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 次に目を覚ましたとき、クレスツェンツが一番初めに顔を見たのはオーラフだった。

 彼はいたましげにクレスツェンツを見下ろしていて、彼女が目を開けると、一緒になって二度三度と大きく瞬いた。そして大袈裟に驚き、寝台の縁に飛びついてくる。

「王妃さま!」

「やあ院長」

「やあ、ではありません!」

 泣きそうな顔をしてひとつ怒鳴ると、彼はざっと身を翻して何ごとかを喚いている。

 すると天蓋の陰からわらわらと人が――医官や侍女や、兄とその妻たちが現れ、寝乱れたクレスツェンツの姿を見て歓声を上げたり、泣き出したり怒ったりした。

 口々に何か言っているのでひとつも聞き取れないし、大変うるさい。

 耳を塞ぐなり彼らに背を向けるなりしたかったのだが、腕も身体も重たくて叶わない。

 そしてその身体の怠さがいろいろと思い出させてくれた。

(血を吐いたか……)

 何人に見られた? 素早く記憶を振り返る。エリュゼと、あの部屋を守っていた近衛兵と、当然騒ぎになって食事の席にいた夫や給仕の侍官たちも気づいただろう。そして医官が呼ばれ、兄とオーラフに報せがいき……これはまずい。

「わたくしが倒れてから何日経った」

 診察しようと近づいてきた医官に問えば、彼は安堵にゆるんだ表情で答えてくれた。

「王妃さまがお倒れになったのは昨夕のことでございます。まだ正午の鐘が鳴っておりませんので、さほど時は過ぎておりません。お目覚めくださって本当にようございました」

 脈をとられながら、クレスツェンツはほっと息を吐いた。

 そうか。それならまだ、自分が倒れたことは隠し通せているだろう。

 侍官や医官、兵士たちは夫からじかに口止めされているだろうし、優先してクレスツェンツの体調を知らされるはずのないオーラフがここにいるのは、恐らく施療院の事業に協力的な義姉が教えたからだ。

 だったら、さほど大きな騒ぎにはなっていまい。

「腹に穴を空けるほど働くことはないと思いますがね、王妃さま」

「そう思われるのなら、わたくしが議会に出席することを〝しゃしゃり出る〟と表現するあの連中に、もっと露骨な圧力をかけてくださいませんか、エルツェ公爵。憂えることがありすぎて血など吐く羽目になったのです」

「誰も彼も仕事熱心で、困るなまったく……」

 医官の後ろから顔を覗かせた兄は、妹の軽口に安心した様子ですぐに引き下がった。続いて寝台の傍へやって来たのはオーラフと義姉だ。

「わたくしも夫の意見に賛成です。いったいどうして、こうなるまで黙っておいでなのですか。いいえ、王妃さまのご不例に気づかなかった医官にも非がございます。このまま治療を任せるのが不安ですわ。ヘルツォーク女子爵をペシラから呼び戻し、王妃さまの侍医に任命すべきです。それまでは施療院から僧医を派遣していただくのもひとつの手かと……いかがでしょうか、院長様」

 義姉の口調は淡々としていたが、ひと息にまくし立てるその様子から、彼女が怒りに怒っていることが分かる。水を向けられたオーラフは苦笑しているだけで返事も出来ないし、クレスツェンツの脈を計り終えた医官は恐々としながら公爵夫人に場所を譲るように後ろへさがった。

「そう仰らないでください義姉上。医官たちはきちんとわたくしを診てくれていましたよ。夏ばてがあとを引いているのだろうと、彼らの診断に余計な意見を述べていたのはわたくしです」

「医師でもない王妃さまの意見を諾々と呑むなど、専門家としての自覚も矜持も足りない証拠ではありませんか」

 クレスツェンツが医官を庇おうとしてもまったく無駄だ。

「そういうことならば仕方がありません、ヘルミーネ様。王妃さまの言葉とあらば臣下は頷くほかありませんから……。しかし、一日や二日でこうはなりません。ずっと以前からお身体に変調があったはず」

