首都・富士宮にて
屋敷のある間沢の山を降りると、麓の町の様子が見えてきた。
暮れ行く街並みのあちこちに灯がともり始めている。車で埋め尽くされた道路は光の線となって、街を碁盤目状に区切っている。
その中心でひときわまぶしく光り輝いている建造物群がある。
駅北の一帯を山吹色の光で塗りつぶいているのは、いくつもの歴史的建築物。
例えば、中国の紫禁城太和殿。
例えば、インドのタージ=マハール廟。
例えば、フィレンツェのサンタマリア大聖堂。
実物の2倍以上の大きさで再現されたレプリカたちが、広大な敷地に鎮座している。
駅を挟んで南には、窮屈そうに肩を寄せ合って現代的なビルディングが並んでいるものだから、余計にその異様さが際立つ。
あまりにもミスマッチな風景に、今更ながら流彦はため息をついてしまう。
(全く……いい趣味してるよな)
街の一等地を占領しているのは、火族たちの邸宅だ。
どれもみな、オレンジ色に淡く光り輝いているが、これは夕陽を受けているためではない。建物自身に「火気」が宿り、光を放っているのだ。
「火気」は火族が放つ気のこと。
彼らが放つ火気は、周囲の物質にも吸収蓄積され、やがてその物たちも火気を発するようになる。
火気が満ちた空間は氷龍が寄り付かないとされており、人々は競って火族がすむ場所の近くに住むようになっている。
火族が住む範囲が広いほど、火気の量が多くなる。
火気が多くなれば、氷龍に襲われない安全地帯も増える。
ゆえに、火族はそこにいるだけでも重宝されるというわけだ。
流彦は翼に力を込めて、さらに高度を上げる。
点在する都市をつなぐ道路の先、はるか地平の際にひと際明るい光の集合がある。
現在の日本の首都、富士宮の光だ。
その名の通り、旧富士宮市・旧富士市を中心として発展してきた都市だ。
氷龍の襲来によってかつての首都・東京が放棄されたのち、ここが新たな行政拠点として選ばれたのは、ここが日本一の活火山のふもとにあったためだ。
初期の火族たちは好んで「火」や「熱」のある場所に住み、それにつられるようにして人々もひしめき合うようにして生きてきた。
そして、人々は今、氷龍が跋扈する前の繁栄を取り戻していた。
それでも、ヒト族の人々の記憶から氷龍に対する恐怖が抜けていないことを示すものがある。
それは、富士宮中心部を包む、巨大なドームの存在だ。
円い「城壁」が街を囲み、そこから緩やかにカーブを描く透明な屋根が、夕闇の残照をうけてわずかに光っている。
かつてはほぼすべての都市にこうしたドームが設けられていたが、規模に対してあまりにも建設・維持のコストがかかりすぎ、また都市域の拡大の妨げになるとして、氷龍の脅威が小さくなるのに合わせて徐々に廃止されていった。
けれど、首都の旧市街だけは万が一のために今でも対氷龍ドームの中にいる。ここがいざとなればヒト族最後の砦の一つとなることを誇示するかのように。
流彦はドームの外側にある緑地公園の一角にゆっくりと降下した。空を飛んで中に入ることはできない以上、ここからは人の姿に戻って入るしかない。
着地した流彦の身体を再び炎が包み、中から少年の姿に戻った流彦が現れた。
ひっそりとした公園の中。ため池のほとりに歩み寄ると、流彦は水鏡に自分の姿を映した。そして再び能力を発動させる。
炎の中から現れたのは、長身の女性だった。
流れるような白い髪にエーゲ海のように碧く光る瞳。美しく豊かな曲線を描く体は黒のスーツに包まれている。
どこから見ても絶世の美女。流彦は変身した自身を眺めながら、
(ちゃんと、親父に見えるかな?)
と隅々まで確かめた。
最強火族の一つとも謳われる「蓮杖家」第15代当主として、名声・実力共に申し分ない父・蓮杖炉亜は、女装家としても有名なのだった。
「これでいい、かしら?」
声帯の調節を終え、真っ白なカシミアのコートを羽織り、サングラスをかけると、流彦は公園を出た。
カツカツと12センチヒールを響かせて石畳を歩く度に、豊かな胸が揺れる。
(歩きにくい……)
もちろん、「本物」の父は胸に詰め物をしているだけだが、流彦の火族としての能力=「化捏」の力を使えば、老若男女どんな身体も完璧に作ることができる。
自らの中の「火」を使って自身の身体を溶かし、あらゆる造物に変化できる能力。
火炎や光を直接操って氷龍を倒す他の火族と違って地味な力ではあるが、今の自分の仕事に合ったこの能力を流彦は気に入っていた。
大通りに出ると、流彦はタクシーをつかまえた。
「官邸まで」
後部席にゆったりと座って短く告げると、車は静かに滑り出し、車列の流れへと入っていった。
話しかけてはこないものの、運転手は突然現れた美女への興味を隠し切れない様子だ。
運転手を無視して、流彦は窓の外を見やった。
光の大河と化している大通りの先い、ひと際輝くロマネスク様式の建物がある。
それが官邸だ。その後ろには、さらに一回り大きな建築物がある。
紅蓮に輝くピラミッド。「火廷」極東支部である。
地球全生物の敵「氷龍」に対抗するため、力と英知ある者が集う「砦」の一つ。
火族とヒト族、異なる種族の間に結ばれた絆を守る番人。
そして、流彦たちが働いている職場でもあった。
流彦は官邸に着く前に料金を払って車を降りた。
人目を避けるためだ。
正門前の広場には案の定、マスコミ関係者がこれでもかと集まっている。
炉亜ほどの有名人ならば、例え変装していても嗅ぎつけて群がってくるに違いない。
そんな面倒は死ぬほど御免、という流彦のような火族のために火族専用の隠し入り口が設けられているのだ。
流彦は近くのホテルに入った。カウンターに近寄ると、受付係が微笑んだ。
「いらっしゃいませ、おひとり様でいらっしゃいますか?」
流彦は黙って青いカードを取り出し、彼の前に出した。
受付係はありがとうございます、と慇懃に頭を下げると奥へ引っ込み、間もなく一つの電話機をもって現れた。
いわゆる黒電話。流彦は細い指でダイヤルを回すと、受話器を耳に当てた。
数回の呼び出しの後、繋がった音がした。
「はい、穂親です」
と、受話器から若い男の声がした。
「うちの姫君、どうしていますか?」
と流彦が尋ねると、男はフッと小さく笑った。
「待っていたぞ、流彦」