表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王の腕  作者: 白風水雪
9/36

四章〈黒の嵐〉後

ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ)

マリア・オルレアン (少女)

エイディ・ガローン (記憶喪失前のヤバルと知り合い。ヤバルをサイと呼ぶ)

イサク・ジズ(名のある貴族)

ジューダス・ガリラヤ(名のある貴族)

ポルドレフ・ガーディン(ジューダスの部下)

マーイヤ・レイア(ジューダスの部下)

モート・ギリティナ伯爵(港町プロピナの領主)

 町全体を覆い喰らう未曾有の混乱から一夜が明けた、港町プロピナ。

 町の所々で上がる煙のようにまだ混乱は至る所で燻っている。人の悲鳴や断末魔が町全体に響き渡るような、大きな騒ぎこそ起きていないが、風が吹けば燃え上がる熱く赤い炭のように、町のあちらこちらで時折人の欲望や憎しみや怒りが、悲しみや痛みの声が火の手を上げていた。

 それでも、前日の混乱より規模はとても小さい。せいぜい物取りや殺人、兵士と平民のぶつかり合いくらいなものだった。


「あークソ。まだ痛え。覚えてろよマジで」


 昨夜モート・ギリティア伯爵の館から命からがら逃げ延びたヤバルは、頬や臑あたりにできた掠り傷を触って顔を顰める。傷口が化膿して痒いせいで、触らずにはいられないのだ。だが、触ると痛い。

 あの晩、追手は途中から明後日の方角へ走っていった。おそらくはイサクがヤバルを逃がすために手を回したのだろうと、ヤバルは推測している。でなければ、こうして体よく逃げ延びて、生きていることに説明がつかなかった。

 まるで、竜巻でも通り過ぎたかのような通りをヤバルは歩いている。人の服から、金品のアクセサリー、どうやっても大人ひとりでも運び出せないはずの大きな箪笥から、どこかの教会から運び出してきたと思われるステンドグラスまで、普段は人や馬車がうるさいくらい行き交う通りは賑やかな彼らに変わって、数多の物品などが散らかっていた。

 どこかグラスの割れる音がたち、悲鳴や怒声がとんできて、また静かになる。一夜にして歯虚タウンになってしまった通りを歩いているのは、現在ヤバルひとりだけだった。

 どこかの家の梁を跨ぐ。

 不必要にこそこそとせず、ヤバルは堂々と通りを行く。

 空腹が寂しく鳴った。

 ちょい、と馴染みの店の暖簾でも潜る動作で、適当な店に入る。女性ものの服を売っている店のようだが、ここも誰かに荒らされていた。店内のカーテンは破かれ、ショーケースは割られていた。破れた服や、貴金属のアクセサリーなどが床に散らかっている。

 そのカウンターの奥では、この店の経営者らしき人が顔面を潰されて、事切れている。腹部にはナイフが刺さっていた。必要以上に腹部を複数回刺していて、顔面も殴打されていることから、私怨の犯行かもしれないというところだった。

 物取りなら。


「慣れのある奴じゃねえな」


 カウンターの死体を軽く観察したヤバルは、興味ないとばかりにあっさり死体を放置する。そのまま店の奥へ、足音を殺して向かった。

 店内の気配を探りながら、足下の割れたガラスを器用に避けていく。奥は居住スペースになっていた。一階は狭いながらもダイニングキッチンだった。階段もあり、二階は寝室だ。


「もう出た後みたいだな」


 近くに身を潜ませていたらギリギリ聞こえる声を、わざと漏らす。ヤバルは周囲の反応を窺っていた。

 本当に誰もいないことを確認すると、ヤバルはキッチンの物色をはじめた。水瓶も食料もまだ残されていた。経営者の性格は几帳面のようで、棚にはきちんと食器が並べられている。色、形、日常用から来客用まで細かく分けられていた。それらの数から、一人、もしくは二人暮らしだったと推察できる。

