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王の腕  作者: 白風水雪
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二章〈選択〉後

ヤバル (記憶喪失。本名:サクラス・ザラスシュトラ)

マリア・オルレアン (少女)

エイディ・ガローン (記憶喪失前のヤバルと知り合い。ヤバルをサイと呼ぶ)

イサク・ジズ(名のある貴族)

 まだ若干身体を重く引き摺るような動作をしながらも、ヤバルは先に歩き出したエイディの後を追った。彼の視線はエイディの手の巾着袋に向けられている。


「返せよ。それ」

「もう俺のだ。まだ使う」


 ヤバルが不服な顔で睨んでも、エイディは構わなかった。歩き出した方角は、引き返してきた道だ。裏口を目指しているのだと、ヤバルでもわかった。


「戻って大丈夫なのか」

「今から確かめるんだ」


 交差点で、エイディは角から裏口のある通路を覗く。通路にはドアが二つ。その先に、外へ通じる裏口の鉄の扉があった。

 兵士の姿はなかった。誰もいない。増援の気配もない。

 ただ、未だ戦いの喧噪は鳴り止まない。内からも外からも、どこかしら音や声が響いて、通路を伝わってヤバルたちの耳にまで届いていた。

 エイディが徐に巾着袋からハルワタートの硬貨を取り出す。無造作に掴めるだけ掴み取ったのを、そのまま通路に投げた。

 キィン、と金属の甲高く響きのいい音が幾つも鳴る。


「ばっ――」


 ヤバルは思わず怒鳴り散らしたくなる自分を精一杯宥めて、エイディの胸ぐらを掴みあげると、潜めてた声で怒鳴った。


「ふざけてんなよてめえ。敵が寄ってくるだろうが!」

「だから、それを確かめてんだよ。情報によれば、裏口の二人の兵士は囮だ」

「あ?」

「よおく考えてみろよ。馬鹿の俺でもわかることだぜ。こんな慌ただしい状況で、出入り口に兵士が二人だけってのがまずおかしいだろ。拘置所でどんなに脱走者が暴れても、出るところは限られてくる。なら、先にそこを封鎖してしまえばいいだけのことだ。閉じ込めた箱の中を、弱り切ったのを見計らって覗けばいいだけのことなんだよ。じゃあ、その出入り口の一つの裏口に兵士がたった二人だけの理由は何だ」

「―――」


 罠だ。

 ヤバルは、エイディの胸元から手を離した。

 エイディが襟元をただしながら、角から前へ足を踏み出す。もはや彼には兵士の警戒はなかった。


「これだけの音を立てたんだ。もし他に兵士が隠れているなら、何かしらの反応があるはずだ。さっき死んだ奴が俺らを見つけて叫んでもいたしな」


 兵士はいない。

 残ったのは、見張りのいない出入り口が一つ。ここから外に出られると示さんばかりの、お膳立て。

 まだ硬貨が残る布袋を腰のベルトにつけて、エイディは言った。


「な、分かり易いだろ。ここに来るまでに兵士の数が少なかった理由も頷ける。増援がないのもその証拠だ。この扉の向こうでは、本命の兵士たちが大勢待ち構えている。そもそも、裏口は直接は外に出ることはできない。中庭に通じて、裏口用の検問を抜けてからようやくだ。なら、そこのどこか。もしくは、それらの抜けた先の狭いドアの外で、他の兵士たちが待ち構えていると考えるのが自然だろ。わざわざ狭い通路を追いかけるより、顔を出した瞬間を狙う方がよっぽど効率がいいからな。ずっと外が騒がしいのもたぶんその理由からだ。俺たちの同類が頑張っているだけで、実際は一方的だろうぜ」

