熊を凝視する。
双方はゆっくりと円を描きながら間合いを保つ。
先に動いたのは熊の方であった。
熊はその強靭な顎で噛みつこうとするが、少年は間一髪で避ける。更に熊が追撃するが、少年は避けながら少しずつ熊を切りつけて傷をつけてゆく。
気がつけば熊の身体中に傷が刻まれていた。
熊は焦ったように少年を攻撃しており、最初の頃よりも遅く雑になっていた。
少年は避けている最中に笑みを浮かべた。
その突如、熊の身体がガクンと落ちる。
少年はその隙を待っていたと言わんばかりに熊の頭にナイフを突きつけた。
だが、熊もただではやられない。
頭を振り回して少年を投げ飛ばす。
少年はナイフを掴むが、ナイフは抜けてしまった。
熊は倒れる。身体がビクビクと痙攣し、次第に力が抜けていった。
(ふぅ…)
少年は息を吐き、足元を見る。
そこには小さな窪みがあった。
熊が嵌ったその窪みは少年が避けている最中に作った物であり、少年の策略勝ちと言う訳である。
(魔法が使えた…)
何度も使って小さな窪みが作れる程度だが、少年の魔法が使える様になっていたのである。
それが何故かはまだわからないが、確実にわかる事は、魔法は元に戻ると言う事であった。
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