十三章〈崩壊〉後
「国衛軍第六部隊伍長マーイヤ・レイアだ。逃避行動も反抗と見做すぞ。大人しく地面に伏せて頭を両手につけろ」
アイオーンの切っ先で刺客を牽制した。マリアを引き寄せ後ろに立たせて護衛する。後方では追いついた後衛の軍人ふたりがヤバルの守りについた。
ヤバルを倒した刺客ふたりは後衛の軍人が駆けつけた時には退いていて、道路脇の民家の傍まで距離を取っている。物陰に寄り添った。
マリアに強襲を仕掛けていた刺客は、マリアのアイオーンを相手取っていた三人と合流する。
敵勢の一旦退避で事態は硬直する。ヤバルたちをここまで連れ出した男が、劣勢にも余裕の表情でマーイヤに言った。
「これはこれは。マーイヤ・レイア、あなたがわざわざ出向いていたのか」
「最後の警告だ。うつ伏せになれ」
「すまないが。こちらも命令優せ、ぐっ!」
「私が何かさせると思ったの?」
男が立っていられず膝をついた。彼の腕と足が穿たれていた。目視できない何かだ。男の手からは青白い粒子が漏れていた。アイオーンの現出が潰されていた。
「参ったな。ただの下級兵士と甘く見てくれないか」
「軍服を着ていなかったら多少は加減してたかもね。さあ、あなたたちはどうするの」
仮初めかもしれないとはいえ、顔も隠さず軍服まで着てほぼ自らの身分を明かしている男に、油断ができない。
事と次第で軍そのものの内乱か、ジューダス・ガリラヤの反乱になりかねない。
刺客たちは次の矛先が向けられても無言だ。戦闘の態勢は解かずマーイヤ部隊と睨み合う状態になる。
撤退か応戦か、刺客の表情が見えづらく地の利が刺客にある以上、単純戦力の優勢であってもマーイヤたちから仕掛けることはしなかった。彼女たちにはマリアの安全が第一という命令が優先されている。
その中で。
「ねえ。あなたたちがイサク様を貶めたの……?」
マーイヤに守られて事の成り行きを見守っていればよかったマリアが、ぽつりとつぶやいた。昼間に救済教の男から聞かされた忠言が彼女の中で反芻されたのか、虚ろな目が危うい雰囲気を纏って、男を捉えていた。
男はにやりと笑う。顔も上げられない状態でも声質に笑みを臭わせた。
「首だけになったわりによ、あれは綺麗すぎたよなあ」
「!!」
マリアのアイオーンがゆらりと動いていた。緩慢にあらず滑らかで素早い動作で無数の刃が形成される。マーイヤが制止の意味でマリアの名を叫ぶが、すでに場の硬直が瓦解していた。
民家傍まで退いてた刺客がマリアに奔る。未だ対峙している刺客への加勢を狙っていた。これの連携で、マリアたちと対峙していた男合わせた四人も二手に分かれる。ふたりの刺客が先の刺客とは反対の側面から攻め入ろうとする。正面からも男と刺客ひとりが来る。三点の挟撃を成す。
マーイヤの戦力は個に対して強くても多勢の力押しに弱い。だからこそ先手を取り、初手から制圧していた。
しかし今、定石の基盤が崩されつつあった。
選択できる行動は三つ。
ひとつ。正面をマリアに任せて側面の対応をする。マリアが冷静であれば多勢に無勢もひっくり返せる。その時間さえ稼げばいい。だが、彼女は復讐心に支配されて男しか見ていない。
ふたつ。暴走しかけてるマリアに加勢して正面の勢力から潰す。この場合、マーイヤが対応しなかった方が無防備になる。カバーに回った仲間の犠牲か全滅かのリスクが高くなる。現時点で目視できている敵勢がすべてとも限らないのだ。
戦闘面でも、マリアのアイオーンは特性上超接近戦は得意ではない。必要以上の刺客の接近を許すのは最悪手だった。
みっつ。撹乱だ。理詰めの不利を悟った時の最後の手段だ。
現敵勢力の接近、他勢力への牽制、また味方勢力に少しでも有利な地形を作れば、少なくとも瞬間的に五分か優勢にできる。
