5話 満員電車
俊輔と夏希と柚はマスターの好意で、窓際の特等席で3人でテキストとノートを開いて勉強をしいてる。
僕もお客様がいない時は時々、柚の隣に座って、柚がペンで頭をコリコリしている、つまづいている問題の解説をしたり、一緒に問題を解いていく。問題に夢中になりすぎて、柚の顔が真横にある時がある。気が付いた時には、足を踏まれて、距離を取られてしまう。今日だけで何回、足を踏まれただろうか。靴が心配だ。
夜も遅くなって3人も帰り支度に入る。マスターが「圭太くんもバイト終わっていいよ」と言ってくれたので、エプロンを片付けて、マスターに会釈をして、僕も帰る用意をする。
予備校と駅の間に喫茶店シャロンはある。駅から徒歩10分もかからない場所だ。4人で一緒にマスターに挨拶をして店を出て、駅まで道を歩いていく。俊輔と夏希が前、僕と柚が後ろを歩く。
俊輔と夏希は仲がすごく良い。恋人同士かと思っていたんだけど、2人に聞くと「腐れ縁」という言葉が2人から返ってきた。本当にお似合いだと思うんだけどな。
俊輔と夏希と柚は中学時代からの同級生で、はじめは3人で仲良く外で遊ぶことが多かったという。高校に入学してすぐに柚がストレス性の慢性喘息を発症し、季節の変わり目や、寒暖の激しい時、激しい運動ができなくなり、柚は家に直接帰ることが多くなり、段々と2人だけで遊ぶようになったそうだ。
今も駅近くの繁華街へ2人は遊びに行きたいような話を前でしているが、今日は柚と一緒に帰ることに決めたみたいだ。2人は柚と一緒にいるときは、必ず柚の体調へ気遣いを忘れない。本当に良い友達だ。
駅に着くと、丁度、サラリーマンやOLの帰る時間帯のピークと重なってしまったようだ。運が悪い。でもピークを過ぎるのを待っていると2時間もかかってしまう。これは覚悟を決めて、満員電車で帰るしかない。
最近では、4人で電車で帰ることが多い。しかし、いつももう少し早い時間に電車に乗るので満員電車のピークと重なることがなかった。それでも人が多かったけど、満員電車よりマシだ。
駅のプラットホームへ登っていくと、電車を待っている人々でプラットホームは満員状態だ。俊輔がすばやく僕に近づいてきて耳元でささやく。
「俺は夏希の面倒を見るから、柚の面倒は圭太が頼むな。満員電車だから4人固まって乗ることは難しいだろう。柚のことを頼むな」
僕は無言で頷いた。最近、電車に乗る時に柚をエスコートするのは僕の役目になっているらしい。毎日のように僕は柚を守るように、電車に乗るのが常になっている。
電車が到着し、多くの人々が電車から降りてくる。そして入れ替わるように電車に人々が乗り込んでいく。僕はなるべく柚の体に手を触れないようにして、手すりを手で持って、座っている人と僕の間に柚の細い体を入れるようにする。
柚の体が間近にあるので、僕は自然と緊張してしまう。柚の体から優しい甘い香りが漂ってくる。やっぱりきれいで可愛い女の子は香りも違うんだなと、僕は勝手に解釈をしている。
電車が走り出す。その振動で電車が前後に揺れる。柚が小さな声で「キャ」と言い、僕のコートの端を手で握りしめる。最近では珍しくないパターンになっている。満員電車なので、僕の後ろに立っているサラリーマンが無理やり場所を開けようと、体を押してくる。僕は柚をつぶさないように必死にサラリーマンの体重を支える。
電車が左右に揺れた。僕のコートしか握っていない柚のバランスが崩れる。僕はとっさに左手を柚の腰に手を回して、柚がコケていかないように支える。凄く細い腰。そしてすごく柔らかい。今にも折れそうに感じる。思ったより柚の体重が羽のように軽い。僕は柚の体をふわりと支える。
柚は僕のコートを両手で握りしめて、必死に自分で立とうと踏ん張っている。そして上目遣いに僕をキッと睨んで、僕の右足を思いっきり踏みつける。
「腰を触らないで。こんな所で何考えてるの。痴漢って言うからね」
「仕方がないだろう。電車も揺れてるし、柚も不安定だし、僕が支えていないと柚がコケたら大変じゃん」
「ムー!」
柚は黙ったけれど、どこか不満気だ。そして頬のピンク色が段々と赤に染まっていく。照れているのがわかる。可愛いな、と思っていたら、もう一度、足を踏まれた。
「人の顔をジロジロと見ないで。恥ずかしいでしょう」
「わかった。天井を向いてるよ」
僕は仕方なく、柚から視線を外して天井に顔を向ける。
