十三章〈崩壊〉中
ヤバル (本名:サクラス・ザラスシュトラ 潜入捜査中偽名:サイ・セセラギ・シルヴィア)
マリア・オルレアン (滅びの魔女と恐れられている)
ジューダス・ガリラヤ(貴族・国衛軍第六部隊・中尉)
モート・ギリティナ伯爵(貴族・港町プロピナの領主)
アーロン・クイール・シルヴィア(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊副分部隊長・伍長)
レミエ・ラグドロビン(国衛軍百十三番隊国衛軍安全調律部隊第十分部隊・兵長)
クラーク・サスラ(ヤバルのクラスメイト)
ウェールズ・アンヌーン(ヤバルのクラスメイト)
ヒスイ・ルサールカ(スラオシャ大神殿の従業員として潜入調査中。アーロンの協力者)
マイカ・カスヴァス(スラオシャ大神殿の業務員として潜入調査中。アーロンの協力者)
数十人規模のアイオーンの気配がある。
アイオーンは互いに共鳴を起こす。
これを、通常は気配として認識している。
同場所での大多数の発現は、共鳴作用も強くなる。気配がさらに大きくなる
礼拝堂を睨むヤバルは、まるで押されているかのように、一歩下がってしまう。
鳥肌が立っていた。
「なんだよ、これ。おい、嬢ちゃん、こりゃどういう状況だ」
「知らないの? 私を探してるみたいなのよ。あなたは、さっさと逃げたらどうかしら。ここに魔女がいると伝えれば温かく迎えてくれるわよ」
礼拝堂の方から、滅びの魔女を出せと叫びが聞こえていた。
ヤバルは、目を見開いて、歯をむき出しにした。
「馬鹿にしてんのか!」
「あなたには関係ないことだって言ってるのよ」
「あ?」
「なによ」
睨み合う。
ヤバルが凄みを利かせても、マリアは一歩も引こうとしなかった。
根負けしたのはヤバルのほうだった。
舌打ちをしてから、盛大にため息をする。
「教えろ。ここからあんたを逃がすには、どうすればいい」
マリアは、あっけにとられた顔を逸らしてから、ぽつりと返す。
「……不要よ」
「あんた、こんな事態で何言ってんだよ」
「違うわ。本当なの。ここは大神殿。私が逃げるよりも、身を守るよりも、ここがまず守られるわ。私はただ、奥へ行けばいいだけなの」
礼拝堂の騒ぎは、絵画の廊下まで伝わってきている。
神殿への進行を止める怒声と、なおも踏み入ろうとする叫声がぶつかっていた。
司祭たちと、押し寄せて来た人たちとが、一触即発の状況にあるのだ。
「だったらさっさと行けよ。あれは長く持たないぞ」
「ええ。あなたはどうするの」
「あんたが言ったんだろ? 滅びの魔女が奥にいるぞとか、魔の手から逃げてきたとか、テキトーに話すさ。嬢ちゃんより俺のほうがよっぽどの善良市民だからな」
「そう。気をつけてね」
少しだけ、まだ心配をする顔だった。
「いいからさっさと行け。ほら、最悪が起きたぞ」
また一段とアイオーンの気配が強くなっていた。新たにアイオーンが増えていた。
神殿側かどちら側がアイオーンを具現化させているのかは、ヤバルたちには知る手段がない。
だが、爆発寸前の緊張状態なのは、見えずともわかるほど、空気が張り詰めていた。
「巻き込んで、ごめんさい」
マリアが、腰のベルトから、金属の輪っかを取り外した。いくつもの鍵がついている。
絵画の廊下の奥は、鉄格子で閉ざされている。
ひとつの鍵を、マリアは迷いのない手で選び取った。
開けられた鉄格子の向こうには、いつからかひとりの女司祭が立っていた。
マリアを優しく迎え、短く言葉を交わす。
女司祭の視線が、ヤバルに向けられた。
「あなたは来ないの」
微笑んでいる。彼を知る態度だった。
ヤバルも、女司祭とは会っていた。カウンセリングを引き受けているエメラだ。
「御免だね。俺にはこっちがお似合いだ」
ぽかんとするエメラの顔に、ヤバルは満足して背を向ける。
神殿側がマリアを庇っていても、ヤバルには安全だとは限らない。
信用もしていない。
ヤバルは自身で逃げる道を選んだ。
鉄格子が閉ざされる。
ヤバルに、もう誰も声をかけなかった。
絵画の廊下にひとりで残った。
「嬢ちゃんは、あれでひとまず大丈夫か。さて、俺は、ここから出るにはどうするべきか」
身体中の筋肉を軽いストレッチでほぐす。
迫る騒ぎを待ち構えていた。
「突っ走るよりは、騒ぎに乗じたほうが確実だろうねえ」