決断に迷いはなかった。
「フェルゼン攪乱しろ!」
命令された部下はアイオーンを地面に刺した。彼の周囲をはじまりに岩の突起が無差別乱雑に地面から隆起する。マーイヤたちを囲むようにしながらも、正確性は欠けていて、避けていなければ串刺しにしていたときもあった。
とはいえ、それこそ攪乱の真髄だ。
敵味方問わずの地面からの攻撃は混乱を極める。そしてこの能力の特性をわかっているマーイヤ勢力に分があった。
「マリア。引くわよ」
「邪魔しないでよ! どうして皆みんな私の邪魔をするの!」
マリアは掴まれた腕を払った。マーイヤがいなかったら岩の棘で串刺しにもなっていたが、今の彼女にその事実すら見えていない。
「サブロ! こいつらを退かして!」
ヒステリックな声で命じたのは岩の棘の排除だった。
悪手中の悪手。
まだどこに味方と敵がいるかの把握ができていない混乱の最中だ。最悪味方が巻き込まれる。障害物を軒並み壊されては折角の妨害も意味を消失しかねない。
マーイヤは怒りの感情を抑えて、マリアを気絶させようと判断する。味方の全滅を避けなければ護衛どころではなかった。
そこに。
岩の隙間を縫って音もなくすり抜けてきた何かがマリアを襲う。蛇だ。大人が両手で抱えるくらいの頭の、砂の蛇が牙を向けてきた。
奇跡的に注意が余分マリアに集中していたため、マーイヤが反応できた。不可視の壁を展開させる。砂の蛇の顎が見えない壁に牙を立てた。
「そこだ!」
マリアは即座の反応で土の蛇の先に朱い布の刃を走らせた。守られた事実は眼中にない。岩の棘もろとも空間規模で切り裂く。岩を崩し、破片を飛ばすだけで人らしいものはなかった。
蛇はアイオーンの能力の産物だ。それがアイオーンそのものか、副次事象のものかは現時点で不明だが、気配そのものを消すのは不可能だ。眼前に現象か能力そのものかがある以上、どこかでアイオーンが発現しているのは間違いではない。
つまり、気配を追えば、確かに繰り手の存在があるはずなのだが。
マリアはアイオーンの気配を追って岩の棘を睨んだ。サブロの刃で切り裂いたところかやや横に気配を感じ取ったのだ。
再び攻撃を仕掛ける。刃が狂乱する。
ところが。マリアが睨む、真反対。マリアの背後側の岩陰から男がナイフを持って駆け出していた。
彼の手元にアイオーンはない。砂の蛇は囮だった。
マリアの傍で見張っていたマーイヤのレイピアが、男のナイフを弾く。奇襲に失敗した男は再び距離を取って啀み合うしかなかった。
同時刻、別方向上部でも岩の棘の先を足場に刺客ひとり走っていたが、マーイヤの部下のアイオーン、旋回する刃がそれを妨害する。刺客は堪らず一旦岩の隙間に身を引いていた。
混戦は極まる。
また別方向から今度は刺客ふたりが現れた。ギリギリまで岩の棘に隠れながら近づいていたのだ。マーイヤが不可視の弾丸三つすべてでひとり足止めするが、一人抜かしてしまう。
「マーイヤさん退いて!」
「マリア!」
味方の叫びもマリアには届いてない。男に固執しすぎてマーイヤが食い止めているのを邪魔に思っていた。刺客が迫っているのも見えていない。
再びのマーイヤの悲鳴に近い呼び声が響いたとき、マリアはようやく自分に迫る危機に気づいた。
岩の棘がマリアと刺客の間に飛び出す。マーイヤの部下のフォローだ。が、刺客は鮮やかによける。止まらない。
刺客との距離、あと二メートル弱。
肉薄も否やの一瞬。ヤバルが身体ごと刺客にぶつかって刺客を止めた。
「ヤバ……!」「痛ってなぁ! マリアあ、どうにかしろおおお!」
タックルでヤバルが迫っていた刺客を止めた。腕にナイフを受けながら自身の体重で刺客を強引に倒した。マリアは、はっとさせられて。