「……じゃあ、どうするんだよ」


 エイディの説明は、この先の絶望を言っていた。逃げ道がないのだ。

 しかし、エイディはにかりと笑ってみせる。


「そのための情報をもらってる。言ったろ? 脱出路の確保は基本、らしいぜ」

「最後で不安が増したぞ」

「気にすんな。左のドアを開けるぞ。そこに用があるんだ」 


 今ひとつ説明が不十分のエイディに疑わしき目を向けながらも、ヤバルは彼に着いていった。どのみち、そうするしかないからだ。

 左手のドアの向こうは、ランプの明かりもなく真っ暗だ。エイディは兵士の有無を簡単に済ませると、通路の壁のランプを取った。


「行くぞ。サイもランプをもってこいよ」

「ああ。わかった。その部屋に何かあるのか」

「そのはずなんだけど……」


 何か不安を残す言葉だった。

 ランプの光で照らし出された部屋は、備品置き場だった。壁にはスコップやらロープ、雨具などが掛けられている。隅には金槌など、道具が入った木箱が積まれている。


「お、当たりだ。テーブルを退かすぞ。手伝ってくれ」


 部屋の中央に置かれたテーブル。この拘置所の見取り図が広げられている。

 エイディの話の通り。裏口からその先は一度中庭らしき空間を挟んだ後、もう一つの部屋から外に通じているようだった。


「おいサイ。せめて真ん中を持ってくれ。重いんだから」

「あ、ああ。すまない」


 テーブルを挟んでエイディと対に立ったヤバルは、右手だけでしかテーブルを持ち上がられていなかった。左手がないからだ。

 しかし、ヤバル自身はまるで両手で持ち上げようとしているようだった。

 そのせいで、テーブルがヤバルの左側に傾いてしまっている。


「お前、普段からアイオーンを使っていたから癖がついてんだよ。気をつけろよ。てか、まだ出せないのかよ」

「記憶からないんだよ、だから」

「あーはいはい。そうでしたね。いいから真ん中持てよ」

「わかったよ」


 改めて、ヤバルは位置を変えてからテーブルを持ち上げた。


「もう少しあげられないのか」

「無茶言うな。片手だぞ。お前が下げろよ」


 二人は口で文句を言い合いながら、テーブルをドア際に寄せて立てた。簡易のバリケードを作った。


「で、どうするんだ。まさか、テーブルの下に隠し通路があるとか言わないよな」

「おお。どうしてわかった」


 本当に驚いた顔で見つめてくるエイディの反応に、ヤバルは半ば引いた。


「なんのためにテーブルをわざわざ退かしたんだよ」

「そりゃそうだ」


 ランプで床を照らした。何の変哲も無い煉瓦の床があった。しっかり詰めて敷いてある。


「釘と金槌を探すぞ。剣を拾ってくるべきだったなあ」

「あの木箱じゃないのか」


 木箱は一カ所に積み上げてる。二人でランプの明かりを頼りに木箱を漁った。


「あったぞ。釘と、金槌。それから、バール。そこの木槌はどうする」

「武器になるな」


 杭などを打ち込むために使われる木槌だ。大人が両手で使う大きさだった。


「重すぎるだろ。なあ。ところで、エイディのアイオーンは剣の形をしているのか」

「当たり前だろ。むしろ、サイみたいにグローブとか、剣の形をしていないほうが珍しいぞ」

「なら、わざわざこうして道具を探さず、アイオーンを使えばよかったんじゃないのか」

「は? お前それマジで言ってんの? アイオーンだぞ」


 本気で常識を疑う顔を向けられた。


「だめなのか」

「自分の命と同格の……。ああ、もう。意外と記憶喪失ってめんどいな。お前は抵抗はないだろうけど。ほら、どうしても汚したくない大切なものってあるだろ。たとえば、食器とか宝石とかでもいい。それを、土やら埃やらのそんな汚れたところに置いたり使ったりするのはどう思うよ? なんか嫌に思うだろ」