 苦笑していたオーラフは静かに目を伏せ、黒い法衣の裾をさばいて寝台の傍に膝をついた。

 横たわるクレスツェンツと視線の高さを合わせ、施療院に出入りし始めたころから彼女が兄のように慕ってきた僧侶は目を潤ませた。

「たびたび施療院にもおいでくださっていたのに、王妃さまのお加減に気がつけなかったことが口惜しくてなりません。そしてお手伝いすると言いながら、施療院と他方面への交渉は王妃さまのお力に頼り切っていたことを今日思い知りました。ご自分が(まつりごと)の場から離れるわけにはいかないとお思いだったのですね。ですからお倒れになるまで、こうして」

「待ってくれ院長。わたくしが療養している暇などないと思ったのは何も施療院のためだけではないし、こんなに大事になるほど具合が悪いとは思ってもいなかったのだ。貧血ぎみなのは充分に食べていないからだろうと……」

 自分を責めるようなオーラフの台詞を遮り、クレスツェンツは半身を起こす。勢いに任せてみると案外起き上がれた。しかし失った血は取り戻せていないようで、目眩と、それから吐き気と痛みが蘇ってくる。

 さあっと頭から血が降りていく感覚に、彼女は言葉を詰まらせた。寝室にそろう者たちを心配させないようにと手をついて倒れるのを堪えたが、目を回しているのをあっさり見破られ、義姉が再びクレスツェンツを枕に押しつける。

 跪いていたオーラフは立ち上がってくれたが、彼の悲痛な表情や、義姉の怒った顔、侍女たちや医官たちのいたたまれない様子にも、クレスツェンツの胸は痛んだ。

 こんな顔をさせないためにも苦痛を堪えていたはずだったのだが……。

 再び横になった王妃がくったりと身体を弛ませたのを確かめてから、義姉は寝台を離れた。

「どうか、しばらくはご養生に専念してくださいませ。王妃さまは施療院にとってはもちろん、国王陛下にとっても欠かせぬお方なのですから」



 一瞬とはいえ起き上がって話をしたが、クレスツェンツの身体は想像以上に消耗しているようだった。

 あれから更に数名の医官がやって来て、クレスツェンツは彼らの問診を受けた。その場に残っていたオーラフとともに、医官たちは王妃の不例を感染する病ではないとの診断を下していった。

 「国王陛下にご報告いたします」と言って彼らが去り、寝室が静かになったとたん、クレスツェンツはまた眠りに就いた。

 順繰りにみる夢はどれもいい気がしないものばかりだ。

 大議会での貴族との応酬の記憶や、倒れる直前の夫との言い合いの光景や、うなだれるユニカ、ホールに並べられた死体、疫病を葬る土と炎、祈りの(ことば)

 真っ暗な眼裏に浮かんでは消えていく人々の顔を追いかけながら、クレスツェンツは丸一日眠っていた。

 気がかりなこと、忘れられない悲しみばかりが思い浮かぶ眠りの中で、彼女は自分が思いのほか疲れていることを知った。

 そういえば、ユニカを王城に連れ帰ったあの年から、避暑のために息子と王都を離れる十数日のほかは、どれくらいきちんと眠っていただろう。

 先へ先へと進む思いに身を任せ、あまりにも自分のことを顧みなかった。立ち止まるのが怖かったのだ。

 だって、クレスツェンツのあとには大勢の人間が従って歩いてくる。彼女が止まれば隊列も足を止め、出来上がった流れが停滞する。

 そしてクレスツェンツひとりの体力では、最後まで隊列を導いていくことが出来ないのも分かっている。今のうちに少しでも遠くへ進んでおかなければ。

 でも。

 兄夫妻や、オーラフや侍女たちの今にも泣き出しそうな顔を思い出したところで、クレスツェンツは目を覚ました。

 隣の道を歩いていたはずの心の(アヒム)はいない。

 けれど、行き先や歩く速度に不安を覚えたときに話し合える人々が、振り返ればたくさんいたのだ。

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