「デュナミス、お願いっ」
急速で朱い布が巨腕を形成していく。完成半ばで強引に振るわれる。
マリアのアイオーン本体を巻く朱い布の腕は全長十メートルを軽く超える。手を異様に肥大化させた巨人の腕だ。岩の棘を物ともせずにぶつかるものを砕きながら、ヤバル、マーイヤ、その部下ふたりの目標を大きな手に収めた。
刺客たちは咄嗟に引いている。男は負傷のせいで逃げ遅れて巨腕に弾かれていた。
仲間をすべて確保してからマリアは標的を刺客に向けた。
「サブロ、加減はいらないわ。蹴散らせ」
一帯全て。岩の棘も近くの民家も軽々切り裂いていく。刺客たちは朱い布に追われる前から撤退に入っていた。あわよくば再度攻撃を仕掛けようとしていた刺客もいたが、朱い刃に負けて退いていた。
ただひとり、ヤバルたちをここまでおびき寄せた、顔も隠していなかった男だけが残される。
マリアは彼のアイオーンの具現化を見逃さず、刺客たちを追い払う片手間に、男の腕と足を朱い刃で刺していた。
諦めの笑みを浮かべた男は畏怖に従い抵抗をやめていた。仰向けに寝転がっている。
「化け物め。子どもになんてものを与えたんだ」
「出てきてソフィア」
朱い布が解かれて陶磁器に似た材質の女性像が顔を見せる。哀しみの表情で目を伏せたそれを出して、マリアは一旦、間を置いた。男に気を配りつつ周囲に感覚を研ぎ澄ませている。
まだ刺客が潜んでいるのを警戒していた。
アイオーンの、味方を包み込んだ大きな手からマーイヤの声がした。
「ソフィアはだめよ大災害になるわ」
「加減はするわよ」
否定がなかった。
マーイヤたちはアイオーンからそっと解放される。腕を負傷したヤバルもマーイヤの前に優しく置かれた。
残骸だらけの中央でソフィアを展開したままでマリアは男を冷たく見下ろす。マーイヤたちは背後に控えさせていた。何者でさえ安易に割って入れない空気なのだが、マーイヤひとりだけ、マリアの隣に並び立った。
マリアがぽつりと溢す。
「……ねえ。イサク様を貶めたのは誰なの」
「悪いね。憶測で言うほど無責任にはなれないんだ」
男は仰向けのままでマリアを見ようとしていない。
「そう。あなたの上司は誰」
「答えられない。すまないね」
「マリア彼を止めて!」
徐に男が口に手を当てる仕草があった。マーイヤは咄嗟に叫んだが遅かった。マリアが言葉の意味を察したとき、男は何かを飲み込んでいた。
「ラム、応急処置を急いで! 吐き出させて!」
「だめ」
駆け出そうとする部下をマリアが朱い刃で止める。男はナイフを握っていた。
毒の対処をしようとする部下を狙っていたのだ。男は笑みを溢した。
「それでいい。粗相の後始末を頼まれてくれないか」
「嫌よ」
「お願いしたよ」
男が咳き込んだ。全身をビクビクさせる。口から血を溢れ出した。もはや手遅れだった。
苦しそうな声を吐き出した。
だが、手助けする人はいなかった。毒で人が死んでいくのを見届けるしかなかった。
死に様を為す術なく眺めていたマリアが声を漏らす。
「マーイヤさん。ごめんなさい」
「一発殴って欲しいのならジューダス・ガリラヤ中尉にしてもらいなさい。私は優しくしてあげない」
「……うん」
弱々しい声でしか返せなかった。
マーイヤは吐息して、ラムにヤバルの処置を任せた。腕を刺された傷は最悪毒が回っている危険もあった。暗殺を目的にした刺客の武器がただの刃物であるはずがないのだ。
それから、弱り切って事切れる寸前の男に近づいてまだ情報が取れないか声をかけていた。微かに動く口元に耳を寄せるが彼女の表情は晴れなかった。
マーイヤは静かに立ち上がり、フェルゼンを呼んで状況確認と帰路の打ち合わせをする。刺客たちが戻ってくる気配もない。