「なるほど」

「そういうのだよ」


 ヤバルが頷いたのを見て、エイディは満足した。二人は見つけた道具一式を持って、再び部屋の中央に戻る。木槌も持っていった。

 ヤバルがランプで照らす。両手を使う作業はエイディがやるしかなかった。エイディが金槌を使って、煉瓦の間に釘を打ち込んだ。

 空いた隙間にさらに釘を打ち込む。バールも打ち込んで、ようやく煉瓦一つを苦労して取り出した。


「下からも煉瓦が出てきたんだが。なあおい」

「……も少し掘り起こそうぜ」

「この間に兵士が来たらどうするんだ」

「来る前に終わらせるんだよ。決まってること言うなよ」


 二人は会話をやめて煉瓦外しを続けた。一つふたつ外してしまえば、後は割と簡単だった。二段目に移る。


「おい。やっぱりここであってるよ」


 最初に煉瓦を取り外したあたり。二段目のを取ったところで、エイディはその下にあるものを見ていた。

 木製の板があった。朽ちているのがランプの光だけでもわかる。エイディの目的は木製の板のさらに下にある。

 十分に周りの煉瓦を取り除いてから、エイディが木槌を両手に持った。ヤバルは立ち上がって離れた。

 勢いよく木槌が振り下ろされる。一撃で木の板が割れる。二撃目で穴が開いた。

 ヤバルがランプで照らしながら木の破片を取ると、暗い空間が見せた。闇が静かに沈み、冷たく湿った空気がヤバルのところまで上がってくる。

 ランプを穴に突っ込んで空間を照らす。全容は見えないが、何かの通路にも見える。古びた壁や床が闇より浮かび上がっていた。飛び降りることができない高さではなさそうだ。

 近くの壁に梯子が取り付けてあったらしき跡が見える。金具の足だけが壁に残っていた。壁の材質は自然石が使われている。ヤバルたちが捕らわれていた地下牢と同質だ。

 地下の空間は、ヤバルが見つめる方向へ。真っ直ぐ伸びていた。


「地下道か」

「いや。地下墓地らしい。ここから地上に出る。抜け道にも使われたことがあるらしいんだ」

「ロープを使うか。あのテーブルに結びつければ大丈夫だろ」

「よし。それでいこう」


 エイディはさっそく動いて、壁のロープを取った。一本では足りないと見てもう一本を結びつける。テーブルにぐるりと一巻きしてから結んで固定。端を穴に垂らした。

 自分の分のランプを持ったエイディが一度中の様子を窺ってから、足から穴に入っていく。ランプは口に銜えた。

 テーブルの重さは、十分に少年一人分を耐えた。


「大丈夫みたいだぞ」


 掘った穴の向こう。下の空間に無事降りたエイディが、ヤバルに向けてランプを持った手をあげる。


「大丈夫みたいだぞ」


 ヤバルもエイディに習って降りるが片腕だけのため、自重を支え続けるのも限界があり、半分ほど降下したところで思い切って縄から手を離して飛び降りた。

 着地に成功。改めて、空間をランプで照らした。

 地下墓地というエイディの話は正しかった。ヤバルたちが降りたのは、通路だ。ランプが設置されていた跡もあり、壁などには剣のレリーフがあった。埃が積もり、廊下やその壁にはヒビも入っている。宿主のいない蜘蛛の巣も張っていた。

 とても古びたところだというのは、ヤバルでもわかった。空気の通りはある。ひんやりとした空気はかび臭い。しかし、微かだが風があった。

 つまり、どこかにもう一つ地上に通じているところがあるということだ。


「で、ここからどこに行くんだ」

「真っ直ぐに決まってるだろ」

「そりゃそうだ」


 ヤバルの後ろは行き止まりだった。通じているのは正面しか無い。ヤバルたちが降りたところが、ちょうどこの地下墓地の出入り口になっていたようだ。

 正面の通路の先は、ランプの光では奥まで照らせず、深淵が冷たい空気と共に横たわっていた。アーチ上の天井にも神王教のシンボルがあった。側面の壁のレリーフと違う、高い品格を感じられる精密なデザインから、ここからが墓地の境界であることを示していた。