 ヤバルは遠慮の素振りすらなく、水も食料にも手をつけていった。十分に腹を満たしたところで、他の部屋や物の品定めをすることなく、何事もない顔で店を後にする。

 一カ所に留まる時間を最低限にすませていた。


「次は、金、もしくは服だな。あとは情報も、だな。ああ、そうだ。いくつか道具も揃えておくか」


 ヤバルの現在の持ち物はピッキング用の針金三本のみ。本来ならまだ他にもいくつか服の至る所に忍ばせて持ち歩いているのだが、遭難した際に海で落としていた。

 今度は路地にするりと入り、また別の建物に侵入した。細心の注意を払いながらも、無駄のない動きで探索して、目的の物を手に入れる。かなり慣れた手つきだった。黒い腕のアイオーンを操り、二本、もしくは三本の針金で器用に鍵穴を開けていた。あまり他の物を動かさず、目的の物だけを盗っていた。


「情報が集まるところは、まあやっぱり見当がつくよな。こんなときでも」


 そして、ヤバルの足は人が集まりそうなところへ向けられる。プロピナには、モート・ギリティア伯爵の館以外にも人が集まるところはいくつかある。

 どこへ行けば望む情報を得られる可能性があるか、彼は知っていたのだ。



 プロピナ中央区ヴェミラ。

 市場で賑わう東区アロガンとは違い、ヴェミラは外国からの要人を迎えるための施設が多い。宿泊はもちろん、娼館から賭場まで。金や欲望が集まるあらゆるものが揃えられていた。

 神王教の聖地ワヒシュタで聖なるものとはほど遠く、人の業の集まる中央区ヴェミラは、純粋な信仰心を持つ信徒から嫌悪と侮蔑の視線が向けられている。しかし、現実は神王に身も心も捧げるような信徒より、人間らしい欲に塗れた信徒の方が多かった。

 そのため、ワヒシュタの神王教総本山、スラオシャ大神殿はこれらの存在を認めているが、多額の税金と、法律から脱した違法を大がかりに取り締まることで、利権や金が集まりすぎるのを防いでいた。

 大々的に賭場や娼館で栄えたところはワヒシュタではヴェミラだけだが、似たように人の欲が集まるところは他の町にも存在している。結局、聖地の国と言われているワヒシュタでも人が集まるところは、その欲も何かしらの形を為していた。

 もうすぐ昼になる頃。ヤバルはヴェミラの独特で妖しげな雰囲気に満ちた通りに踏み込んだ。

 すっかり腹を満たし、金も手に入れ、服まで変えていた。どれも他人の家に忍び込んで、悪びれなく盗ったものだった。

 昨日の混乱で多少壊されたり、荒らされているところが見える通りだったが、他の地区と比べてもヴェミラは比較的に混乱が尾を引いていなかった。

 むしろ他の地区より被害も小さく、いつもの日常がすでに戻りつつあった。裏社会の顔も持つためか、昨日の混乱などただの嵐だったかのように、人々は町の復興に手早く取りかかっている。至る所で金槌の打つ音が鳴り、梁や柱を担いだ人たちが行き交っているのが見える。立ち直りが早いところでは、すでに商売すらはじめていた。むしろ復興をネタに金儲けをしようとしているところもあった。


「まあ、だから多少は怪しまれるわけだ」


 ヤバルはそれとなしに歩いている通りを観察していた。娼館や賭場が多く並ぶ通りでは、鎧を着た兵士たちがいた。彼らは任務で通りを見回っている。その証拠に行動は五人一組の班で行っていた。

 変に動揺を見せるほうが不自然さが際立つと知っているヤバルは、自然な仕草を混ぜて、兵士たちに顔の正面を向けてしまうことを避けながら通りを堂々と行く。

 兵士たちがヴェミラを見回っているのは、ヤバルの捜索だけが任務ではなかった。今回の混乱の原因がここにあるのではないのかと睨んでいたのだ。


「ここから行ってみるか」


 ちょうど喉に渇きを覚えていたヤバルは、酒場に入っていった。

 まだ太陽が昇りきったばかりだというのに酒場はすでにほとんどの席が埋まっていた。昼間から酒飲みに明け暮れる大人たちで溢れかえっていた。 

 ヤバルは適当に一席だけ空いたテーブルを見つけると、そこに腰掛けた。

 むさ苦しい男どもをよけるようにフロア内を足早に歩いているウエイトレスが三人いた。とても慌ただしい状況のようで、彼女たちは今にも目を回しそうな様子だった。

 怒鳴り声と間違うほどの大声や笑い声が店内中に満ちて混ざり合い、耳を塞いでもうるさい雑音となっていた。とりあえずまずは何か飲もうと、ヤバルは近くを通るウエイトレスに向けて手をあげて、声を飛ばす。

