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趣味の悪い女

 鈴原香枝は完璧な女性だった。成績優秀。容姿端麗。品行方正。しかも決して驕ることもなく誰かを見下すこともない。性格も非常に良く、当に非の打ち所がない。それだけ完璧だと却って人間的魅力がなくなると思われるかもしれないが、ところが彼女は完璧な女性なものだから、確りと欠点もあったりして、それが故に彼女は人間的魅力をも十二分に放っていたりしたのだった。

 ただし。

 その欠点は、彼女に密かに憧れているつもりでまったく隠せていない、彼、北森すぐるにとっては致命的とも言える欠点だった。何故ならば、鈴原香枝の欠点とは、ずばり男の趣味が悪いことだったからだ。

 鈴原香枝ほどのスペックがあるのなら、十人中九人の男性は落とせるはずだろうし、その落とせない一人にしても、恐らくは恐ろしく審美眼を失した感性が歪んだ哀れな人間か、極めて偏った特殊な趣味を持つ極めて特殊な部類の人種だろうから、とどのつまりは、まっとうな女性の異性としての対象範囲に入る男性ならば彼女に付き合えない男性はいないという事になる。

 ところが、そんな彼女が選んだのは何とも冴えないボーっとした裕木直という男だった。彼は昼行燈の上に光学迷彩を施したが如き存在感のなさで、人畜無害である事以外は取柄なんて一切なさそうな、というか実際にないであろう、かなりがっつりと探す気にならなければ探し出せない、そんな影の薄いモブキャラ中のモブキャラといった態の男だった。恋人にするかどうかを迷う以前に、まず女性が彼を認識したという点だけで驚異的だと褒めてあげたくなる。

 そんな世の男性の全てが納得いかないような事情だから、彼女に憧れる北森すぐるが納得いかないのも当然の話で、だから、彼は彼女、黒宮咲からのその申し出を受けた時、つい「YES」とそう答えてしまったのだった。

 

 「私が裕木君を誘惑してあげようか?」

 

 そう黒宮咲は言ったのだ。

 彼女がどうして自分が鈴原香枝に憧れていると知っているのか、自分の思いを全く少しも隠せていないことを知らない北森すぐるは大いに不思議がったが、とにかく、もしも黒宮咲が首尾よく裕木直の誘惑に成功したのならば鈴原香枝は彼に幻滅するだろうし、ならば自分にチャンスが巡ってくる可能性も充分にあり得るのではないかとそんなことを考えた。

 黒宮咲はもちろん裕木直などに興味がない。もしも、誘惑に成功しても直ぐにフルつもりでいるらしい。ではどうして彼女がそんな事をしたいのかと言えば、どうやら鈴原香枝の完璧さが気に食わないという、ただそれだけの理由らしかった。つまりは、ちょっと鈴原香枝を辛い目に遭わせてやりたいと思ったのだ。はっきり言って悪魔的な発想で、趣味が悪い。「流石に、どうかな?」とは北森すぐる自身も思ったのだけど、

 「もしも、裕木君が私の誘惑に乗るのだとしても、それは自業自得でしょう? 鈴原さんを裏切るのだから。それに、そんなつまらない男と別れられて、鈴原さん自身にとっても良い事になるのじゃないかしら?」

 と、そう黒宮咲から説得をされて、あっさりと心が揺らいでしまったのだった。彼はもしかしたら、と言うか、もしかしなくても、かなりチョロイ男なのかもしれない。

 

 黒宮咲もとても綺麗な容姿をしていたから、裕木直が誘惑に負ける可能性は充分にあった。ところがどっこい、彼女はいとも簡単にあっさりとフラれてしまったのだった。少しも眼中に入っていない感じ。彼女の誘惑の仕方がまずかったのか、それとも裕木直がそれほどまでに鈴原香枝を好きなのか、或いは実は鈴原香枝が選んだだけあって、裕木直は黒宮咲の演技を見抜けるほどに頭の良い注意深い男だったのかは分からない。とにかく、彼女の計画はあっさりと頓挫した事になる。

 

 「酷いと思わない? 北森君! あんなボーっとした顔をして、“君みたいな女性とは付き合えない”ってそう言うのよ? 付き合ってみなくちゃ分からないじゃない!」

 

 あっさりとフラれたことがよほどショックだったのか、北森すぐるに対して、黒宮咲は泣き出しそうな表情でそう訴えた。哀れな彼女の姿は同情を誘ったし、元はと言えば自分の為に裕木直を誘惑したという要素がないこともない訳だし、自業自得と言えなくもなかったけど、とにかく今は優しい声を彼女にかけてやるべきだとそう考えた彼はそれにこう返したのだった。

 「その通りだと思うよ。付き合ってみなくちゃ分からない。それに黒宮さんは充分に魅力的な女性だと思う」

 だけど、彼はこの時気付いていなかった。そもそもどうして彼女は彼女が裕木直を誘惑することを彼に言ったのか。鈴原香枝に嫌がらせをするのが一番の目的ならば、そんな事をわざわざ彼に言う必要は一切ないのだ。

 「本当にそう思う?」と、北森すぐるに向けて彼女は訊く。甘えた声で。

 「本当にそう思うよ」と彼は返す。しかもその後でちょっと調子に乗って、

 「僕なら絶対に誘惑に乗っていたね」

 なんて続けたりして。

 その瞬間に彼女の顔色が変わる。そして彼女、黒宮咲は次にこう言ったのだった。

 「なら、私と付き合ってよ」

 北森すぐるはそれを聞いて「え?」と固まる。「いや、僕は鈴原さんが好きだから……」と言いかける。ところが、そこに向けて黒宮咲は畳みかけるように言う。

 「付き合ってみなくちゃ分からないのでしょう? 私は魅力的な女性なのでしょう? 北森君なら絶対に誘惑に乗っていたのでしょーう?」

 それに北森すぐるは気圧される。確かに言った。言ったけれども。

 そこに至って彼はようやく気が付いた。自分はもしかしたら罠にハマったのかもしれない、と……。

 

 喫茶店。黒宮咲の目の前には、鈴原香枝がいた。コーヒーを飲みながら、鈴原香枝はこう言った。

 「それで上手くいったの?」

 黒宮木はにこやかに笑ってこう返す。

 「もちろん。彼、チョロイし、押しに弱いから」

 軽くため息をついて、鈴原香枝はそれにこう返す。

 「まったく、あなたの恋愛にこっちを利用しないでよね」

 ただし、それほど嫌な顔はしていない。むしろ爽やか。奸智に長けた友人の、小悪魔的な計画を楽しんでいるようにも思える。

 「何言ってるの? あなただって、北森君から好意を向けられて、少し困っていたのでしょう?」

 「まぁ、そりゃそうだけど……」

 と、そう答えた後、一呼吸の後で鈴原香枝はこう言った。

 「しかし、あなたも趣味が悪いわよね。なんで北森君なの?」

 それに「あんたにだけは言われたくないわよ」と黒宮咲。

 

 まぁ、つまりこれは、趣味の悪い女達の、そんなような話だったりする。

勘の鋭い人なら気付いているかもしれませんが、文体の実験に為に書きました。


……どっかに趣味の悪い女の人いないですかね?

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