 本来なら墓地という忌避感のある場所と、神王教の聖域でもある神性さから、人々は畏怖の中にも神秘性を感じる場所のはずなのだが。


「なんか出そうだな」

「次言ったら今度は盾な」


 エイディをヤバルがひと言で黙らせる。

 年月を経つことで帯びた、風化して寂れた地下墓地の雰囲気は、さながら地獄の入り口のように見えていた。

 若干及び腰になりながらも、二人は奥へと歩いて行った。

 ひんやりと冷えた空気がヤバルの身体を、ぶるっと震わせる。自分よりランプを前に出して行く手を照らし出すことで、足下に困ることはなかった。順調に進んでいく。

 狭い通路を抜けると、二人を迎えたのは、開けた空間だった。といっても、さすがに地下に作っているだけあって、驚くほど広くはない。

 しかし、二人が驚愕と畏怖の顔で足を止めてしまっていたのは、通路より幾分か広いだけの空間の壁や柱の至る所に棚がいくつも設けられていて、その棚全てに無数の頭蓋骨がずらりと隙間無く、しかし綺麗に並べられていていたからだ。

 地獄の入り口というよりは、もはやここは死人の世界そのもののような景観だった。


「本当に地上に出られるんだろうな」

「ま、まだ入り口だろ。奥にあるんだよ。聞いた話のとおりだと」

「だから最後が不安になるだろ」


 うるせえな、とエイディは返しながら、ランプの照らさし出された墓地に足を踏み入れた。情報を知っている彼が先導して行く。

 少し遅れる形で、ヤバルも墓地を歩いて行くのだった。

 埃とカビの臭いがどこまでも充満している。二人に見えるのは無表情の骸骨が、訪問者をその無感情の暗い穴で見つめてくるような光景だった。ヤバルの顔は引きつるのを隠し切れていなかった。

 先頭を歩くエイディの顔には、不安どころか後悔の色さえ見えていた。

 十数メートルで、また一つ広い空間に出ることができた。まだ外ではない。今度はそれなりに広い部屋のようで、ヤバルたちの持つランプでは全容を照らしきれなかった。

 ここでも頭蓋骨が並べられていて、濃い暗闇の空間を迷わぬように、ヤバルたちは骨の壁伝いに先を目指した。

 この部屋で見られる骨は頭ばかりではなかった。窪みや、小さな部屋らしきものが壁を掘るように設けられ、そこにはミイラが安置されていた。かつては煌びやかな色合いを出していたであろう衣服を着せられて、枯れた人間の遺体は静かに眠っている。爪や歯、髪などには生前の残滓がまだ残っているのか、生きているものともと比べても風化の浸食はあまり見られず、今にも枯渇した生気を求めて動き出しそうな雰囲気さえあった。

 ミイラの遺体は、他とか明らかに違う特別な意味を持っていそうだった。

 ヤバルたちはそれらを横目に見ながら、足は止めなかった。この空間の雰囲気に飲まれてしまったのか、いつの間にか二人から会話が消えていた。無言で行く。

 突き当たりの角で一度足を止めてから左折する。右手側の壁に細い通路を見つけ、入った。

 人ひとりがやっと通れるような通路は、とても狭いが、空気の流れが先ほどまでより肌で感じ取れるほどあった。その空気の流れは地上へ続く証拠でもある。


「ここは昔、ワヒシュタの首都だったんだ」


 先頭を歩くエイディが突然ぽつりと話し出す。狭い通路に響くのは二人の足音と呼吸だ。兵士や脱走者たちの争い音は遠い。だから、ヤバルは前を行くエイディの声がよく聞こえていた。


「そして、昔の首都の教会がここだったんだ。正確には上だけどな。んで、今俺たちがあるいているのは、その墓地。正確には、教会が聖人と認めたり、かつて裕福な家の人間の骨が納められている墓地だ。通常墓地はこの町の外にあるんだが、墓泥棒の恐れもとかもあって、金のある奴は泥棒に遺族の骨を触られるのを嫌って教会の地下に骨を納めたらしい。ここにある頭だけの奴らは、こんなんだけど全部どこかの金持ちや貴族の繋がりがある奴らばかりなんだ。聖人になると、ほら、さっきのミイラがあっただろ。ああいうのが聖人の遺体なんだそうだ」