 ウエイトレスは騒音の中でもヤバルの声を聞き分けて、テーブルまで近づいてきた。葡萄酒とパンを頼んだ。三十代半ばくらいのウエイトレスはその豊満な胸を揺らしながら、またむさ苦しい男たちの海へ戻っていった。

 他の注文も重なっていたせいか、ヤバルの下へ注文した品が届いたのは、暫し待った後だった。酒場には酒を飲む目的で来たわけではないので、さほど時間がかかったところでヤバルは気にせず、ウエイトレスに酒とパンの代金を渡した。もちろん他人の家や財布から盗んだ硬貨だ。

 ウエイトレスが去って行くのを見送って、ヤバルはさきほどから聞き耳を立てていた会話に意識を戻した。五人か四人の会話を盗み聞きしていた。


「王都の奴らは今日はどのあたりをうろついているんだ」

「確か西区ノブルと、北区コンキスタだったか。聞き込みからまたやっているんだそうだ」

「いや、もう一つあっただろ。ほら東区アロガンの」

「ああ。脱走者の捜索だったか。滅びの魔女の手がかりを知っているかもしれないんだっけか。港側に逃げた可能性があるんだとか」

「でも、王都の奴らは関所を通れないんだろ。てか国衛軍の邪魔をして俺たちは大丈夫なのか」

「大丈夫だよ。ぜんぶモート伯爵の命令でやっていることなんだから。いくら国衛軍だからってでかい顔されるのも迷惑だからな。叩いて出た余計な埃にいちゃもんつけられたら堪らない。たぶんモート伯爵もそう思って、国衛軍の奴らの行動を制限しているんだろ。勝手に怪我されて、それすら俺たちの不備のせいにされたら堪ったものじゃないしな」

「確かに」


 男たちの中で笑いが生まれる。

 ヤバルは彼らの会話から、モート・ギリティア伯爵が所有するプロピナの兵士たちと、王都ユーピテルの国衛軍との軋轢がわかる。

 鎧を着ていないところから、どうやら彼らは非番らしい。


「でもさ、実際のところはどうなんだろうな」


 兵士の声のトーンが突然変わる。


「実際って」

「いやほら。本当なら協力した方がいいんじゃないかって思ったんだ。今は人手が必要だし。脱獄した重犯罪者だってまだ捕まってないんだから」

「……そういうのはお偉いさんが決めることだから。俺たちは言われたことをやるだけだよ。結局は」

「まあそういうことだな」

「難しいことはやめようぜ。飲もう騒ごう、そして飲もう。明日はきっと今日より良くなるさ」


 一人の男が場を取り持つことで、男たちの中で再び盛り上がりが戻る。

 乾杯の快音が酒場の雑音を一瞬だけ彩った。

 ヤバルは葡萄酒を飲みながら、また別のテーブルで騒いでいる連中に聞き耳を立てるのだった。まずは情報収集。気になるときは直接相手に聞くことだってするが、盗み聞きが主なやり方だ。必要な情報を探した。

 太陽が昇りきったところで日中の気温がもっとも高くなる。動くと汗が滲み出るほど暖かくなっていた。昼時の食事に、喉を潤そうと寄った客も加わって、酒場はさらに賑わっていた。

 酒をちびちびと飲んで、時々席を移動して他の客と会話をして情報を集めていたヤバルは、そろそろ潮時だろうと席を立つ。追われている身だということを忘れていなかった。

 最後にちょっと気の合った男に手を振ってから酒場を後にした。

 表通りは人が多くなっていた。道に散らばっているゴミを拾う人も出てきている。彼らの目的は清掃ではなく、拾ったものの価値だ。金に換えるためだとヤバルにはわかっていた。


