7話 花楓の暖かさ
柚のマンションの玄関まで柚を送り届け、家に帰り着いた僕が玄関を開けて「ただいま」と言うと、花楓がエプロン姿で「おかえりなさい」とにっこり笑って出迎えてくれた。僕の妹だと思えないくらい、よくできた妹。
家が父子家庭で父親が単身赴任しているため、僕と花楓の2人暮らしだ。花楓は小学校の時から、家事に興味を持ち始め、中学校2年生の今では家事全般もでき、料理も得意というすごく家庭的な妹になった。
花楓は自分では反抗期があったと言っているが、僕からみると可愛くて、よくできた妹だ。毎日、花楓の顔を見る度に感謝の気持ちが湧いてくる。花楓は眼鏡っ子のことを気にしているが、僕は花楓のおかげで眼鏡っ子が大好きになった。だから眼鏡っ子のままでいてほしいと心の中で思っている。コンタクトに変えないでほしい。
しかし、花楓は密に高校生になったらコンタクトに変えて、イメージチェンジをしようと考えていることを僕は知っている。その時は寂しいけれど花楓が喜ぶなら、笑顔で褒めてあげようと思う。
リビングのソファに鞄を置いて、ダイニングテーブルの上を見ると簡易コンロが置かれていて、その上に鍋がおかれている。鍋の中身をみると、おでんの具がぎっしりと入っていて、おでんの美味しそうな匂いが食欲を誘う。
「今日は、お兄ちゃんの大好きなおでんだからね。少し寒くなってきた時期だし、ちょっと時期的に早いかなって思ったけど、お兄ちゃんが大好きだから、今日は奮発して頑張りました」
おお、確かに花楓の作るおでんは僕の中では世界一美味しいと思っている。今日は柚の笑顔も見えたし、良い1日だったな。花楓?どうしてお兄ちゃんの体をクンクンと嗅いでるのかな?僕の体から何か変な匂いでもしてるのかな?
「お兄ちゃん、甘くて優しい香りがする。これ女性の香水の香りだよね。お兄ちゃんはいったい予備校で何を勉強してきたのかな?」
自分のコートの匂いを嗅いでみると、爽やかで甘くて優しい香りがする。柚の香りだ。柚って香水をつけていたのかな?いつも柚から良い香りがしてたけど、どうして花楓に柚の残り香がわかるんだ?
「今日は満員電車に乗って帰ってきたから。目の前に女性の人が立っていたから、揺れた時に体が当たったりしていたから香りが移ったんじゃないかな」
花楓は眼鏡をクイっと持ち上げる。すると眼鏡がキラリと光る。そして僕を半眼でジーっと見つめる。
「ウソ。満員電車で女性とぶつかっただけで、こんなに香水の香りが残ったりしないもん。それにこれは何かな?」
花楓は僕のシャツに手を伸ばすと茶色の長い髪の毛を1本摘み取る。そして僕の目の前に掲げた。
柚の髪の毛だ。僕にしがみついていたから、髪の毛がコートについたのかな。そんなの確かめられないよ。
「まだあるわよ。決定的な証拠。お兄ちゃん、シャツの胸の部分をよく見て」
僕は何気なく、自分のシャツを見て慌てた。シャツに柚のベージュのグロスの色がついている。これはダメだ。花楓に隠し通せる自信がない。僕は途方に暮れて天井を見る。花楓が僕の袖をつかんで、飛んでいきそうになる僕の意識を体に戻す。花楓は可愛くにっこりと笑っているけど、目の奥が笑っていなかった。
「今日、バイト先に友達がやって来てね。今日は友達と一緒に電車に乗って帰ってきたんだ。満員電車だったから、女友達を庇っていたんだけど、その時に電車が揺れて、女友達がビックリして僕にしがみついたんだよ。その時に唇が当たったんだと思う」
花楓に正直に話をするとウンウンと頷いて聞いてくれた。そしてジト目で僕を見る。
「へー。お兄ちゃんにそんなに親しい女友達なんかいたんだ。私、そんなことなんて聞いてないよ」