絵画の廊下の向こうから、金属同士のぶつかり合う音が鳴った。
はじまったのだ。
どちら側かわからない人の怒号も、叫びも、どこまでも響く。
ヤバルは一層気合いを入れた。
「さあ来い。俺が逃げる瞬間を持ってこい」
ところが。
絵画の廊下に来た学生の姿を見て、驚きから脱出を取り止めてしまう。
「クラーク!」
制服の腕や足のところの一部が破れている。擦過傷が見えていた。
顔にもあざができていた。
絵画の廊下に一人だけできたクラークは、ヤバルの姿を認めると、急いでいる様子で詰め寄った。
「サイ。どうしてここにっ。いや、そんなことより、早く逃げるんだ。礼拝堂で暴動が起きている!」
「うん。そうみたいだね。クラークは、どうしてここにいるんだ」
礼拝堂から絵画の廊下までは、直接繋がっている。
騒ぎを抜けなければ、ここには来られないはずだ。
一般人は大神殿の正門からしか、礼拝堂には入れない。ならば、どうやってクラークが来たのかは、明白だった。
「俺は………」
ヤバルから視線を逸らして、口ごもる。
説明できないでいた。
クラークは、ヤバルの質問に答えなかった。
「あとで話す。今は、あの人を逃がさなければならないんだ!」
「あの人……それって、滅びの魔女のことか」
「そうだ。ここまで聞こえてきているだろ。彼女がここにいるのは危険だ」
「大丈夫だよ。それなら―――」
マリアの行方の説明をしようとしたときだった。
絵画の廊下に、司祭の男が数名を連れてきた。
「お前たち、ここで何をしている!」
クラークを追ってきたのだ。
後方は鉄格子で塞がれている。
逃げるには、正面の男たちを突破するしかない。騒ぎの渦中、礼拝堂に行くしか道はなかった。
司祭たちは、すでにアイオーンを展開している。
その向こうでは、学生服の数人が他の神殿関係者に拘束されていた。
礼拝堂での優勢は、神殿側にあった。
「待ってください。僕たちは巻き込まれただけなんです。絵画を見ていたら、突然騒ぎになって」
司祭たちが間合いを取りながら寄るのを、ヤバルが制止する。
事実を織り交ぜて、この場は被害者で乗り切ろうとしていた。
しかし、司祭の顔から警戒が消えない。
神殿側の人とヤバルに挟まれているクラークが、ヤバルに聞いた。
「なあ、あの人はどっちに行ったんだ」
「鉄格子の向こうだ。女司祭も一緒だったから、大丈夫だよ」
「女司祭……? それはひとりで、彼女のところまで来ていたのか」
「そうだけど。どうかしたのか」
「そんなはずは………いったい誰だったんだ」
「エメラていう人だ。僕の、カウンセリングをしていた司祭だよ」
「エメラ……? エメラ・アウーロイ? ………だめだ。だめだ!」
青白い光の粒子が煌めく。
アイオーンだ。
クラークの手元に現れた剣が、白の廊下に突き立てられる。
司祭のひとりが、クラークに警告をする。
ヤバルも、咄嗟に止めようとした。
「やめろ、クラーク!」
「だめなんだッ!」
白い廊下の床が、ぼこりと隆起する。
否。こぶができたのは、床だけではなかった。
壁、天井にも、ぼこぼこぼこぼこ、とこぶの発生が止まらない。瞬く間に、クラークと司祭を隔てるように形成されていく。
こぶは司祭たちの進行を妨害する役割もしているが、廊下の強度を下げてもいた。
クラークの狙いは、そちらが本命だった。
廊下を崩してしまおうとしていた。
だが、司祭たちも動いていた。
アイオーンを手に、クラークとヤバルを実力でねじ伏せようとしている。
崩壊をはじめた廊下を強行される。
足を踏み入れれば、たちまちこぶが砕けて、さらに崩れるのも躊躇っていない。
クラークが廊下を崩すより、司祭たちの進行が早かった。
このままでは突破されかねないのを認めて、ヤバルは咄嗟に近くのものを掴む。片腕だけでは無理があったため、身体全体で回して投げた。
絵画だった。
ここに展示されているもので、ほかのどれよりも重宝されてきた一枚だ。
〝朝焼けの夜〟。
数年に一度の傑作とまで謳われた、モナリザ作が回転しながら飛んでいく。
崩落を突き進んでいた司祭たちでひとりが慌てふためいて、前に出た。ヤバルが何を投げたのか、気づいたのだ。アイオーンで叩き落とそうとする別の司祭を止めに入る。
その司祭を押さえつけながら、片手と身体を使って絵画を受け止めていた。