「この町を出る方法はいくつかあったけど」


 内陸側の関所のある西区ノブル。

 実は貴族用の出入り口があり、金を持ち込めば兵士が通してくれるらしい。もしくは夜明けの手薄な時を狙うといいらしい。

 港側の関所がある東区アロガン。

 海に出る手段の問題が残されるが、地下水路を通ると関所の下を通過できるらしい。ここも西区と同じく、大金を積めば兵士が通してくれるそうだ。

 領主の館の建つ北区コンキスタは、館の裏に佇む山を越える方法があるという。南区も同様で、岩肌の厳しい山を越える道が存在しているという話があった。


「結論からいうと、どれも嘘っぽすぎて参考にもならなかったな。まあでも、水路は可能性があるか」


 事実、ヤバルは拘置所から地下水路を通って脱獄し、東区アロガンまで逃げ延びた。しかし、例え港に出られたところで、どうやって海に出るかという問題が立ちはだかる。

 現在の状況では、許可の無い船は出航した瞬間から攻撃対象になりかねない。


「いくつか確かめてみるか」


 何もしないよりはマシとだけの考えで、ヤバルは行動に移した。

「まずは西区から。あそこが通過できれば、この町からとりあえず脱出することができる」

 と、後ろ髪を引かれる動きでヤバルは顔を振り向かせる。その方角には、東区アロガンがあった。今ごろ、イサクたちがマリアを救出するため向かっているかもしれなかった。

 ヤバルは酒場で滅びの魔女に関する情報も手に入れていた。

 かつて世界を滅ぼした、滅びの魔女を崇拝する救済教の者たちがこの町にいるらしい。現在も滞在しているか不明だが、彼ららしき人を見たと聞いていた。

 救済教は、この世界を悪と見なし、この世界と世界に生きるものたちすべてを救うには滅び以外ないと考える宗教だ。滅びに向かう世界の姿を認め、それを受け入れ、滅びの拡大も狙っているという。

 神王が復活し、滅びに向かう世界を救うという神王教から遙かに離れた考え方で、異端審問にかけられたのなら、死刑を免れることはまずできなかった。

 他にもいくつか気になる話を聞いていた。

 拘置所の集団脱獄事件の直後。その混乱が最高潮に達したとき、兵士に追われる馬車を見かけた人が何人もいた。馬車はいずれも内陸側か港側の関所を目指していた。

 また、港側に詰め寄った馬車を、当然関所を守る兵士はそれを止めるのだが、馬車の御者の中にはただの平民に分したプロピナの兵士もいたらしい。

 そして、誰も通過できないはずの関所を、夜更けに難なく通過できた馬車もいたらしかった。どうやらここから大金を積めば兵士が通してくれるという噂が作られたようだった。

 国衛軍を通さない通路や区間を、どこかの偉そうな人や罪人らしき人を通し、ローブを頭にかぶった妖しい連中と取引をしているところも何人かに見られていた。


「問題は、その主犯が主かそれ以外かというところか。でも、これだけの規模ならよっぽどの無能か阿呆でもない限りは、そいつと考えるほうが自然だけど」


 ヤバルは、今にも東区へ歩き出しそうだった。けれど、頭を乱暴にかくと、東区から視線を外した。


「やめやめ。あの貴族様にはもう教えてあるんだ。これ以上俺に何ができるんだよ」


 できることはない、と自分に言い聞かせているようだった。

 訓練された軍人とただの平民のヤバルでは戦力に差がありすぎる。今さら合流したところで邪魔にしかならないし、最初からいても足手まといでしかなかった。

 ヤバルにできることはない。だから、自分に必要な事をやっているのだ。

 舌打ちをして、悔しさを顔に滲ませる。歩き出そうと、後ろ髪引かれる気持ちを振り払おうとしたヤバルを、地面ごと突き上げる大きな衝撃がヤバルの身体をよろけさせて止めた。


「なんだ!?」


 倒れそうになった姿勢で踏みとどまったヤバルは、重く大きな破砕音がした方角へ振り向いた。それは、東区アロガン港側の関所がある方角だった。

 建物の屋根越しに粉塵が見える。そして、一瞬見えた粉塵を散らす黒い風にヤバルは見覚えがあった。

 イサクのアイオーン。彼の刃から放たれた黒い嵐だ。


「くそっ!」


 黒い霧の風が見えたとき、ヤバルは駆け出した。自分に何ができるのか、自分は何をしようとしているのか考えず、ただ駆けつけなければならないという自覚のない使命感に似た意思から、ヤバルの身体は突き動かされていた。