このままマーイヤたちは元の学生治療区域まで戻る手筈だ。
刺客が潜んでいた根城にもなるのだが、マリアの疑問にマーイヤは二度目の心配はないと断言した。わざわざ拠点から離れた手法から、例えまだ潜んでいたとしても、治療区域で暴れて万が一の大事にはしたくないだろうと踏んでいた。
簡単だが処置を済ませたヤバルをフェルゼンに担がせて、マリアたちは学生治療区域へ戻ることになった。
†
ヤバルは眩しそうに目を細めた。開きかけた瞼の隙間から涙を滲ませている。明るさに目が慣れていない。
「目が覚めたのね」
傍の椅子に腰掛けていたマリアが聖書を閉じて、声をかける。彼女は物静かな仕草で前に垂れた白銀の髪を耳の後ろにかけて、蒼い瞳でヤバルを見つめた。
「オルテイ先生を呼んでくるわね。大人しくしといて」
「まっ……! まて」
「――あなたは毒で魘されて三日寝ていた。後遺症がないか診察してもらうから、絶対に動かないで」
立ち上がるマリアの袖を掴めなかった。ヤバルは腕を満足にあげることすらできていない。素早く部屋を退室するマリアは安静の念押しをしていた。
一人残されたヤバルは天井を見上げて窓に視線を移す。
「……なんだよ、あれ」
堪らず身を乗り出す。力の入らない身体は上手く動けない。窓の外を少しでもはっきりと覗き込みたいところだが、上体を起こせなかった。
寝たままでしか確認できていないが、大神殿の上部、中腹に近いところまでが崩壊していた。
「何が起きたんだ」
たった三日。
されど三日。
眠っている間に起きた事態があまりに大きすぎて、現実感が伴わなかった。マリアの冷静さがさらに違和感を強めていた。
しかし、身体を動かせない今の状態ではやれることがなかった。
少し急ぎ足で男が、看護師らしき助手を連れて病室に入ってきた。上部だけ白髪のない頭、顎に白い髭を蓄えている。医者のオルテイだ。
彼らの後ろには茜色の髪と蒼い瞳のジューダスと、マリアの姿もあった。
「ちょっといいかな。起きなくていい。寝たままで」
オルテイは布団を捲ると、ヤバルの上着を慣れた手つきで脱がす。上半身をはだけさせた。
胸のあたりや腹部、腕、手首などを触診している。時々動かして欲しいと言われて、ヤバルは応じた。
何か妙なことをされないか最初こそ見張っていたヤバルだが、オルテイの真剣な目に負けて、とりあえず窓の外を見ることにした。
上部を崩壊させているスラオシャ大神殿が見える。大事件のはずだが、神王教崇拝者でもあるマリアを含めたジューダスたちの様子は冷静で、憤りや焦りなどがなかった。ヤバルにはそれが腑に落ちていない。
とはいえ。診断の邪魔するわけにもいかず、オルテイの手が離れるまで黙って待つことにした。
「うん。良い調子だ。さすがに若いだけあるね」
オルテイはにこりとヤバルに笑いかける。それからジューダスに向き直った。
「順調に回復しています。あと数日で毒の影響も抜けるだろうと考えられます。後遺症も、このまま行けば残らないでしょう」
「忙しいところすまなかった。下がっていいぞ」
「いえいえ。あとで新たに弱い解毒薬を調合しておきます。それでは失礼します」
次の仕事があるらしく、オルテイとその助手は処置も手短に、ヤバルの服と布団を綺麗に戻してから退室した。廊下を走っているのが聞こえるところから相当忙しいのが窺える。
部屋はジューダスとマリア、ヤバルの三人だけになる。
「君がマリアを助けてくれたことに驚いている。サイ・セセラギ・シルヴィア。以前は彼女の胸ぐらを掴むほどだったはずだが。自己紹介は必要かな? 私は、ジューダス・ガリラヤという。爵位は公爵だ。話はこの子からも聞いている。私から礼を言わせてもらう。育て娘のマリアを助けてくれて、ありがとう。君の今いる部屋は私が管轄する医療施設だ。傷が癒えるまでゆっくり休むといい。学園側にも話は通しておく。治療費も心配しなくていい」
