クッキーと氷塊
仕事から帰ると、またもや沖田君と妻が並んで縁側に座っている。話が弾んでいるらしい。内裏雛のようでもあり、私の心中、穏やかならざるところもあるのだが。何と言うか二人の後ろ姿は老夫婦のようでもあり姉と弟のようでもあり。要するに、色気がないのだ。だから私も許容の範疇にその光景を置くことが出来る。
「貴方、お帰りなさい」
「お帰りなさい」
「ただいま」
珍しく妻のほうが先に私に気付いた。そして、さて、と立ち上がる。夕食の支度に取り掛かるのだろう。縁側にはチョコチップクッキーと色鮮やかなアイシングの掛かったクッキーが乗った皿が置かれている。沖田君の横にはティーカップ。香りからしてダージリンだろう。妻が私の分の紅茶も持ってきてくれた。わざわざ淹れ直してくれたのだ。いじましい。妻のこうしたところに私はじいんとくる。
日が暮れようとしている時間帯、沖田君の白皙の美貌は一種の凄味があり、私はアイシングクッキーを齧りながら新時代を見ることなく逝った若者の胸中に思いを馳せる。KISS MEと書かれたハート型のクッキーは丁度良い甘さで紅茶ともよく合う。妻手作りであろうクッキーに、書かれた文字についてはとやかく考えまい。つまりはお洒落なのだろう。決して沖田君にそういう感情を持っているとかではなく。だってほら、二人の間にはムード皆無だから。
沖田君は慶応四(1868)年、五月三十日に亡くなっている。江戸が東京と改称されたのは慶応四年七月十七日。そして慶応四年が明治元年と改元されたのは、九月八日のこと。幕末を、剣を頼みに駆けた剣豪は、東京の名称や明治を知ることなく病で世を去った。時に数え年二十七のことである。
沖田君と出逢ってから私も色々と調べてみたのだ。
無念だっただろうか。無念だっただろうな。今の私より若くして命を散らせたのだから。
しみじみ、思いながらダージリンを飲む。濃さも温度も丁度良い。流石、我が妻。
今度はSAY YESと書かれたアイシングクッキーを手に取る。……もうちょっと無難な文字はなかったのか、妻よ。アイシングクッキーの存在感が強過ぎてチョコチップクッキーが負けている。些か哀れである。
「新撰組は佐幕派だろう。西洋の菓子に抵抗などはないのかね」
それを言えばビールもなのだが。沖田君に尋ねてみる。
「はあ。『正義好き』と『西洋好き』という言葉がありまして」
「ふむふむ」
「有体に言えば『正義好き』は攘夷派、『西洋好き』は開国派を指すんです。近藤さんが幕府御典医頭・松本良順先生を訪ねて、西洋文化の教えを乞うたんです。松本先生は長崎で蘭学を学んだ方で、感化された近藤さんは攘夷派から開国派になりました。水戸学(尊王敬幕)の感化を受けた伊東さんは正義好きでしたね」
西洋文化の教えを乞うあたり、近藤勇は割と柔軟な思考の持ち主だったのだろうか。
伊藤さんって?
「伊藤さんって誰?」
「伊東甲子太郎さんですよ」
幾らか物憂げに沖田君が言う。伊東甲子太郎。近藤勇と手を組みながら途中で袂を別った、くらいのぼんやりした認識しかない。そうか。近藤勇もSAY YESとか書かれたクッキーを食べちゃったりしたかもしれないのか。何だか妙に親近感が湧く。台所から胡麻油の匂いが漂ってくる。今日は中華なのだろうか。些か、ダージリンの香りと喧嘩している。
私は薄暮の中の青年剣士の顔を眺める。
沖田総司は愚かだったと言った青年を。
あれはどういう意味だったのだと問いたくて、けれどそれが出来ない私がいる。触れてはいけないものがあるように。
沖田君の中には大きな氷塊があると感じる。
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