「クソクソクソクソ……ッ!」


 誰もが驚いた顔で空に舞い上がった粉塵を見て足を止めている中、ヤバルひとりが全速力で走っていた。目立てしまうことすら、ヤバルは考慮していない。


「俺はいったい何してんだよ!」


 粉塵の下へ駆けつけようとしている自分を叱咤する。けれども彼は一切足を止めようとしない。最短の、港側の関所までの道を走り抜けた。



 漆黒の嵐が建物を巻き込んで、質量の暴力と化して町の一角を破壊する。余波だけで人は吹き飛んでいた。本流に飲み込まれた人は怪我だけではすまされない。

 まるで、ただの紙切れのように人や物が宙に舞う。巨大で強力な流れに逆らえず、空へなげだされてしまった人は為す術なく地面に叩きつけられていた。

 破壊の権化そのものだった。

 黒い嵐を操るイサクは、先陣を歩いていた。後ろには、マーイヤとポルドレフ、他数名の兵士が着いている。ポルドレフの背中にはベルトで身体を固定されたマリアがいた。

 ヤバルは、少しでも状況を早く把握しようと、構造の高い家の屋根に登って、騒ぎの渦中を見ていた。

 マリアを助け出したイサクたちが対峙しているのは、この町の領主から町を守るように命を受けている、町の兵士たちだった。町の兵士たちの表情には驚きも躊躇いもない。イサクたちを完全に敵として認識していた。

 しかし、それはイサクも同じだった。

 あれだけ温厚で優しい印象のあった男が、食いしばった歯をむき出しにして、自らのアイオーンを構えている。美しかった鏡面の剣は消え失せ、光を飲み込む漆黒の剣がイサクの感情を表しているようだった。


「おおおおおおおおおッ!!」


 イサクが獣のような咆哮をあげてアイオーンを振るう。黒い嵐が取り囲んでいた兵士たちを吹き飛ばした。

 しかし、町中の兵士たち全てを吹き飛ばすことは不可能で、すぐ後ろから別の兵士が立ち塞がり、イサクたちの退路を断つ。完全に包囲されていた。

 屋根の上から見ることしかできないヤバルは、拳を握りしめる。駆けつけたはいいが、荒ぶり猛る戦いぶりを見せるヤバルにヤバルは圧倒されてしまっていた。イサクの咆哮も怒号も、他の騒音や兵士たちの声や音にかき消されて届いていない。それでも、ヤバルが見つめる先で戦っているイサクたちの気迫は、距離の概念を超えてヤバルに伝わっていた。

 もとより、ただの平民のヤバルが近づいたところで何ができるわけでもないが。

 ヤバルは自分に目の前の状況を変えるだけの力が無いことを自覚していた。

 黒い嵐が再び暴れて兵士たちを吹き飛ばす。

 数十メートル進んでまた別の兵士たちが包囲を完成させる。イサクが再び黒い嵐を放っていた。一人で一騎当千のごとく戦う猛者のイサクだが、離れたところに立つヤバルからでもわかるほど、イサクは疲弊していた。

 もう何度目かわからない黒い嵐を放っている。いくら強力な力でも、何度も放てるほど便利なものではないのだ。

 マーイヤや他の国衛軍の兵士も応戦しようとするが、イサクの黒い嵐に巻き込まれないようにしないといけないため、大きな動きが取れないでいる。多勢に無勢の状況で戦えるのはイサクだけしかおらず、結果イサクだけがほぼ町の兵士全員を相手にしている状態だった。

 その黒い嵐の切れ目で、ヤバルはイサクと目があったような気がした。一瞬だけだった。

 だが、その瞬間、ヤバルは屋根から飛び降りて走り出していた。

 町の兵士たちが取り囲む中心。

 イサクたちを目指していた。

 ヤバルの目には、イサクが来いと言っているように見えたのだ。


「なんだんだよ……! 俺に何しろってんだよ。クソ! どけクソども!! どけって言ってんだろがあ!!」


 イサクたちを取り囲む町の兵士に向かって吠える。

 全力疾走するヤバルを、イサクたちを囲む陣形に近づけさせないように他の兵士が止めに入る。剣を構えていた。

 そのとき、ヤバルを止めに入った兵士たちの背後、イサクを囲む兵士の陣形から黒い霧の奔流が、イサクが走る通りを突き抜けた。建物を砕いて地面を抉る凶悪な黒の嵐は、兵士を飲み込んで消え去る。

