16話 僕の祈り
救急車が巽総合医療病院へ着く。救急車の後ろのドアが開いて、搬送用のベッドに乗せられたままの柚がICUの中へ運び込まれる。救急隊員の方が柚の病状を看護婦に伝えている。僕は照明の明かりが乏しい廊下の長椅子に座って、柚の病気が快方へ向かうように祈る。
長椅子に座っていると緊急搬送用の出入り口から瑛太さんが現れた。僕に手を挙げて、目の前を通り過ぎるとICUの受付窓口で受付けの看護婦を何かを話している。そしてゆっくりと歩いて、僕の近くへ立つ。
「発見が早かったので、今回は軽症のようだ。圭太くん、ありがとう。今、柚は薬で眠っているらしい。私と一緒ならICUの中へ入れるけど、一緒に柚を見舞ってやってくれるかい」
僕はコクリと頷いた。すると首からかけるカードを僕に渡す。このカードを首にかけていると、ICUの中も見学できるようだ。瑛太さんも首にカードをかけて、ICUの中へと歩いていく。僕も瑛太さんの後ろに続いて歩いていく。
ICUの中には色々な緊急の患者さんがベッドに寝かされていて、うめき声が聞こえる。医師の指示する声が聞こえ、看護師と看護婦が応答する声が始終、聞こえてくる。
柚が寝かされている場所はICUの中でも比較的に静かな場所だった。手が袋に覆われている。錯乱した患者が、勝手に点滴などの針を抜かないようにするためだという。柚の体にも何本も検査機からケーブルが繋がれていて、身体の色々な箇所に検査機の末端が貼られている。
点滴も受けているようで、ベッドの横には点滴が吊るされ、肘の内側の血管に針が入れられて、テープで止められている。常に血圧も管理されているらしく、もう一方の手には血圧を測る装置が巻き付けられている。
入院用の衣服に着替えている柚は顔色が青白く痛々しくて、じっと見つめていることができない。涙がこみ上げてくる。早く柚が治って、笑顔をみせてほしいと思う。柚の笑顔ばかりが僕の頭の中に映像となって蘇ってくる。
瑛太さんが、柚のベッドの隣にある円形の小さいパイプ椅子に座って、柚の手を握る。
「今回は発見も早かったし、軽かった。だから大丈夫だ。圭太くんも一緒に来てくれてるぞ。今、一緒にICUに入ってきてくれているぞ」
瑛太さんは柚の手を握ったまま、優しい口調で柚に語りかけている。柚は薬で眠っているらしく意識はない。それでも瑛太さんは微笑んで、柚に声をかける。とても見ていられない。僕の目に涙が溜る。
それから30分ほど柚と面会していたけど、柚は薬が効いているので眠ったままでいる。瑛太さんは立ち上がると、僕の肩を叩いて「行こうか」と言って、ICUから出るために歩き始めた。僕も後ろに従う。ICUの受付に面会用のカードを返却して、ICUから出る。
瑛太さんは「送っていくよ」と言って、救急搬送用の出入り口を出て、地下駐車場まで歩いていく。
「今回は大丈夫なんですか?」
「今回は発見したのも早かったし、軽症だと医師が話してくれていた。呼吸器科の入院病棟に空きベッドがあれば、すぐにでもそちらへ部屋を移ることができそうだと医師も言ってくれている」
その言葉を聞いて、僕は安堵の息を吐く。良かった。本当に大事にならなくて良かった。「家まで車で送るよ」と言われて、瑛太さんの言葉に甘えて、車に便上させてもらう。柚の鞄を瑛太さんに預ける。
車は地下駐車場を静かに走り出し、一般道へ入って行く。柚の家と僕の家は近いから、瑛太さんは何も僕に聞かずに車を走らせる。
「柚は寒暖の激しい時に外に出ると危ないんだ。それに暑さにも寒さにも弱い。風邪は喘息の天敵だ。いつも俺が付いていてやれればいいんだけど、そういう訳にもいかなくてね。今回は圭太くんが居てくれて助かったよ」
「今回は僕のバイトしている喫茶店で、柚が予備校の復習をしている時に発作が起きて、喫茶店の中で発作が起こったので、対処が早くて良かったです。1人の帰り道は危ないですね」
誰もいない道で1人で倒れたりすれば、それだけ発見が遅れる。それが危険につながりかねない。
