34話 柚の意識が戻る
ICUの受付に行く。看護婦へ広瀬柚の面会できたことを説明する。柚の兄である瑛太さんから届け出てもらっていることを説明する。看護婦がファイルを見て僕を確認する。僕は書類上、柚の婚約者になっている。看護婦から面会カードをもらって、首にかけて僕はICUの病室へ入っていく。
柚が倒れて3日目に柚は意識を取り戻した。しかし、それからの3日間は意識が朦朧としている状態で、僕が面会に行っても、僕の顔をボーっと見ている状態で、意識はまだ飛んでいる状態だ。まだ、きちんと意識が安定していないかった。
その後3日間の間に、段々と意識がはっきりとし始めている。時々、意識が戻ってくるのか、僕の顔を見て、涙を流して嬉し泣きする。まだ、柚の両手にはグローブのような手袋がはめられていて、手足は縛られたままだ。意識がはっきりと安定し、精神が安定するまで、拘束を外せないと看護師から説明を受けた。
拘束されている姿を見るのが辛い。ICUにいる患者のほとんどは重症な患者様ばかりなので、手足を拘束されている人も多い。手足を拘束されていると体が動かせないから、すごく辛いだろうと思う。
人間は少しでも自由でいたいものだと思う。だから拘束されているのを見るのは辛すぎる。しかし、体中に検査機の末端が貼られ、血管に何本も点滴や投薬用の針が刺さっている。下手に体を動かすと出血を起こす可能性がある。だから精神が安定するまで拘束具を外すことができない。酷い仕打ちに見えてしまうけど、ICUでは必要な措置だと看護師から説明を受けた。
心の中でそう言い聞かせて、僕は今日も柚の面会へ向かう。柚のベッドへ行くと、まだ拘束具は外れていなかった。手足も縛られたままだ。しかし、酸素マスクが口と鼻の全体を覆うタイプから、鼻だけのタイプに変わっていた。僕がベッドの傍に立つと、柚の目が開く。長いマツゲがフルフルと揺れている。
この1週間で柚はどれほど体重が落ちたのだろうか。健康的な美少女だった柚は、今はベッドの上で薄幸の美少女のように見える。ベッドを少し斜めにしてもらっているほうが呼吸がしやすいのか、ベッドの頭の角度が上がっている。
柚は大きなクリクリした目を動かして僕を見る。今日は目の焦点が合っている。しっかりと僕の顔を見ている。今は意識が戻ってきているようだ。
「圭太、来てくれたのね。1カ月もずっと来てくれないから、私、寂しかったのよ。すごく寂しかった。柚を置いていかないで。1か月も恋人に会いに来ないなんて、圭太は私を愛してくれてないの?私はすっごく圭太のことを愛しているのに!」
「柚が倒れてから今日で1週間しか経ってないよ。柚、それは夢だよ。柚は1週間、悪夢を見ていたんだ。僕は毎日、面会に来ていたんだけど、柚の意識が飛んでいて、僕のことがわからなかったんだよ」
柚は1か月間もICUに入院していると思っているらしい。看護師の説明では、患者が意識のない状態の時や、意識が朦朧として時は、時間感覚も狂っていることもあるらしい。悪夢を見ていることもあるという。現実に意識が戻ってきていて、意識がはっきりしてからも、その体験を生々しく覚えていて、実体験したように感じる患者もいるそうだ。
看護師に言わせると、患者が意識を取り戻してすぐの時は、心が弱っているため、素の自分が出ることが多いという。だから、柚が今までに発したことないようなことを言っても、驚かないように僕は注意を受けていた。
「圭太が言うんだからそうかもしれないけど、私にとって、この1週間は1カ月以上に感じたの。圭太を探して、病院の中を歩こうとするんだけど、体が縛られているから、歩いて探しにいけないの。時々、圭太の声が聞こえるから、圭太って呼ぶんだけど、圭太はほんの少ししか、私の元に来てくれなくて、すぐにどこかへ行っちゃうの。あれは私の夢だったのね。すごく安心した。圭太は1週間、私に会いに来てくれていたいんだ」
「そうだよ。面会時間は決められているから、そんなに長居はできないけど、柚に会いに毎日、ここに来てたよ」
柚が安心したような顔で微笑む。とても無邪気な微笑み。少し年齢退行でも起こしているのかと思うぐらいに無邪気な微笑みを浮かべている。