 ヤバルだけが通りに残される。

 何が起きたのかヤバルが理解する前に、二撃目の黒の嵐が、ヤバルを中心に町の一角を吹き飛ばした。連続された暴力の破壊で一帯が元の町の外観を無くしてしまう。

 破壊の余暇と粉塵が舞うそこで、ヤバルは身体を小さくして庇うことしかできず、ただただ動けずにいた。

 どこからか助けを求める声や怒号、悲鳴も聞こえる。何とか指揮を整えようと声を飛ばす兵士の声も聞こえた。

 しかし、ヤバルからはどれも遠くに聞こえるものだった。まだ粉塵がやまず、状況を把握できずにいた。

 三撃目。

 黒の嵐が地面を抉りながらヤバルめがけて奔る。ヤバルには当たらず、黒い霧はヤバルを過ぎると急速に方向転換し、周囲を回転しはじめた。黒の竜巻が、粉塵と、まだ何とか立ち上がろうとしていた兵士たち残党を空へ巻き上げて飛ばした。

 高い密度の黒い霧が高速で回転する、黒の竜巻。

 ヤバルはこれを昨日見たばかりだった。

 町の兵士たちを無残に飲み込み、肉を抉る暴力の嵐。町を喰らう黒の嵐を難なく抜けてヤバルの前にイサクたちが現れた。皆、国衛軍の紋章を着けている。誰も彼もが服を汚し、怪我をしていた。

 国衛軍には、イサクの他にもヤバルの知る者がいた。ポルドレフ、マーイヤ。彼らの姿もあった。彼らも他の兵士と同じように汚れて、負傷もしていた。

 服装も髪も乱れているイサクの、緊張で張り詰めている頬には火傷もあった。

 ジューダス・ガリラヤと、医者のオルテイの姿はない。ジューダスは他の部隊を指揮官として、イサク不在の場を任されている。医者のオルテイは軍人ではないため、この場にいないのは当然だった。


「いったい何をしにきたんだ」


 この場に相応しくないヤバルへ向けて、イサクは尤もな台詞をぶつけた。その声音は怒りを溜めたものだった。ヤバルは答えに詰まる。ただ目があっただけで駆けつけたのだから、理由なんてものはなかったのだ。

 イサクの目が訴えていた意思も、ヤバルの勘違いかもしれなかった。

 黙り込んでしまうヤバルをおいて、イサクはポルドレフに指示を投げる。


「ポルドレフ、マーイヤ。彼にマリアを」

「はっ――」


 ポルドレフとマーイヤの二人は疑問も躊躇いの間すら挟まず、即座に対応する。ポルドレフの背には、頭までフードを被ったマリアが、ベルトで縛り付けられた形で背負われていた。気を失っているのか、フードから覗くマリアは苦しそうな顔でしていて目を開けようとしない。

 ベルトを外そうとしているマーイヤたちの動きにも反応していなかった。

 マリアがマーイヤの協力でベルトを解かれ、ポルドレフの背から下ろされる。マリアは力なくぐったりとしている。

 マーイヤはマリアを優しく抱き上げた。


「こっちに来て。マリアをあなたの背中に固定するから」


 ジューダス・ガリラヤと、医者のオルテイの姿はない。ジューダスは他の部隊を指揮官として、イサクの不在を補っている。医者のオルテイは軍人ではないため、この場にいないのは当然だった。

 マーイヤの言葉から、ヤバルはマリアを預けられるのだと察した。


「ちょっと待てよ。俺は無理だぞ。だいたいどこに逃げるんだよ」

「だったら今すぐここを去れ。出口は開けてあげよう。私たちの邪魔をしないでくれ」


 厳しく冷たい言葉を放ったのはイサクだった。

 黒く染まりきった剣の切っ先が、ヤバルに向けられる。


「ただ着いてくるだけの足かせは、ここで切り落とす」

「……俺は」


 ヤバルは言葉につまり、顔を俯かせてしまいそうだった。その彼の肩をポルドレフが掴んだ。


「頼む。協力して欲しい。この子だけでいい。この町から出してあげて欲しい」

「どう、やって」


 イサクが黒い剣を下ろす。


「私たちが囮になる。君はマリアを連れて逃げろ。マーイヤ、ポルドレフ。急げ。時間が無い」

「はっ――」


 マーイヤとポルドレフが手早くヤバルの背中にマリアを背負わせようとする。

 ヤバルは逃げるように二人の手を払う。


「だからちょっと待ってくれよ。なんで俺なんだよ。俺よりあんたらの誰かの方がずっと戦えるだろ。動けるだろ。俺はただの平民くずれだぞ!」

「無理なら去れ。君に過大な期待を抱いてはいない。この状況での最善を取っているだけだ」

 なおも無理だと引き下がるヤバルを、イサクは再び冷たく切り捨てる。ヤバルに背を向けた。

 マーイヤもポルドレフに視線をやる。ポルドレフはマーイヤの意図を正しく理解して、外していたベルトを着け直しはじめた。他の兵士も、イサクが睨む方角へ身体を向ける。誰も彼もが、もはやヤバルを見ていなかった。