椅子に座らず、寝たきりのヤバルをジューダスは見下ろした。他人行儀の言葉だった。
ジューダスの穏やかな表情の、冷たい目が物語っていた。
「わざわざ公爵直々のご厚意ありがとうございます。先日は大変失礼しました」
冷たい目に嫌悪が過る。
それでもジューダスは穏やかな表情を保った。
「不躾だが、一つ問わせてもらう。なぜマリアを助けた」
「彼女の身が危ないと知ったからです。知人が危ないとき助ける理由には十分でしょう」
「私とあなたはいつ知り合ったのよ」
「いつでしょうね」
ヤバルの返しにマリアはカチンときた。あのね、と大声で怒鳴りかけるのをジューダスに制される。
「マリアの危機はどこで知った」
「情報に詳しい友人がいました。クラーク・サスラという僕と同じ一学年の生徒をご存じ有りませんか」
「名前は知っている。行方不明だ」
表情に陰が入っていた。
ヤバルは相手の意図を察する。ため息を漏らした。
「そういえば、大神殿の崩壊はいつの間に? 僕が意識を失う前はまだ健在に見えていたのですが」
「一昨日だ。君はシルヴィア家だろう。詳しいことは叔父に聞くといい」
「残念なことにお役御免を言い渡されましてね。もう僕の前に現れることはないと思ってます」
ジューダスは呆れた声でため息混じりに言った。
「まあいい。お前の出自がどうあれ、治療の完治までは面倒を見てやる。あとは好きにしろ。こちらは関知しない」
「ありがとうございます。ついで、いつまで小芝居を続ければよろしいのでしょうか」
叔父役のアーロンはジューダスの動向を警戒していた。あまりに無関心が過ぎているのを恐れていたのだ。今もなぜヤバルが学園に通っているかなどを問い詰める様子はない。
「ここは私の管轄内で外の見張りも私の部下だが、お前の立場を守ってやる保証は無い。好きにしろ」
「……チッ。ご厚意に甘えさせていただきます」
不服そうに従った。
ヤバルは話を仕切り直す。サイの表情で言った。
「そういうわけで、いま僕は明日もわからない身分です。どうか現状の説明をお願いします。せめてこの国で何が起きているのかを、話せる範囲で構いませんので教えてください」
ジューダスの保護が無ければ、明日を待たずともサイ・セセラギ・シルヴィアでなくなるかもしれない。生き残るには情報が必要だった。
助けを請うと、ジューダスは今すぐにでもヤバルを見捨てるだろう。
マリアを助けた恩で治療を施しているだけで、匿う理由はないからだ。
「いいだろう。把握している情報をくれてやる。一昨日の朝、スラオシャ大神殿は中腹あたりから破壊された。犯人はすでに自殺済みだ。名は、カプト・メンティーラ。枢機卿のひとりだ。主に学園内だが神殿敷地内で横行していた違法麻薬事件がらみカルト集団の首謀者ともされている男だ」
この世界の最大宗教、神王教五位の男が自ら命を絶った。
自殺の件だけでも大事件だが、その自殺者が神王教のシンボルを半壊させている。ましてや聖地での麻薬横行、異教徒のカルトとも関わっていたとなれば、前代未聞どころの騒ぎでは収まらなかった。
スラオシャ大神殿には、他国の要人も礼拝に訪れる。情報統制のために内外の門を封鎖するのはできない。事件は一昨日だが、この一大事は四日もまたず全世界に広まるのは想像に難しくなかった。
「自殺はそれらしき遺書が残されていたからだ。関係は調査中だ。ダカーハージ学園の女子生徒殺害と麻薬、そして異教の告白文が書かれていた。女子生徒はアブリコ・ジャルダン。大騒動より数日前に自殺と見做されていたが、彼女の殺害に至る内容があった。麻薬を学園を中心に神殿敷地内に蔓延させて異教徒を集めていたようだ。ところが、自らの信仰の限界を悟り、段々と罪の意識に苛まれるようになり、信仰が続けられないと追い詰められて自殺に至ったらしい」
