1話 プロローグ
喫茶店「シャロン」のバイトが終わり、コートをまとって夜空を見る。街の中心部からでは街灯やネオンが多く輝き、夜空は明るく、夜空に雲がかかっていることしかわからない。色のない風が街中を通り抜けていく。
街灯やネオンが輝く道路を歩いていると、行き交う人々がある電柱の近くを注目しながら歩いていく。僕の歩いている場所からでは、電柱に隠れて全体は見えないが、人が倒れているように見える。
今の時代、誰でも厄介事には拘りたくない。避けて通るのが普通だろう。酔っ払いでも倒れているのかもしれない。絡まれたら厄介だ。僕も早く立ち去ったほうがいいだろう。そう思って歩く速度を速める。
電柱を通り過ぎると、電柱の隣にあるシャッターに赤のコートをまとった女性が、両手でコートの胸の部分をギュッと握りしめて、俯いている。顔はよく見えないが、何だか苦しそう。
これは酔っ払いなんかじゃない。病気で苦しんで倒れているんだと、僕の直感がささやく。僕はゆっくりと彼女に近づいて、肩を指でつつく。
「大丈夫ですか?なんだか苦しそうですけど、どこか苦しんですか?」
「・・・・・・」
彼女からの返事はない。彼女の手の中に呼吸器があるのが見える。喘息発作だ。今まで街の雑踏に消されて聞こえなかったが、よく彼女の呼吸音を聞いていみると「ゼイゼイ」と苦しそうな呼吸音が聞こえる。
一瞬、僕は迷う。救急車を呼ぶのは簡単だ。しかし、救急車を呼べば、僕まで厄介事に巻き込まれる。たぶん彼女は意識が朦朧した状態だと思う。自分で話をすることもできないかもしれない。救急車への同乗者が必要だろう。救急車を呼んだ僕が、通報者となって同乗していかないとダメになる可能性が高い。
誰でも厄介事に巻き込まれるのはゴメンだ。それが今の世の中の暗黙のルール。
でも、このまま放置しておくと、倒れている彼女は段々と病状を悪化させていく可能性が高い。僕は喘息の知識を持っていないけれど、喘息でも一刻を争う場合があるかもしれない。何にでも悪性というものはある。
やっぱり、助けてあげなくちゃ。僕はバイトが終わったばかりで、この後の予定もない。この後に何時間か厄介事に巻き込まれたとしても、何の問題もない。フッとため息をついてコートからスマホを取り出して119を押して、救急センターに連絡をする。
スマホの向こう側にいる担当者の方から、病状を聞かれるが、僕には手に持っている呼吸器しかわからない。そのことを説明し、彼女が返事もできず、呼吸音がおかしいことを伝えると、すぐに救急車を向かわせると対応してくれた。
10分ほど待つと遠くから救急車のサイレンの音が近づいてくる。僕は彼女の肩を持って「救急車を呼んだから、後少しの辛抱だよ。頑張って」と小さく声をかける。彼女からは何の反応も返ってこない。
救急車が到着して、救急車の中から救急隊員が3名、降りてきて彼女の救助にあたる。僕は邪魔だからと言われて、救急車の近くに立って、彼女が救急車の中へ運ばれていく様子を眺めているしかない。
さすが救急隊員は手慣れていて、すぐに彼女を救急車の中へ搬送していく。彼女を救急車の中へ運び終えると、救急隊員の1名が僕に近寄ってきた。発見した時の状況を聴きたいという。できれば救急車の中に入って、状況を聞かせてほしいとお願いされたので、僕も救急車の中へ入る。
救急車の中へ入ると通報者として名前を聞かれた。僕は素直に自分の名前、柏木圭太と名乗る。喫茶店のバイトの帰りに、路上で彼女を発見して通報したと説明した。
初めて彼女の顔をはっきりと確認する。茶髪のネオエフォートレスミディにカットされた髪、小さな小顔、鼻筋はきれいに通っていて小鼻、形の良い唇がはっきりとわかる。目を伏せられていて、眉根が寄っていて苦しそうだ。顔色も蒼白で、唇の色も青い。救急隊員が酸素マスクを彼女の顔に装着する。すると少し苦しみがマシになったようで、彼女の眉根が和らぐ。
きれいな美少女だ。変な男性に街中のどこかに連れ去られなくてよかった。どこにでも危ない奴はいる。
救急隊員が彼女の鞄の中を改める。生徒手帳のようなものを取り出す。その手帳は八神進学予備校の生徒手帳だ。僕と同じ予備校に通っている生徒だったのか。僕はあまり予備校の生徒達と交流もしていないし、顔と名前を覚えるのが大の苦手だから、彼女のことを思い出せない。
救急隊員に質問されて、同じ予備校に通っている彼女だが、交流はないと回答する。
救急車が走りだした。彼女を受け入れてくれる病院が決まったらしい。巽総合医療病院だ。僕もお世話になっている、この街では一番大きな病院だ。
救急車はサイレンを鳴らし、救急隊員は交差点ごとにスピーカーから指示を出して、巽総合医療病院を目指す。救急隊員は彼女の体温を測ったり、血圧を測り、酸素濃度を測ったり、忙しく動いている。
僕は救急車の長椅子の隅で、自分の鞄を膝の上に置いて、体を小さくしているしかない。
15分も救急車で走ると、巽総合医療病院に救急車が着く。救急搬送口から、彼女をベッドに乗せたまま、看護婦が病院内に運び込んでいく。救急隊員が僕に近寄ってきて、看護婦の後ろへ付いていき、これからは看護婦の指示に従ってくださいと話しかけてきた。
彼女の搬送ベッドを追いかけて、看護婦の後ろを走る。彼女は治療室の中へ搬送されていった。看護婦達も治療室へ入っていく。
僕はただ一人、治療室の前の長椅子で、彼女の病状が悪化しないように祈るしかなかった。
看護婦の一人が出てきて、僕の隣に座って、彼女がどの路上で倒れていたのか、詳細に教えてほしいと聞いてきた。僕だって、通りがかっただけで、細かい所はわからない。でも見たままを答えていく。
看護婦から、あのまま路上で放置されていれば、彼女の病状は悪化して、命に係わる大事になっていた可能性が大きかったと説明を受け、救急車を呼んだ措置について感謝の言葉をもらった。今は彼女の病状は安定に向かっているということだ。
彼女の名前は広瀬柚と言うらしい。
これが僕・柏木圭太と広瀬柚の初めての出会いだった。
潮ノ海月です。新作となります。ちょっと切ないラブスーリーです。
応援よろしくお願いいたします。(*^▽^*)