「詳しいな」

「ここの道を聞いたとき、何で地下に墓地がって聞いたら律儀に教えてくれたんだよ」

「お前を牢から出した兵士が、か」

「そうだ。無愛想で気味悪い奴だけど、そういう物知りな面は少しだけ好感が持てた。俺たちが入れられていたところも、最初は墓地だったんだぜ。地下墓地は他にもいくつか作られていたんだ。使われなかったうちの一つがここだ」


 エイディの足が止まる。行き止まりだ。

 燭台や、何かを詰めた布袋、それから小さな本棚もあった。エイディがランプを本棚の上に置いて、本を取って軽く埃を払って開く。


「字、読めるのか」

「ぜんぜんだ。自分の国の字すらまともに読めないのにわかるわけないだろ。外国なら尚更わからん。でも、どういう目的のものかぐらいは、何となくわかることだってあるだろ」


 エイディが本を開いたままでヤバルに見せた。ヤバルは本をランプで照らして覗き込む。虫食いが酷くて、ページがまともな状態で残っていない。辛うじて残っているところには文字らしきものが書いてあった。

 ヤバルは見たことはあるが読めない。ワヒシュタの文字だった。だが、何を書かれているかは虫食いの被害を受けていても、全体を見ることで何となくわかることができた。


「人の名前か?」

「そう。ここに骨を納めた人間か、もしくは管理人か役人の名前の記録だな。売って金になるかわからねえな」


 エイディは興味をなくした顔で本を捨てた。ランプを持ち直すと、片手で行き止まりに積まれた物を退かす。乱暴に物を散らかしたため、埃が舞い上がった。


「何してんだよ」

「隠し通路を探してるんだよ。この先が地上に続いているはずなんだ」

「なあ、今さらだがお前を牢から出した兵士の言うことを本当に信じて良かったのか。そもそもなんでここの連中を脱獄させる必要があったんだ」


 ヤバルが疑いを持つのも無理はなかった。今回の騒動は不明な点が多すぎた。あの兵士が犯罪者たちを逃がす理由すらわかっていない。


「……知らねえ。だけど、他に方法がなかったんだ。この国に来る方法なんて。俺みたいな最底辺の平民には」


 背中を向けたまま語るエイディ。

 その言葉の端々からは、彼のこの国で果たす目的のための決意が見えていた。

 しかし、ヤバルは記憶喪失であるため、エイディの目的すらも知らなかった。


「騙される覚悟もなきゃ、俺はこの国の地すら踏めていない。……ここだ」


 エイディは奥の壁に頬を近づけて何かを見つけた顔をした。ランプのガラス部品を外して近づけてみせると、明るく燃える火が激しく揺れた。壁とは反対へ尾が伸びている。


「見ろ。風がきている。ここで間違いない。蹴破るぞ」


 エイディが軽く助走をつけて壁を蹴った。変化はない。何度も繰り返すが、壁はぴくりとも動かなかった。しかし、二人で壁を蹴り破るには通路が狭すぎる。どちらかが蹴るときは、必ず片方が後ろと変わる必要があった。