「そうなんだ。誰も身近にいない時が危ない。圭太くんに無理なお願いをしているのは承知しているけど、なるべく柚の近くに居てやってくれないかな。最近は柚から圭太くんの話もよく出ているから、仲良くしてくれていると思って、俺は嬉しく思っている。柚をよろしく頼むよ」
「できるだけ何事もなければ、一緒にいるようにします」
瑛太さんに自宅前まで車で送ってもらった。瑛太さんは「これからもよろしく頼む」というと、僕を家の前で降ろして、車を走らせて去っていった。また病院に向かったのかもしれない。
家に帰ると花楓が元気に迎えてくれた。僕は花楓に柚が喘息で倒れたことを説明し、今まで巽総合医療病院にいたことを説明する。花楓も心配そうな顔で僕の話を聞いている。
「早く柚さんが良くなるといいね。私も祈るよ」と花楓は頷いて、夕飯の用意をしてくれた。僕はその間に部屋着に着替えて1階へ戻り、2人でダイニングテーブルに座って、花楓の手作りの夕飯を一緒に食べる。
そして、夕飯を食べ終わった僕は、花楓の許可を得て、早めにシャワーを浴びて、自分の部屋へ行く。机の前に座っても、今日は何の勉強をする気にもなれない。柚の顔ばかりが思い浮かぶ。こんな状態で勉強なんてできない。
普段は神様になんて祈ったことなんてないけれど、なぜか自然と柚が健康になりますようにと祈ってしまう。ベッドにもぐりこんで就寝する。
◆
次の日、予備校へ行って、俊輔と夏希に柚が倒れたことを報告する。俊輔と夏希は「私達も一緒にいればよかった」と語っていたが、「まだ、僕のバイト先で倒れたから、対処は早かったはずだし、瑛太さんが今回は軽症だよ」と言っていたことを説明すると、2人はホッとした顔をして安堵の吐息を漏らす。
昼休憩はいつもコンビニで何かを買って食べるんだけど、今日は食欲がでない。予備校近くのコンビニから屋根に取り付けられている小さな十字架が見えた。
僕は何も考えずにフラフラとその十字架を目印に歩いていくと、すごく小さな教会があった。ドアノブを回してみるとドアが開いている。中へ入ると牧師が会釈をしてくれた。ここはプロテスタントの教会だという。
玄関を入った部屋がすぐに講堂になっている。牧師に友達が病気で緊急入院したことを説明すると、牧師は真剣な顔で聞いてくれる。10分ほど祈りたいと申し出ると、牧師はにっこりと笑って、「最前列の席で祈ってください。いつまででもいいですよ」と返事をくれた。
僕は講堂の最前列の席に座ると十字架に向かって、初めて心から祈った。柚が早く健康になりますように。柚の病気が少しでも治りますように。こんなに真剣に祈ったことなんて今までなかった。それほど真剣に柚のために祈った。あっという間に10分ほどは過ぎていた。
祈り終えると、席から立ち上がって玄関へ体を向ける。すると玄関近くに牧師が何も言わずに、静かにたたずんでいた。僕は祈り終わったことを告げ、この場を借りたことの礼をすると、牧師から「祈りたい時はいつでも来てください」と優しい言葉をかけてもらった。
牧師は玄関を出て、僕を見送ってくれる、僕は牧師に会釈をして予備校へ戻る。既に昼休憩はとっくに終わっていて、僕は午後の授業に遅刻して、教室へ戻る。そして、柚にノートを見せられるように授業内容を丁寧にノートに書き残す。
柚が一般病棟へ移ったら、すぐに見舞いに行って、ノートを写させてあげよう。それまでは僕が柚の代わりに講義のノートを書いていこう。いつもよりも、きちんとした字で、僕はノートを書き留めていく。
僕は予備校の講師の説明に耳を傾けつつ、心の中で柚が早く一般病棟へ移れることを祈り続けた。
投稿が遅れてすみません。PCが壊れてしまい復旧に時間がかかりました(大汗)
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柚が早く回復するよう祈ってくださる読者様、評価をお願いいたします。
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