彼らの足並みが乱れた。
足を止めるしかなくなったふたりの後ろにも、まだ司祭が三人いた。踏めば崩れる足場で立ち止まるのは、倒れてしまいかねなかった。
突き進むしかない彼らはふたりをよけようとする。
崩れはじめている廊下は、こぶの影響もあって、狭まっている。ぎりぎりを抜けていくしかなかった。
「まだまだまだまだ!」
ヤバルは、〝朝焼けの夜〟からつづけて絵画を投げまくっていた。狭くなった廊下では、真ん中を狙ってただ投げるだけで誰かに当たる。クラークに間違っても当たらないように気をつければよかった。
司祭たちが絵画をアイオーンで切り伏せる隙で、とうとう廊下の天井が落ちた。
クラークと司祭の間を瓦礫が塞いでいく。
司祭のひとりが撤退の声にあげた。
瓦礫で埋もれていく廊下の向こうに去って行く。
彼らが去って間もなく、廊下は完全に塞がれた。
「彼女を追わなければ」
アイオーンを引き抜くと、クラークが神殿の奥に振り返った。
その腕をヤバルは掴むが、すぐに払われる。
「おい。待てって」
「サイ。この場は俺を見逃してくれないか。彼女の身が心配だ」
「だから落ち着け」
ヤバルは、クラークの腕をもう一度掴んだ。
「あいつは女の司祭が連れて行った。だから、大丈夫だ」
「それが問題なんだ。女の司祭なんて、俺は知らされていない。彼女の迎えは、案内人は、アサナギ、男の司祭だと決まっていたはずなんだ」
「決まっていた、だと」
「ごめん。でも、信じてほしい。俺は、彼女の身の安全を何よりも優先しなければならない。これから先を、どうか見逃してほしい」
その眼差しは、ヤバルに訴えていた。
しかし、ヤバルは、クラークの腕をぐっと引き寄せた。
「何をするつもりだ。言え」
「時間が無い。ここもすぐに突破される」
クラークが視線を向けた先で、遠ざかっていたアイオーンの気配が、再び近づいていた。
司祭たちの声もする。
動くな、そこにいろ、馬鹿をするな、と叫んでいた。
人の力だけでは動かせない瓦礫の山も、アイオーンを以てすれば、簡単に解決できる。
「サイ。行かせてくれ」
「………冗談じゃねえ」
ヤバルは、クラークの腕を払うように放すと、胸ぐらを掴んだ。
ギブスの腕で、締め上げる。
「あんたの言っていることを絶対だと思えねえ。だが、嘘だと言えるだけの材料がこっちにはない。だから俺を嬢ちゃんのところまで案内しろ。それが、俺がここであんたを見逃す条件だ」
「君は………」
クラークは、ヤバルを、まるではじめて見つめたような顔をしていた。
だが、すぐに表情を引き締める。
「わかった。行こう」
ヤバルは、舌打ちをしてクラークを離した。
†
鉄格子をアイオーンで破壊して、ヤバルとクラークの二人は、神殿の奥へ走った。
マリアが向かったであろう先を目指す。
画廊を抜けると、景色は様変わりした。
緋色の天井と、浅い黄色の壁と床の廊下だ。まるで黄昏時の世界だ。
クラークたちは併走しながら、目的地へ急ぐ。
「いい加減に教えろ。あんたはどうして、嬢ちゃんの居場所を知っている」
「俺は君のその変わりようが気になるところだけど……。この騒動は、半分は意図的なところがあるんだ。こうなるのを予見していた。マリア様がどのような対応をされるのかも、いくつか情報を入手している」
「予見していた? 誰がやったかわかっているのか」
「マリア様だよ。救済教〝救世の灯〟を誘き出すためだ。先の、ハイリ・セラピアとイーラ・スクウカの殺人事件、それからマルール・カシマールの自殺との関係を疑っているのだろう。そのために、あえてエデンの使徒を暴走させたんだ。ここまでされたら、救済教は、動かざるを得ない」
階段を駆け上がる。
踊り場で一度足を止めて、上の階の気配を窺った。
二階から、また内部の景観が変わる。白と淡い黄色を基調にした、一階の礼拝堂や画廊と酷似していた。こちらのほうが、光は全体に淡く、包み込むような印象を見る者に与える。
話し声は顰められる。
「なるほど。崇拝するお姫様が傷つけられるのは堪らないか」
「彼女の存在こそ、救世の顕現だからね」
クラークが先行して通路の様子を確認する。ヤバルにハンドサインで合図を出した。
近くまで寄って、壁に背中をつける。
「それで、俺はあんたを、どっちだと見たらいい?」
