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dear dear ―天槍のユニカ 外伝―  作者: 暁子
ディア・ディア
17/24

「お、ひ、さま」

 涙で顔をめちゃくちゃにしながら、エリーアスは震えているクレスツェンツの背をそっと撫でた。

「はなしてやらないと」

 クレスツェンツは顔を上げる。涙で何も見えない。ぼんやりと、エリーアスの着ている黒い法衣が動いているように感じるだけだ。

「アヒムの遺体以外、ほかはみんな焼けてしまっているんです。どうしてこいつの身体だけ、こういう状態なのかは分からないけど……」

 鼻をすすり、クレスツェンツは目許をぬぐった。それでもまだ視界はぼやけていたが、あたりにあるのが灰になりかけた瓦礫ばかりだということは分かった。

「ここは……?」

 アヒムのすぐ傍には一際大きな瓦礫の山があった。奥のほうにひしゃげた巨大な金属の塊が見える。

 訊くまでもなかったかも知れない。あれは鐘だ。

「教会堂があった場所です」

 クレスツェンツは大きく息を吸い、その建物の元の姿を思い浮かべる。父祖から受け継いだこの教会堂を守るために、アヒムはクレスツェンツのもとを去った。

 彼が愛していたもの。場所。

 胸の底が震える。

「導師のご遺体はどうしましょうか。連れ帰り、ペシラで葬送を……?」

「やめてくれ! アヒムの家はここだ。父上も母上も村の墓にいるんだ、ひとりだけペシラに連れて行くなんて……」

「ならば早く葬って差し上げねばなりません。このままここに寝かせておくわけにはゆきませんぞ」

 兵士に言われたエリーアスは苛立たしげに眉根を寄せた。次いで気遣うようにクレスツェンツを覗うが、彼女がぼんやりとアヒムの顔を見下ろしていることに気づくと、唇を噛む。

「墓地はあっちだ。アヒムの一族の墓の場所を見てこよう。運ぶのはそれからだ」

 立ち上がったエリーアスに続き、数人の兵士がその場を離れた。残った者も、項垂れる王妃からやや距離を取る。

 クレスツェンツの周りからあらゆる音が遠ざかった。

 なぜここへ来たんだっけ。彼女は思い出そうとした。

 アヒムから手紙が来たからだ。手紙には、村の大変な様子が書いてあって。

 彼をどうしても助けねばならない。いや、助けたい。そう思ったからだ。

 身体中から力が抜け、ふわふわと浮き上がりそうな心地だった。

 ああ、夢中になってここまで来てしまったが、たったひとりの友人を救いに行くなんて、王族としてやってはいけないことをした。しかも、間に合わなかったなんて。

 今更になって、夫や貴族達がクレスツェンツの南部行きを反対した理由が身に沁みてくる。

 クレスツェンツが動くときには、一緒に大勢の人間が動く。王都から連れてきた医師、侍女、騎士たち。こんな辺境にまで同行させて、それも手遅れだったとなれば、なぜ彼らにこれほどの危険を冒させたのか分からない。

 何をしに来たのだろう、わたしは。

 クレスツェンツは、もう一度アヒムの頬を撫でた。安らかに眠るような最期の顔だが、彼はこの故郷の村で壮絶な恐怖と戦っていたはずだ。

 その証拠が、彼が背に敷いている血溜まりの跡だった。

 アヒムは疫病で死んだのではない。

 殺されたのだ。

 ふつり、と胸の奥深くで何かが切れ、クレスツェンツの思考は途端に醒めていく。

 村には外から大勢の人間が押しかけていた。目的はアヒムの手紙に書かれていなかったが、恐らくユニカの〝血〟だ。

 古くの噂を知っていた者や、導師が刺殺されかけたにも関わらず一命を取り留めたという事件の噂を聞いた者が、救いを求めてやって来た。

 アヒムはそうやってユニカの力を求めてきた者たちに、決して娘を差し出さなかっただろう。代わりに同胞を呼び寄せ、村を治療拠点とすることで押し寄せる人々を平等に看護し、彼らの心を宥めようとした。

 しかし、いつまでも上手くゆくはずがない。アヒムらが必死に看病しても、死ぬ者は死ぬ。それもかなりの確率で、苦しみ抜いた末に。

 正気を保てなくなる者もいるだろう。そうした者がいつかユニカを力ずくで奪おうとしたら――アヒムの流した血を見るに、クレスツェンツが恐れたとおりの事態が起こった可能性が高い。

 はっとなり、クレスツェンツは辺りを見回した。

(ユニカはどこだ?)