「なぜ大神殿の破壊を……?」
「自らの信仰の猜疑心に耐えきれなくなったことで、壊さずにはいられなかったと書かれている。神王への憎しみらしい。麻薬服用の影響とも関係性は調査中だ。倒壊させた方法も不明だ」
「学園に麻薬が横行していたのは本当ですか」
「事実だ。エデンの使徒、名前くらいはお前のほうが聞き覚えがあるだろう」
ウェールズから聞かされ、実際クラークも入っていた学園内の派閥だ。通称エデンの鍵穴と言われている夢を見た生徒たちで集まったものだ。
歴代最大派閥の剣聖をも取り込もうとしていた。会員人数は百を超える勢いだった。
「エデンの使徒は解体でしょうか。生徒はどうなりますか」
「派閥は解体。学園生徒全員に事情聴取をする。会員は薬物調査と治療名目で軟禁だ。幹部役は調査協力の名目で牢屋で拘束している。いつになるかわからんが、軟禁対象から徐々に解放していく予定だ」
ジューダスからため息が漏れた。表情に疲れが過った。
数日続く一連の騒動でかなり疲弊しているようだった。
生徒とはいえ、各国要人の跡取りもいるのだ。当然政治レベルでの反発も予想される。しかし、神王教、ワヒシュタ国の信用のためにも事件解決の形に収めなければならない。
例えどんな形であれだ。
要人のご子息ご令嬢とはいえ一時的に拘束できているのは、永世中立国のワヒシュタであり、神王教の総本山にて聖地故の信仰を利用した権力に過ぎないのだ。
信仰と政治は切り離されているとはいえ、この世界の人間のほとんどが信仰する神王教そのものの発言を無視できなかった。
とはいえ。限界がある。
いずれ調査半ばで強引に解放しなければならない生徒も出てくる。
「聞いておいてなんですが、遺書の内容だけでなく生徒の拘束状況とか話してくれてよかったのですか。あとで口封じとかしないでくださいよ」
「公開が許されている情報だ。遺書の内容もすべてを話しているわけではない。話は以上だ。他に知りたいことはあるか。おそらく私がお前に会うのもしばらくないだろう」
「学園はこれからどうなりますか」
関係生徒たちの処罰は聞いたが、学園側の運営は聞いていなかった。
「そうだったな。失念していた。学園は諸外国のご子息ご令嬢の安全とその公表のために運営自体は休まず継続される。もちろん拘束される側の生徒も一部を除いて情報を公開する。しかし学業は休みだな。期間は一ヶ月と発表する予定だが実際は未定だ。各国との対応、諸々の準備を間に合わせる手筈だ。学生はそれまで基本行動をスラオシャ大神殿敷地内でしか許されない。神殿内は入れないがそれ以外は通常の行動が許される。学園内であれば自主学習等のために施設の利用は許可される」
お前も休業中には動けるようになるだろう、とジューダスは付け加えた。
「諸外国の生徒の中には、一旦帰国を命じられた生徒が出てくることが予測されている。復学せず母国での学業施設に通う生徒も出ると思っている。この混乱の波及はかなりの規模になるだろう。神殿、学園に収まらず、ワヒシュタ国の国政自体にも影響を及ぼす。お前もこれからの社会の流れを注視して、せいぜい遠巻きでいろ」
「ありがたいご忠告恐れ入ります」
ヤバルがこの国にいられるのは、まだサイのままでいれたらの話だ。
すでにアーロンから用なしの宣告を受けた以上、いつ首を切られてもおかしくない。ジューダスの保護から離れたときの命の保証がないのだ。
「私は職務に戻る。マリアも退室させる。今後は症状が落ち着くまでここに来るのはオルテイの他は彼の助手と、お前宛ての外来訪問者のみだ」
