昼前の缶ビール
妻が物干しスタンドを庭に出そうとするので、代わりに私がやってやる。風で倒れたりしないように、スタンドの足、四か所に重石として煉瓦を置く。日光が強く、汗ばむくらいの陽気だ。これなら洗濯物も早く乾くだろう。
桜の花がいよいよ最後の艶姿となってきた。懸命に咲いて散りゆく。その刹那の美しさ。私はふと、沖田君を思い出した。
するとその私の思念に呼ばれたものか、沖田君が縁側にひょっこり座って私たちを見ている。その眼差しは何と言うのだろう、身内のさりげない動向を見守る温かな光があった。過去の回想にでも浸っているのだろうか。しかし幕末に物干しスタンドは無かっただろう。
つらつらと私が考えつつ、沖田君の隣に座り、やあと言うと、彼も会釈を返した。
「かねてから疑問だったんだが、君は普段はどこにいるんだい?」
「菩提寺である専称寺にいたり、まあ、この千駄ヶ谷近辺をふらふらと。専称寺が六本木ヒルズに近いので、そこで時間を潰したりしますよ。でも賑やか過ぎて、僕にはちょっと」
「他の人にも君は見えるのか?」
「いいえ。普通は見えません」
ではなぜ私や妻には見える。私の疑問は表情に出ていた筈だが、沖田君はそっと微笑しただけで答えようとはしなかった。
「貴方。今日のお昼は貴方が作ってくださいな」
「はいはい。何をご所望ですか、奥様」
「そんなに言う程、レパートリーないでしょ。葱とウィンナーのチャーハンで良いわ」
「畏まりました」
妻はにかっと悪戯っ子のように笑うと、冷蔵庫から缶ビールを二缶取ってきて、内、一缶を沖田君に渡した。
「おいおい、まだ昼前だぞ」
「その背徳感が良いんじゃない。いけない感じが。ね、沖田さん」
いけない感じとか言わないでくれよ。邪推しちゃうだろ。
沖田君は答えなかったが、嬉しそうに破顔し、プルタブを引いた。あ、仕組みは解るんだ。
「ねえ、沖田さんは着てみたい服とかないの? 好きだった子とかは?」
脈絡なく直球だな、妻よ。
「別段、洋装に興味はありません。好きな娘は……、新撰組屯所が西本願寺に移ってから、近藤さんたちのように休息所、ええと、妾宅とも呼ばれますが、そこで一時期、共に暮らした娘がいました」
「へーえ」
へーえと私も背中で思いながらトントントンと葱を刻む。ウィンナーは台所用の鋏で切る。こうすると汚れ物が少なくて済むのだ。
冷やご飯を温めて、中華鍋に胡麻油を敷く。
風味づけ程度にニンニクの小さな欠片を入れ、葱を炒めてからウィンナーを入れる。最後にご飯を入れて、とにかく炒める。水分を飛ばすのだ。
今は料理に集中している為、妻と沖田君の会話は耳に入らない。炒める音が大きいこともある。
あらかた、米の水分が飛んだ頃、私はちらりと後ろを振り返った。
妻と沖田君が一杯やっている。既にほろ酔い加減のようだ。沖田君が好きになった子とはどんな娘さんだったのだろう。俄然、好奇心が湧く。
今の沖田君は、至極まっとうな青年らしく笑っている。いつもそうだと良いのにな、と思う。チャーハンが出来上がった旨、告げると、二人はいそいそと台所にやって来た。妻が私にも缶ビールを出してくれる。
あとで妻から、沖田君は好きだった娘と最後まで添い遂げることは出来なかったらしいと教えられ、私はしんみりしてしまった。
彼がどんな縁で私たちの元に来たのか解らない。
しかし沖田君には明るく笑っていて欲しいものだと私はそう思った。
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