「この間、僕が救急車を呼んで、巽総合医療病院に運ばれた女の子の話は花楓も知ってると思うけど、偶然、同じ予備校だったんだ。それから、彼女の友達とも知り合いになってさ。今日は偶然、バイト先の喫茶店に来てくれたんだよ」
花楓は頷いた後、小首をかしげて、指で唇を押さえて、何かを考えている。
「その女の子って可愛いの?お兄ちゃんの好み?」
なんてことを聞き出すんだ。そんなこと答えられるわけないだろう。確かに柚はきれいで可愛い美少女だと思う。ツンツンしているけど、それも慣れれば可愛いと思うから。なんて妹に言えるわけがない。
オドオドした様子で僕が黙っていると、花楓が意味ありげな笑いをする。
「助けた女の子が、お兄ちゃん好みの女の子で良かったね。花楓もそのお姉ちゃんに会いたいな。今度、家に連れてきてよ。ご挨拶したいし」
なにを言ってるんですか。やっと柚と話ができるようになってきたばかりなのに、そんな難易度の高いことを要求されても困る。
「柚が了解した時に連れてくるよ」
「へーもう名前呼びですか。相当、仲良さそうだね」
「部屋着に着替えてくるよ。花楓が作ってくれた美味しいおでんを早く食べたいからね」
これ以上、追及されてはたまらない。僕は足早に階段を登って自分の部屋へ逃げこんだ。部屋の中へ入ってコートを脱いで、柚の髪の毛がついていないか点検する。大丈夫そうだ。コートをクローゼットに入れて、シャツを脱いで、シャツの匂いを嗅ぐと、爽やかで甘くて優しい柚の香りが残っている。シャツ匂いを嗅いでるなんて、僕がおかしくみえるな。もうシャツの匂いを嗅ぐのは止めておこう。花楓に見られたら、何を言われるかわからない。
部屋着に着替えて1階へ降りると、ダイニングテーブルの上のコンロに火が点けられていて、おでんがいい感じになっている。僕が椅子に座ると、花楓も椅子に座って、僕の器にご飯をよそってくれて、器の中におでんの具を入れて、目の前に置いてくれる。
花楓の動きがなんだか嬉しそうだ。さっきまでと様子が違う。
とにかく目の前におでんを置かれては、もう我慢できない。「いただきます」と言って、僕はおでんを頬張る。メチャ美味しい。やっぱり花楓のおでんは世界一だ。僕の顔が笑顔でいっぱいになる。それを見て花楓がクスクスと笑う。
「お兄ちゃんって顔の表情が乏しいっていうか、無表情だけど、おでんを食べてるときは笑顔がいっぱいだね。すごく幸せそうに食べてくれるから、作った私も嬉しくなるよ」
そうか普段はそんなに表情に乏しいかな。自分では自然体でいるだけなんだけどな。
「こんな不愛想なお兄ちゃんにとうとう彼女ができたなんて。これで私も心配事が1つなくなった。良かったね」
僕は思わず、おでんの具を口から噴き出しそうになった。花楓がすごい誤解をしている。こんなの柚に聞かれたら、睨まれるだけで済まないよ。
「花楓、勘違いしてはいけない。お兄ちゃんは女の子の友達ができただけだよ。それも2人いるからね。柚っていう子と夏希っていう子、後、男友達もできたんだ。俊輔っていうんだけど、気持ちいい奴でさ」
「そうなんだね。女の子2人と男友達が1人なんだ。女の子が1人余っちゃうね。お兄ちゃんチャンスだよ。頑張らないと。私、ずっと心配だったの。お兄ちゃん、ずーっと小さい時から女友達いなかったでしょ。お兄ちゃんに一生彼女ができなかったら、花楓はお嫁にいけないじゃん」
花楓、僕のことを一生面倒見てくれるつもりで、今からいたのか。なんと言えばいいんだろう。不甲斐ないお兄ちゃんでごめんなさい。そしてありがとう。
「お兄ちゃんとこうして一緒におでんを食べるのも楽しいから、私はもう少しこのままでもいいからね」
花楓は可愛い笑顔でにっこりと微笑んだ。その微笑みはすごく暖かくて、僕は花楓に感謝した。