 やがて戻ってきたエリーアスに、クレスツェンツは駆け寄った。

「墓地には近づけませんでした。遺体置き場にしてたようです。火が回ってなくて、腐った遺体がそのまま……」

「エリー、ユニカはどこだ? 見つけていないのか?」

「え……ユニカなら、先に戻った先遣隊と一緒に街へ連れて行かせました」

「なに!? そんな報告は受けていない!」

 もっとも、ろくに話を聞かず飛び出してきたのはクレスツェンツだったが。

 ユニカがどこかへ連れ去れでもしていたら、それこそクレスツェンツがここへ来た意味がない。

「大丈夫です、信頼出来る同胞に任せてあります。弱ってたし、そのままペシラの教会堂で保護させます」

「……我々もすぐに戻ろう!」

「はい、でも、アヒムを……」

 エリーアスの視線を追い、その先で眠る友の姿を見つけたクレスツェンツは悲しみに顔を歪めた。そして、横たわる彼の亡骸の傍に膝をつく。

「アヒム……間に合わなくてすまなかった。でもまだ終わっていないものな。お前がわたくしに託してくれたもの、必ず守るよ。そうでなければ、何もかも棄てるつもりでここへ来た意味がないもの」

 自分が押し通した無理の多さを思えば、王妃として王城へ帰れるかも分からないし、最悪罪にだって問われそうだ。けれどここまで来てしまった以上、それを後悔して逃げるわけにはいかない。

「すまなかった、傍にいてやれなくて、もっと早く来られなくて。恐かっただろう、お前は結構意地っ張りだから、そんなこと認めもしないだろうが……」

 大好きだった彼の黒髪を撫でる。もう見ることの出来ない緑色の瞳を思い出す。

「あとはわたくしに任せるがいい。ユニカのことはわたくしが守り、大切に育てる。この疫病だって、わたくしが鎮めてみせる」

 投げ出されていたアヒムの手を握り、クレスツェンツは微笑んだ。その手にもすっかり温もりはなく、氷のように固い。

「ここに葬ってやろう。この教会堂は、アヒムが父君や祖父君から受け継いだ大切な場所、村人たちと触れ合った思い出の場所であろう。……あとで、墓標を建てに来てやる。少し待っていてくれ」


     * * *


 十日の後。

 ペシラへ戻ったクレスツェンツは、太守館を拠点に疫病の治療体勢を整えるための政策を練っていた。

 ビーレ領邦内については、太守のエメルト伯爵がよく統制出来ていたので、彼に助言するという形でクレスツェンツは直接指示を出していない。

 問題はここからでは距離もあり、より被害が深刻と考えられるジルダン領邦をどう支援するかだ。

 やることは山ほどあるが、ここで体調を崩せばいっぺんに命が危うくなる。無理と焦りは禁物だと自分に言い聞かせ、クレスツェンツは今日の仕事を切り上げて机を離れた。

 侍女に世話をさせているユニカの様子を見に行くと、彼女はすでに眠っていた。まだ口も利いてくれず、食事もスープか甘いものを少し舐めてくれる程度で、彼女の命も助かったとは言い切れない。

 眠っているユニカにキスをし、クレスツェンツは少女の髪を優しく梳った。不思議なことに、彼女からは薔薇のような甘い匂いがいつも漂ってきた。

 アヒムが自慢していたとおり可愛らしい娘だ。黒髪は毛先まで滑らかで、アイオライトのような深い青色の瞳は美しい。まだ悲しげに伏せられていることが多いが、彼女が顔を上げ広い世界を見たとき、その宝玉は一層鮮やかに輝くだろう。