満員電車なのが原因なのか、今日の電車は揺れが酷い。そして、駅に着く度に人の乗り降りがあり、その度に体制を立て直さないといけない。僕は脚の幅を大きく取って、柚の小さな体を守るように立つ。
電車がまた横揺れを起こす。柚は頑張って立っていたが、今度は僕の体に倒れ込んでしまった。傍から見たら、柚が僕の体に抱きついたように見えただろう。
僕は必死で天井を見つめる。今、柚と目を合わせてはいけない。絶対に睨まれて、また足を踏まれる。暫くの間、柚は僕の顔を見ていたようだが、僕が顔を天井に向けているのがわかると、僕の胸の中で安堵の息を漏らしているのがわかる。
今までも一緒に電車に乗って帰ってきたけれど、これほど柚と密着したことなんてなかった。僕もすごく緊張する。柚は僕のコートを両手で握りしめて、僕の胸の中に立っている。
電車が揺れる度に「キャ」と言って、柚が僕の胸の中へ飛び込んできて、しがみつく。嬉しいんだけど、ここで笑顔になることはできない。真剣な顔で天井を見つめる僕。
電車がガタンと大きく揺れた。手すりを持っている僕もバランスを崩す。「キャ」という柚の声が聞こえたので、咄嗟に左手で柚の体を抱きすくめて、僕の胸の中に抱き寄せる。
柚が小さい声で「恥ずかしいよ」と漏らしている。手を離してあげたいけど、電車が揺れるので手を柚の体がから離すことができない。手を離すと柚がコケて危ない。柚は僕の胸の中で顔をオロオロさせているのがわかる。
下を向くわけにもいかず、顔をキョロキョロとさせると、俊輔が手すりを持って、仁王立ちになって夏希を抱きしめて、僕を見てにっこりと笑っている。
俊輔、そちらは良い思いをしているかもしれないけど、こっちは相手が柚だぞ。確かにきれいで可愛くて美少女だけど、香りもいいけど、後で何を言われるかわからないんだぞ。僕は俊輔に目で訴えるがスルーされた。
やっと3つ目の駅に到着し、僕達は満員電車の中から無理やりに放り出される。柚は僕からすぐに離れて、夏希の腕にしがみつく。顔が真っ赤で、ビクビクしながら、僕を睨んでいる。それを見た夏希が、ニヤニヤと笑う。
「圭太、満員電車を利用して、柚を抱きしめるなんてアクドイこと考えるわね。柚、ビビちゃってるじゃない」
誤解だ。大きな誤解だ。僕は必死で柚を守っていただけだし、なるべく紳士的に対応したよ。全て電車の揺れが悪いんだ。文句なら電車の運転手に言ってほしい。僕は無実だ。
俊輔が笑いながら、僕の肩をポンと叩く。
「今日は満員電車だったし、揺れも大きかった。俺も夏希を守るのに必死だった。夏希もそのことは知ってるだろう。あんまり圭太をからかうなよ。それに柚が本気にしてるぞ。柚、勘違いするなよ。圭太は守ってくれたんだからな」
ありがとう俊輔、お前だけが僕の心の友達だ。
柚がツカツカツカと僕に歩いてきて、顔を真っ赤にして、すこし涙を浮かべた跡がある。
「あの・・・・・・電車の揺れから守ってくれて、ありがとう。でも抱きすくめるのはやり過ぎよ」
僕の右足を思いっきり踏みつけて、逃げるように夏希の元へ返って、夏希の後ろに体を隠してしまった。夏希の体に隠れて、僕に顔を見せようとしない。
皆で駅のホームを降りて階段を降りていく。その間、柚は夏希にしがみついて離れない。俊輔はケラケラと笑っている。僕はどうしていいかわからない。
改札を出て、少し歩いた所で、柚が僕の隣に歩いてきて、小さい声で「ありがとう」と呟いた。それを見た夏希と俊輔はニヤニヤと笑っている。そして俊輔が大声で僕に呼びかける。
「俺と夏希は柚と家の方向違うからさ。圭太と柚は同じ桜田区だろう。柚、圭太に家まで送ってもらえよな。今日は俺と夏希で帰るわ。圭太、後のこと、よろしく」
そう言って、俊輔は夏希の肩を抱くと、背を向けて手を振って、2人でいつもと違う方向へ歩いていった。
いつもなら、柚の家まで俊輔と夏希と僕の3人で送っていって、そこから僕が分かれて帰っていたのに、いつもと違うじゃないか。俊輔、心の友じゃなかったのかよ。僕はどうすればいいんだよ。
「柚、ここに立っていても仕方がない。僕が送るよ。一緒に帰ろう」
「私、1人でも帰れるわよ。放っておいて」
「俊輔と夏希にも頼まれてるし、女の子1人で夜道を帰るは危ないよ。僕が送っていく」
「勝手についてくれば、私帰るし」
はぁ、やっと少し仲良くなれたと思ったのに、そうですか。僕は途方に暮れて夜空を見上げる。空には満天の星空が輝いていた。気づけば、さっさと柚が先に歩いて帰っている。僕は駆け足で柚を追いかけた。