 ―――カチ。と、何かを積み上げる音をヤバルは聞いた。


「最善の判断だ。身を守る最善は消極にある」


 職人の声だ。

 ヤバルには職人の声がどこから聞こえるかわからなかった。職人を探す余裕はない。ヤバルは今まさに去ろうとしているイサクの背中だけを見ていた。


「それでいい。それでいいが、その拳はどうした? そんなに何を大事そうに握りしめている。いらないものは捨ててしまえ。力んで持ったところで身を滅ぼすだけだ。所詮、一人で持てるものなんてものは限られているのだから」


 ヤバルは自分の握りしめた拳を見る。アイオーンの腕だ。黒いグローブはきつく握りしめられていた。


「握りしめて何が悪い……」


 ぼそりと溢した言葉は、誰の耳にも入らない。おそらくどこかにいる職人にも。

 イサクの背中に視線を戻した。職人の声も気配も消えていなくなる。職人はいったいどこから来てどこへ消えたのか、今のヤバルにはどうでもいいことだった。


「わかった。嬢ちゃんは俺が運ぶ。俺はどうすればいい」

「判断が遅い!」


 イサクは振り向くと、力任せに黒い剣を地面に突き立てた。激怒した顔で言った。


「答えに迷うな。迷うくらいなら切り捨てろ。お前が悠長に選んでいるだけ敵にすぐそこまで近寄れる時間を与えているんだぞ。考えながら動け。決して止まるな! 間違えても諦めず、止まらず、常に考えろ。常に動け!」


 ビリビリと空気を振るわせる怒声がヤバルを突き抜ける。

 数拍の間を置いて、黒い嵐がうるさく吹き荒れる音だけが聞こえるようになってから、イサクは怒りの表情を柔らかな優しさのある顔に変えた。


「君は軍人ではない。教えられるのは戦い方ではなく、考えた方くらいだ。すぐにできるのは無理だろう。生かせることも。でも、覚えておいて欲しい。生きるための術を。――ポルドレフ、マーイヤ。彼にマリアを」

「はい」


 二人が改めてヤバルにマリアを背負わせる準備をはじめた。今度は、ヤバルは拒絶せず、ポルドレフとマーイヤの作業を邪魔しなかった。

 イサクはその間、他の兵士に三班の編成を命じた。

 ヤバルの背中にベルトでマリアの身体が固定される。これでマリアを背負うためヤバルの両手が塞がることはなく、ヤバルがどんなに動いてもマリアの身体が落ちることもなくなった。


「君には難しいことを要求しない。今から君を遠くへ飛ばす。あとは東区アロガンへ向かい、関所まで辿り着いて欲しい。上手くいっていればジューダスが私たちが通過できるだけの道を作っているはずだ。すでに指令は出してある」

「そうかい。上手くいっていない場合はどうすればいいんだ」

「この町にしばらく潜み、頃合いを見計らってマリアと共に町を脱出する算段を考えて欲しい。とにかくこの町に居続けるのは危険だ。王都まで行けばなんとか安全も確保できるだろうが。望が難しいときは最悪君がやったようにどこかの国へ逃げても構わないよ」


 要約すると、ジューダスが失敗していた場合はすべての判断をヤバルに任せるということだった。ヤバルは堪らず舌打ちした。


「ツッコミたいところもあるが。あんたらはどうするんだ」

「私たちはこれから君から兵士をできるだけ遠ざける。ポルドレフ。準備はできたかい」

「はい。できました」


 ヤバルが見ると、ポルドレフは何かを背負っていた。マリアの被るフードに似せた布が巻かれている。遠目からでは、ポルドレフは未だマリアを背負っているように見える。

 ポルドレフの準備が終えたのを視認したイサクは、次にマーイヤを見る。


「マーイヤはポルドレフとも私とも別行動を取ってもらう。誘導と先導、どちらでもないように振る舞ってくれさえすればいい」

「了解しました」


 つまり、敵がポルドレフを囮と見向いた場合、マーイヤに敵の矛先が向けられることも計算に入れているのだ。囮の囮、囮。イサク、ポルドレフ、マーイヤ。この三人が、マリアを逃がすために別々の方角へ逃げて囮になる。