「承知しました。じゃあな嬢ちゃん。もう無茶するなよ」
「……あなたにそのまま返すわ。お節介にしても関わり過ぎよ。分を弁えなさい」
マリアが表情をむっとさせた。
どこがおかしいか、ヤバルは笑いをくつくつ溢す。
反論しそうになるマリアだったが呆れた顔でそれを飲み込んだ。ジューダスに着いて退室していった。
「案外あっさりだったな」
ひとり残った病室でヤバルは溢した。
マリアに軽口を叩いてみせたがそろそろ体力の限界もあった。ヤバルは睡魔に襲われて眠りについた。
――再び目を覚ましたときには日の暮れかけだった。
窓の外から茜色の光が差していた。
まだぼんやりとする顔でいるヤバルは、ドアのノック音を聞いた。首を動かして見やれば、金色の長髪で美形の少年がドアを開けたままに立っていた。学友のウェールズ・アンヌーンだ。
「久しぶりな気がする」
「4日か5日ぶりなところだな。久しぶりなのも無理はない。いろいろあったからな」
彼はヤバルのベッドまで寄ると近くの椅子に腰掛けた。
「ずいぶん丁重な扱いで羨ましいぜ。綺麗なお姉さんはいたか」
「さあ? 見かけなかった。変わりないようでほっとしたよ。学園は今どうなってる」
ジューダスからも聞いていたが、実際通う学友からも聞いてみたかった。
「しばし休校だと。大変だぜ。聞いてるか? 大神殿が崩落して礼拝も禁止されて、そればかりかエデンの使徒の暗躍で蔓延していた麻薬問題と、枢機卿の自殺、おかげで神殿側も学園側も信用がガタガタだ。学生間でも揉めごと増えてな。派閥争いも泥沼かしてる。横行していた麻薬摘発もあって、治療名目で軟禁される奴らも続出してる有り様だ」
「結構ひどいな」
苦い笑いを浮かべた。
ジューダスの話と差違はなかった。
「ここには普通に入れたのか」
「? クラークもお前もどこにいるかわからなくて、教員に尋ねたらここにいるのを教えてくれたんだ。お前の名前と俺の所属答えたら通してくれたぜ。なんでお前がガリラヤ家の領地にいるんだよ。お姫様をとうとうおとしたか」
「あのお姫様の厄介事に巻き込まれたから半分匿われているんだよ。ウェールズも今回の騒動の原因が何か知ってるだろ。あのとき礼拝堂にいて、お姫様とも一緒に逃げてたからだよ」
「あはははっ! そりゃ災難だな!」
ゲラゲラと腹を抱えて笑われて、ヤバルは舌打ちをする。
政治情勢も経済悪化も、すべて滅びの魔女のせいだと謳って起こったクーデター。自国をアイオーンで滅ぼしたと噂されているマリアに、その矛先が向けられたのだ。
ひとしきり笑ったウェールズが突然哀しげに溢した。
「……クラークは、ここにもいないんだな」
「ここの人の話だと行方不明と聞かされている」
ヤバルもそれしか応えられる言葉を持っていない。
やるせない声音でウェールズが、そうか、とだけ言った。
二人の間に静けさが生まれた。外からの忙しげな復興作業の音や声が聞こえてくる。やがて口を開いたのはウェールズだった。
「治療はいつまで続く予定なんだ」
「僕もわからないよ。数日と聞かされている。そんなに長くはないらしい」
「そうか。じゃあ、今度会うのは完治後かもな。あんま長引いたらまた来るぜ」
ウェールズはにっと笑ってみせて手を振った。ヤバルもベッドの寝た姿勢のままだが手を振り替えそうとして、うまいこと動かせなかった。布団の重さにすら返せなかった。代わりとして小さな頷きをする。伝わったようだった。
退室する友人を目で見送り再びひとりになったヤバルの目には、物哀しさを滲ませてもいたが、至って冷静でもあった。
「ま。そうだろうな」
感情のない言葉をため息混じりに言った。
。。。