「私、すっごく分かったの。私はすっごく圭太のことを愛してる。圭太がいないと生きていけない。圭太の傍にずっといたい。圭太とずっと一緒に居たい。本当の私はそう思ってたんだって、分かったの。こんな私でも圭太は愛してくれる?」
「僕は柚のことが大好きだよ。一目惚れだよ。今でも柚に恋してるし、柚のことを愛してる。柚を失いたくない。柚が早く元気になって、ずっと一緒に居られるようになるのを僕は待ってるよ」
「本当、嬉しい。圭太、キスして!」
ICUは他の患者が見えないようにカーテンで全て仕切られている。でも天井には監視モニターが設置されていて、24時間体制で患者は監視されている。まだ意識を取り戻したばかりで、安定してない柚の体に僕が触れようとすれば、看護師が飛んでくるかもしれない。拘束具が外れるまでは絶対安静なんだから、僕から手出しすることができない。
柚からキスしてほしいなんて言葉が飛び出すとは思わなかった。でも今は素の状態だし、無邪気な状態のようだから、柚も素直に口に出せているんだろう。今までの柚なら考えられないことだ。
僕も柚にキスしたいけど、24時間体制で看護されている患者、拘束具をつけられて手足をベッドに拘束されている患者にキスしていいものかわからない。たぶんダメだと思う。柚の気持ちは嬉しいけど、もう少しの間、我慢してもらおう。段々しっかりしてくると元の柚に戻っていくらしいから、その時には今のように素直に自分の心の中を言ってくれなくなるかもしれないけど、それは仕方がない。柚が元気になってきた証拠だから。
「僕も柚にキスしたい。でも今はICUで治療している最中だから、それに意識もまだハッキリしてきただけで安定してないし、拘束具も外れていない。ICUから出て、一般病棟に移ったらキスしよう」
「本当!嬉しい!早く一般病棟に移らないかな」
正直、柚の性格の変貌ぶりに面食らってしまって、僕の頭は上手く機能しない。どう対処していいかわからない。でも、柚の嬉しそうな顔を見て、僕の顔をも自然と綻ぶ。
「予備校では俊輔と夏希も待ってるし、喫茶店ではマスターと明日香さんも待ってるよ。それに一番、柚のことを心配している瑛太さんも待ってる。もちろん僕も柚が元気になるのを待ってる。早く元気になって一般病棟に移ろうな」
「うん。早く一般病棟に移れるように頑張る。でも何をすればいいのかな?」
医師の指示を素直に聞くことぐらいしか思いつかない。
「医師の先生の言うことと、看護師や看護婦の指示に従うこと。あとはリラックスして意識を安定させること、落ち着くこと。それが一番の近道だと思うよ」
「わかったわ。圭太のいうとおりにやってみる」
今日の柚は意識がハッキリしていて、僕と面会している間、始終、無邪気に微笑んでいる。これなら一般病棟に移れる日も近いかもしれない。
「時間が来たから、僕は帰るけど、柚、また明日来るから安心してね」
「もう帰っちゃうの。ヤダ。私、寂しいよ。もっと圭太と一緒にいたい。お話したい。傍にいたい」
柚が自分の気持ちをストレートに表現する。すごく嬉しいけど、すこし恥ずかしい、でも嬉しい。
「僕も一緒の気持ちだよ。でも病院のルールなんだ。ルールを破ると面会に来れなくなる。面会できなくなってもいいの?」
柚が可愛く頬を膨らませる。とても可愛い。
「それはヤダ!絶対にヤダ!圭太に会えなくなるのはヤダ!明日も絶対に会いに来て。約束よ」
「約束する。明日も必ず会いに来るから待っていてね」
柚はすごく嬉しそうに微笑む。その微笑みがすごく可愛い。本当は僕だって、ずっと柚の傍にいたい。でも面会時間は終わりを告げる。
「明日、必ず、会いにくるからね。それまでリラックスして待っててね」
「圭太、愛してる」
柚は微笑んで、頷いた。僕は柚に手を振って、カーテンを開けて、柚のベッドから離れてICUの廊下を歩く。そして受付に面会カードを返却してICUから廊下に出る。
医師から説明を受けたが、ストレス性慢性喘息がこんなにキツイ病気だとは思ってもみなかった。医師の話では手遅れになった時には呼吸困難で命を落とすケースもあるらしい。これからは僕も気を引き締めて、柚の体を労わっていこうと心に誓った。柚にもうこんな思いはさせたくない。柚は僕が守ると決意を新たにする。




