わだかまり
帰りがけ、春特有のもわとした空気が滞留し、わだかまっているのを肌で感じながら、目指す我が家から煮物の良い匂いがしてきた。すると我が家の石塀からにゅうと出てくる者がある。真珠色の滑らかで小さな突起、所謂、角を頭につけたくるくる頭の小鬼が、私と目が合うとはっとして、それから一目散に立ち去った。肌の表面がうっすら儚い菫色だった。
はて。あれは幻覚であっただろうか。
家に着くと妻が出迎えてくれる。エプロン姿だ。
「何だ、沖田君は、今日は来ていないのかい」
「いいえ? さっきから、誰かとお話ししてるみたいだったから、そっとしておいたの」
誰かとお話し。
先程の小鬼が頭に浮かぶ。
「今日は里芋の煮っ転がしと、若竹とわかめの和え物と、豚肉の生姜焼き。それに玉ねぎとじゃがいものお味噌汁よ」
「日本酒に合いそうだな」
縁側に行けば沖田君が、何やら心ここにあらずの体で座っている。それでも私に気付きお帰りなさいと言ってくれる。
「沖田君。さっき、その……」
「ああ、ご亭主にも視えたのですね」
「――――鬼だったよな」
「鬼ですねえ。鬼に転生したようです」
「誰が?」
「嘗て僕が斬った相手がです」
「誰だい」
「……卑怯な不意打ちを、土方さんと二人掛かりで仕掛けました。名前は……言いたくありません」
思い出したくない記憶の一つや二つ、人にはある。まして沖田君のような身の上ともなれば尚更だろう。
「彼は君に恨み言を言いに来たのかい」
「いいえ。逆です。僕がせり、彼に詫びたのです。僕がここに入り浸っていると知って、気になって見に来たのだそうです」
今、せり、て言ったな。
せりなずな
ごぎょうはこべら
ほとけのざ
すずなすずしろ
これぞななくさ
言葉遊びは置いて、私にも思い当たるものがあった。
成程、これは口に出したくはあるまい。しかしあの人物が、また可愛らしいものに生まれ変わったものだなと私は呑気に思った。
そしてふと考える。
沖田君は生まれ変わらないのだろうか。幕末に死んだまま、幽霊の状態で長く彷徨うことは、寂しいのではないだろうか。それとも何か、生まれ変われない事情でもあるのだろうか。日が落ちるのが少しずつだが早くなってきている。私は紫紺めいた色合いを呈する空を見遣り、しばし思索に耽った。
その晩、夢を見た。
平山五郎の首を斬る夢だ。平山五郎とは誰か私は知らない。
けれど夢の中の私は確かにその首を掻き切っている。一人ではなかった。
私の中に暗澹たる思いがあった。
ついにやってしまったと思った。
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