 いつかそんな日が来る。そのときアヒムは隣にいられないが、クレスツェンツがともにいようと誓う。

 自分の部屋へ戻る途中、彼女は廊下の窓から太守館の庭園に佇む人影を見つけた。青白い月光を吸い込むカラスのように黒い装いは僧侶のものだ。

 ぴんときたクレスツェンツは階下へ戻った。

「エリーアス」

 月を見上げていた青年の名を呼ぶと、太守館に背を向けていた彼はびくりと身体を震わせ、慌てて顔をぬぐった。泣いていたらしい。

 無理もない。アヒムはエリーアスにとっても親友であったし、兄弟でもあった。また、ブレイ村自体がエリーアスのもうひとつの故郷だったのだ。

 エリーアスは度々顔を見せるので村人とも仲良くやっていたようだし、片恋をしている娘も村にいたと聞く。

 今日、彼らの師に頼み、ブレイ村とアヒムのために葬祭を執り行ってもらった。だからといって、まだ気持ちに区切りはつかない。

 クレスツェンツとて、考える。もっと早く、あと十日、いや、ひと月、アヒムから最後の手紙が届く前に貴族院や夫を説得し、ペシラへ来ていればと。

 エリーアスの隣に並ぶ。顔は見られたくないだろうから、クレスツェンツも一緒に夜空を見上げた。

 まだ蒸し暑い夜が続き、疫病の悪夢に終わりは見えない。

「エリー、ちょっと聴いて欲しい。わたくしは、ユニカを王都へ連れて帰ろうと思う」

「え?」

「わたくし自身が帰還を許されるか危ういところだが、とにかくこの先は、ユニカをわたくしの傍に置こうと思う」

「どういうことですか? ユニカはアヒムが正式に娘にして、グラウンの一族に数えられているんですよ。導主たちの許しがなきゃ……」

「アヒムの最期の手紙には、『ユニカをわたくしに預ける』と書いてある。親の遺言だ。無下には出来まい」

 涙を流し腫れた目を隠すことも忘れて、エリーアスは怪訝そうにクレスツェンツを見下ろした。

 彼女は続ける。

「わたくしは、やはり施療院の体制を一刻も早く盤石なものにせねばならないと確信した。こういう疫病は今後も我々を苦しめるだろう。しかし手を尽くすだけ命は助かる。対応が早ければ病の広がりも押さえられる。薬や医術の知識が広く開放され研かれることで未然に防げる病もあるはずなのだ。そういう活動を総括する機関として施療院を使いたい。アヒムやオーラフ様とは常々話していたのだが――この考えを国中に浸透させるには時間がかかるだろう。だから……」

 わたくしには後継者が必要なのだ。

 遠く果ての星を睨んでいたクレスツェンツは、ぎゅっと目を閉じて呟いた。エリーアスには聞き取れない小さな声で。

 聞こえなかった言葉を問おうとしたエリーアスに向かって、クレスツェンツはにたりと不敵な笑みを浮かべた。

「お前、キルルというアヒムの幼馴染みを好いていたそうだな」

「――は!? なんで知って……!」

「お前の秘密を知っていたからには、わたくしもひとつ秘密を打ち明けよう。わたくしはな、今でもアヒムのことを好いている。友人以上の想いで」

 唖然とするエリーアスを小突き、クレスツェンツはくすりと笑った。

「誰にも明かすでないぞ」

「そ、それは、もちろん……でも……」

「アヒムは知らない。きっとわたくしのことは最後まで〝友〟だったのだ」

 アヒムに出会う前から、クレスツェンツは国王の後妻になることを決められていた。だから思いを伝えなかったし、伝えるつもりもなかった。

 それを今更、ほんの少しだけ後悔している。

 けじめをつけよう、とはっきり思ったのは、正式に王家から婚姻を申し込まれたとき。寝ているアヒムにキスをした。それで満足したつもりだった。

 そして一緒になった夫とは十八も歳が離れていたが、彼はクレスツェンツを小娘と侮ることなく共同統治者の椅子に座らせ、政治においても夫婦関係においても色々と導いてくれる男だった。

 口数は少ないし不機嫌そうな顔をしていることが多いが、あれで家族の情には大変篤い。恐らく、前妻を亡くした悲しみが彼の心の底にはあるのだろう。

 クレスツェンツはそんな夫を尊敬したし、愛している。だから遅ればせながらも子どもも授かった。

 けれど特別な友人は、その間もクレスツェンツの心の片隅に、本当に〝特別な〟地位を占め続けていたようだ。

 それに気づいたのは、彼に息子を抱いて貰ったときだった。

 祝福されて、とても嬉しかった。しかし赤子を抱く彼の姿を見て、その腕の中にいる息子が、彼との間に生まれた息子である道もあったのかなと、ふと思った。

 あるいは彼が故郷に帰ったあと、クレスツェンツ以外の女との間にこうして子どもをもうけ、抱くこともあるのかなと。そのときに胸を焦がしたのは、紛れもなく嫉妬だった。

 ああやっぱり、お前は特別なんだから。

 伝えるつもりは、彼が死んだ今でもない。後悔していても、やはり伝えるつもりはないのだ。

 だけど封じておくことも出来なかった。現に、こうして彼の許へ駆けつけてしまうのだから。

 そして預かった彼の形見の娘。

「ユニカのことは、クヴェンと同じようにわたくしが養育する。アヒムの代わりに、わたくしを手伝って欲しいのだ」

 クレスツェンツは、襟をゆるめて金のペンダントを取り出した。ひとつ星に、十二芒星が連なる僧侶の証。アヒムの遺体から外してきたものだった。

「見ていよ、アヒム。お前の分まで、お前の娘がわたくしたちの夢を育ててくれよう」


 こののち、十日あまり経ったころ、疫病は明らかに収束の気配を見せた。

 クレスツェンツの指揮のもと患者数を把握する体制が整った矢先に、新たな罹患者の数が極端に減っていったのである。

 それを機にクレスツェンツはジルダン領邦へも入邦し、長く疫病の猛威にさらされて弱った人々の支援を始めた。

 ひと月後には新たな罹患者も確認されなくなり、王妃クレスツェンツがペシラより「疫病収束」の報せを王都に送る。

 そして王命により帰還する彼女の傍らには、幼い娘の姿があった。

 癒やしの力を持ち、ブレイ村を灼き滅ぼした娘を王妃がアマリアへ連れ帰った――という噂は、瞬く間に広がっていく。


 娘の存在が再び表舞台へ躍り出てきたのは、それから八年後のことだ。

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