「で、俺はどういった風に飛ばされるんだよ。前回は二階からだったから、夜空も眺めたが。あんまり高いところは簡便だぜ」

「高すぎるのも目立つからね。この通りの突き当たりはT字路になっているんだ。こちらから見て右手側が東区の方角のはずだ。言っていることはわかるね?」

「つまり、あんな遠くの突き当たりまで飛ばすから後はなんとかしろってことか」


 五百メートル以上先にある通りの突き当たり。そこまで人が飛ぶのがどういうことなのかを、ヤバルは理解していた。しかも二人分だ。相当な勢いで飛ばされなければ、あそこまではいけない。


「その通りだ。もしマリアを傷つけたら、私が背後でこの剣を構えていると思うように」

「無茶言うなよ。昨日でさえ死ぬかと思ったんだぞ」

「ははは。なら、問題ない」


 イサクの疲弊で曇りがちだった表情に笑みが浮かび、明るさが戻った。いつものイサクが戻ったことで、兵士たちやポルドレフやマーイヤも、表情の緊張が綻んでいた。


「しっかりね」

「マリアを頼んだ」


 黒い剣が地面から抜かれる。イサクが、マリアを背負うヤバルに向けて剣を構えた。


「君が来てくれて良かった。ありがとう。神王の加護があらんことを」


 その言葉がヤバルの耳に届いたとき、ヤバルは黒い霧に跳ばされていた。言葉を返したくともイサクたちとの距離は一瞬で開かれてしまっていた。



 黒い竜巻が爆発するかのように散って、その周囲を破壊する。竜巻を包囲していた兵士たちが吹き飛ばされて、陣形が崩された。

 その瞬間、その黒い竜巻があった中心地から、三つの集団がそれぞれの方向へ走った。

 町の兵士たちは、黒い剣を持つ男の部隊を優先的に追う一方で、背中に布で包んだ物を背負っている男のいる部隊にも追手をかける。

 さらにもう一つ。二つの部隊を隠れ蓑にするかのように逃げる部隊にも追手をかけていた。

 町の兵士たちは概ねイサクの策の通りに動かされていた。

 その策士イサクは自身のアイオーンで派手に町の兵士を蹴散らしながら、ふと思い出したことを言葉に溢していた。


「ああ、また少年の名前を聞き忘れてしまった」



「くそが。マジで覚えてろよ」


 建物の壁に衝突し、なおも止まらず、木製の壁を突き抜けて建物内に転がったヤバルは文句を言っていた。背中に固定されているとはいえ、マリアは気を失っていて無防備だ。ヤバルは間違っても背中で自身を庇ってしまわないように注意していた。

 首を回して、背中を見やる。この騒ぎでもマリアは気を失ったままだ。よほど衰弱しているのか、他の何かが原因なのかはヤバルにはわからない。

 ただ、やるべきことだけはわかる。


「チッ」


 舌打ちをする。


「こんなことするために俺はここまで来たんじゃねえんだぞクソ。結局逃げてばっかりかよ」


 この状況の不満や苛立ちをすべて言葉にしてぶちまける。誰に聞かれても構いやしないという勢いだった。

 それでも背中の重みを捨てようとしないのは、彼の人格を表していた。

 どこか遠くで激しい嵐の音が鳴っている。


「クソがクソがクソがああああッ!!」


 誰にも向けられない感情を吐き出しているようで、無力でしかない自分にもぶつけているようで。

 逃げることしかできない少年は、しかし先をしっかりと睨んで走り出していた。マリアを背負ったヤバルは東区アロガン、その関所に急いだ。 

というわけで、約一ヶ月ぶりの更新ですね。


お久しぶりの方はお久しぶり。

初めての方ははじめまして。


このまま駆け足?で話を進められたらいいのですが。さて、どうなるものやれ。

では、よければ続編を楽しみにまっていて下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