「くそ。どうして、動かないんだよ!」


 やけくそで何度も蹴るエイディの後ろで、ヤバルはどうしたものかと考えていた。もはやこの地下のどこかで地上への道を探すしかなく、今さら引き返すのもばかげていた。


「どんな物にでも脆いところはある。完全など、もはや不可能なのだ。すべては滅びを内包しているのだから。この世界に、滅びの楔がある限りは」

「!」


 ヤバルは反射的に後ろを振り向いた。誰もいない。ランプの光を飲み込む闇が通路に沈んでいるだけだ。


「腕を使え。解は見えずとも、道はわかる。重要なのは壁が壊れるかどうかではなく、その先に望む道があるかどうかだ。腕を使え」

「……」


 徐に前へ出る。

 エイディに割り込んで、壁に手をつけた。どこか朧気な目をしたヤバルは、横で文句を言うエイディを無視して右手で壁を撫でる。すっと、右手を一カ所で止めた。


「―――ある。ここだ」

「ならば解はなくとも目指す先は同質」


 はっ、とヤバルは我に返った。自分の目線よりやや上。そのあたりの壁を右手に触れていた。


「なんだよお前。何かあるならまず言えよ」

「悪い。なんか、疲れてるみたいだ。なあ、エイディ」

「あ。なんだよ」

「たぶん、壊すならここだぞ。何かぶつけるのに使えるものはないか」

「……布袋に本を詰める。鈍器代わりだ」


 まだ言い足りない顔をしていたエイディだが、足下に散らかした布袋の一つを拾い、中身の穀物や薬草らしきものを出してから本を詰め始めた。ぽつりと言葉を漏らす。


「まるで記憶を失う前のお前みたいだったぞ。突然、最初から全部知ってるみたいな言い方とか。記憶、本当にないのかよ」

「悪い」

「いいさ。ほら、これでいいだろ。で、どこをこれで殴ればいいんだ」


 布袋に重り代わりの本を詰め込んで、遠心力で対象を殴る鈍器が完成した。口を閉じる紐を利用して回すのだ。

「ここだ。ここを狙ってくれ」


 ヤバルが位置を指定して、後ろへ下がってエイディと代わる。エイディは布袋を、腕を大きく使って回して遠心力を高めた。通路が狭いため、回転は縦の逆時計回りだ。下から振り上げるようにして、布袋を三度回す。


「――っだ!」


 最後に力を一層込めて、十分に威力を高めた布袋が放たれる。ヤバルが示した位置に、ほぼ正確に命中した。

 布袋は衝撃で破けて、中身の本をぶちまけた。それほど威力があったということだ。

 目標の壁には、穴が開いていた。煉瓦の一部がなくなっていた。

 エイディがランプの光で照らして確認をした。壁の向こうには空間があった。


「っしゃあ! マジかよおい。やっぱお前は最高だ」


 壁の穴はまだ人を通れるほども開いていないが、壁の向こうへ行けることが知れただけでも大きな成果だった。ここを支点に穴を広げていけばいいのだ。

 そのとき、通路の奥から大きな声がヤバルたちの耳にも聞こえた。


「ここに地下があるぞぉ!」


 遠くからこの地下墓地を響いた声だった。

 兵士たちに地下墓地の存在が発見されたのだと、ヤバルたちは察知した。


「やばっ。急ぐぞ。お前も手伝え」


 狭い空間を二人で詰め合って、穴を広げるのを急いだ。落ちた本を拾い、それで壁を殴った。どちらの本が手や頭にぶつかっても二人は作業を止めなかった。瓦礫や砂を頭からかぶっても構うことはしなかった。

