ランドセルしょって
散り敷く桜の上に立つ沖田君は、この世ならぬ者の気配がした。
いや、それは正しいのだ。沖田君はもう、この世ならぬ人なのだから。
故人なのだから。
それを思うと私の胸に何とも言えない寂しさが込み上げる。例え彼が魔性であろうが、私は彼と色々なことをしたかった。生きているからこそ、出来ることを。将棋や囲碁は何回かしたが、彼は余り強くなかった。剣術なら得手なのですがと言い、頭を掻いていた。物欲しそうに私を見ていたが……。うん、君の相手を私がしたら私の骨が折れるからね?それだけで済めば良いが。
沖田君が近藤周助(天然理心流試衛館の道場主)の試衛館に内弟子として入ったのは十二歳の時。今であればランドセルしょってる歳で、剣の道の修行に勤しんだ訳だ。入門から約三年では、通常「目録」程度だが、沖田君は十五歳で師匠である近藤周助に随行して出稽古に行っている。神童めいた上達の程が察せられる。
桜の樹の下に立ち、降る花びらを両手で受け取ろうとする沖田君。幽玄の眺めだ。桜の下には死体が埋まっていると言うが、沖田君の下にも死屍累々と死者が在るのだ。京都で血の旋風を巻き起こしたのだから。
今にも彼がどこかに行ってしまいそうで、私は不安になり口を開こうとする。
その前に、妻が縁側に座る私と桜の樹に寄り添うように立つ沖田君に声を掛けた。
「ご飯ですよー」
これだ。この、場の空気を読まない妻の天然が良いのだ。妻よ、ありがとう。天然でありがとう。
沖田君は妻の声に我に帰ったようにこちらを見ると、顔を綻ばせた。それはあの、魔性の笑みではなく、あどけない彼特有の笑顔だった。
麻婆春雨、生春巻き、中華風茸具沢山のスープ。
これはビールだな。私は紹興酒は余り嗜まない。
麻婆春雨には豆板醤が、生春巻のたれには甘辛い甜麺醤が使われている。食欲を増進させ、且つビールが進むおかずだ。ビールだろう。ビールしかない。
見ると沖田君も食事待ちの犬のように目を輝かせて私を見ている。
微笑ましい思いで、私は冷蔵庫から冷やしたグラスと瓶ビールを取り出した。無論、妻の分もある。
それぞれビールを注ぎ合って、乾杯する。
それからはわいわい飲んで食べて、私は沖田君に関する憂さを忘れた。
深海に沈む頑丈な箱のように、それは確かに存在するものであったけれど。
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