 ごちゃごちゃしながらも、二人でなんとか穴を広げて、煉瓦をできる限り取り除く。ようやく人ひとりが通れそうになるまで開けることができた。

 本棚を踏み台にして、エイディが先頭に行く。


「おわっ」


 半分ほど身体を突っ込んだところで、するりと穴の向こうへ消えてしまった。落ちる音が壁越しに聞こえていた。

 すぐさまヤバルも穴に頭を突っ込んだ。


「大丈夫か!」

「ああ。なんとか。ちょっと待ってろ。危ないぞ」


 壁の向こうはもう一つの地下の空間に繋がっていた。地上に繋がっているわけではなかった。高めの位置から見下ろすそこは、濁った水とカビの臭いがする空間だ。

 一メートルくらい下あたりからエイディがランプを上げて言った。


「思いっきり来い。受け止めてやる」

「馬鹿、退いてろ。このくらい大丈夫だ」


 エイディと同様に頭から入ったヤバルは、そのまま落ちる。が、首や片方の肩を身体の内側に曲げることで着地の支点をずらし、うまく衝撃を殺した。やや転がる形で着地する。


「上手いもんだ」


 ランプの火を確認し、身体に着いた埃やらを落としながら立ち上がるヤバルを、エイディは関心の面持ちで見ていた。

 さも面白くなさそうな顔でヤバルは言った。


「別に。大したことでもないだろ。ここはいったいどこなんだ」


 改めて新たな地下空間をランプで照らしてみる。地下墓地より古いところなのかどうかは、頼りがランプの光だけでは把握できない。

 ただ、地下墓地と違うのは、湿度と水の臭いが強いということだ。

 煉瓦の壁を撫でながら、エイディは空間の全体を見渡していた。


「たぶん。地下水路だ。真ん中あたりにはまだ水が細く流れている。くそ、こんなの聞いてないぞ。地上に出られるんじゃなかったのか」


 エイディは苛立ちの声を漏らす。

 彼の推測は正しく、新たな地下空間は水道として使われていた形跡があった。壁には苔が生えいていて、足下は若干だが湿りがあった。

 煉瓦のトンネルには、歩道と、水が流れていたと思われる水路がある。しかし、流れているべき水は今にも絶えそうなほどか細い。現在も使われているか妖しかった。

 ヤバルも、エイディの推測に疑問は持っていない。すでに思考を切り替えていた。地下墓地を兵士たちに発見された以上、長くここに留まるのは危険だった。


「なんにしろ。空気の流れはここからきていた。なら、ここも地上に繋がっているはずだ」

「……そうだな」


 気を取り直した顔で、エイディは左右の、闇が深まる水道を睨む。どちらかを選びかねているようだった。地下墓地で見られた空気の流れがここでは無い。弱すぎるのかどうか不明だが、ランプの火を揺らすほども、濡らした指先で感じ取れるほども、風は吹いていなかった。

 水の流れに沿ったとしても、上流が外に通じているとも、下流がまだ塞がっていないとも限らなかった。水路に流れる水の細さから、自然と地中へ染みこんで、下流では流れが途絶えてしまっていてもおかしくはない。

 そのとき、ヤバルはどこかで何かを積み立てる音を聞いた。カチ、カチ、と一定のリズムで静かな君の悪い音だ。声も聞く。


「どちらも一緒だ。選ぶ道に違いがあるとしたら結果のみ。先が分からぬのなら、選ぶ過程に時間を掛けても意味はない。答えを知る方法がないのなら、今現在の残された愚行は、この無差別に過ぎゆく時間を持て余す行いそのものだ。なら、この場合の賢さはどこにある」


 それは牢屋で見た、後ろ姿の老人の声だった。ヤバルは舌打ちをする。

 声のした方へ向いても、誰もいなかった。闇がどこまでも続いているのみだ。

 ヤバルは誰だとは問わなかった。どこにいるとも探さなかった。声が聞こえたのが自分だけなのかと相方にも聞かなかった。

 険しい顔で声が聞こえた闇を睨み、振り払うかのように背いて、エイディに声を掛けた。


「エイディ。俺の金まだ残っているなら一枚貸せ。それで決めてやる」


 エイディの腰のベルトには、ヤバルの財産が入った布袋が下げてある。すぐに意図を察する。


「最後は運試しか」

「最後とも限らんだろ。他に有力な方法があるなら言ってくれ」

「知らん。まかせる」


 ヤバルにハルワタートの硬貨が一枚渡される。表に国の象徴でもある麦畑。裏が硬貨の価値となっている。


「決めるぞ。俺から見て、右が表。左が裏だ」


 キイン、と音を立てて、硬貨が宙を舞った。

 エイディもどこか楽しそうな目でそれを見守った。偶然でも必然でもいい。逃げ延びたい願いは放棄していない。

 彼らは一枚のコインに、これからの運命を委ねた。

こちら二章の分割、後編になります。

他同様に内容に変更はありません。


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