少しの間を挟んで、クラークは小さく笑みを溢した。
「ああ、そうか。ウェールズにでも聞いたのかな。いいよ。エデンの使徒の創設にも関わっていたけれど、僕は元から救済教なんだ。この世界を、救いの滅びに導く者だ」
クラークはヤバルに真相を告げる。
「エデンの使徒の幹部でもあるから、思想が徐々に誘導されていたのもわかっていたさ。抑えきれるのが時間の問題なのも。だから、救済教はマリア様の動向を見守るだけで、直接的には関わらないでいるつもりだったんだ………そのつもりだった」
「ところが、今は予定外のことが起きているんだな」
「そうだ。マリア様が、俺たちの把握できない状況に置かれている可能性がある。俺はこれを無視できない。なぜなら、彼女を連れた司祭が、エメラ・アウーロイだからだ。アウーロイ家は保守派だが、改革にも柔軟な思想があった。しかし、彼女は最近、いわゆる右翼派の会合にいることがあった。滅びの魔女を毛嫌いしている噂も聞いている」
「……確定か。その人の意志を確認したのか」
「そこまでは言えない。でも、不安分子を、この状況で放置できるほど、俺は脳天気ではいられない。俺だけじゃない。エデンの使徒の中には、俺以外にも救済教が人いる。彼らも同じ意志の元に動いてくれているはずだ」
「あんたとあんたたちの目的はわかった。で、肝心の嬢ちゃんはどこにいったんだ」
階段の下から、足音がする。
クラークたちは上の階に飛び出た。タイミングが悪く、二人組の司祭が右手の廊下先にいた。
「こっちだ」
瞬時の判断で、クラークたちは反対の左手側の廊下を走った。
遅れて司祭たちが追いかける。
「サイ」
先頭を走るクラークから、鍵がひとつ投げ渡された。
「拘束具の鍵だ」
「なんであんたが持っているんだよ」
「学生に使われているような拘束具は、鍵の造りが簡単で共通もしている。念のために一つくすねていたものだ。今の君に使うのが最善だろ」
「あんた、退学しても十分一人でやっていけるぜ」
「冗談。そんなことするためなら、俺は世界の救済に邁進する」
ヤバルは走りながらだが、さっそく拘束具を外した。
実に一ヶ月ぶりの解放だった。
外した拘束具は捨てず、ベルトにかけておく。鍵はポケットにしまった。
クラークが部屋に走り込んだ。ヤバルも後を行く。
何かの書類が保管されている部屋のようだった。クラークたち以外、誰もいない。
ドアも何も隔てるものが着けられていないため、出入り口側の壁に身を寄せて、できるだけ廊下側から姿を隠した。
外を窺うクラークの隣で、ヤバルは両腕を見た。
ヤバルの腕に、微かにだけ、青白い光があった。それはまるで、雫がこぼれるようだった。
アイオーンが具現化される。上腕の半分までを覆う、黒いロンググローブだ。
無かったはずの左腕に確かな質量が生まれていた。
腕の感触を確かめる。
「それが君の本当の能力かい。こうして気にもしてなければ、アイオーンが出されたことにも気づけない。見事だね」
視線は廊下のままで、クラークが感心する。
「同じことは何度も言われて慣れっこだが、それはただの特技だ。俺のアイオーンに、能力なんて特別なものはない。せいぜい、手先が器用になって、盗みが上手くなるだけだ」
「特技……? セセラギ流の」
「それも違う。ただの飾りを、大袈裟に見ないでくれ。惨めで堪らねえ」
「そうかい。そのわりには…………」
人の接近に、クラークは言葉を切る。
目つきを鋭くして、機会を窺った。
さっき廊下で出くわした二人の司祭だった。彼らは部屋の前まで来ると、ひとりが近づいて、内部を覗いた。視線が、壁に張り付いているクラークたちへ。
弾けたように動いたのは、クラークだった。
司祭の首を掴んで部屋に引き、すぐ投げる。クラーク自身は外へ飛び出した。
廊下では、もうひとりの司祭が待ち構えていた。青白い光も手元にある。
クラークは対峙するが、不意に頭をさげる。
その後方から、ヤバルがナイフを投擲していた。司祭の顔に飛ぶ。
「うおっ」
驚かせはできたが、よけられた。
生まれた一瞬の隙を、クラークが繋ぐ。低くした姿勢のままでタックルをした。下から持ち上げて壁に叩きつける。頭突きを眉間に食らわせた。
とどめは刺さない。気を失わせもしなかった。
乱暴に落とす。
「こっちだ!」
クラークは、ただ一言だけヤバルに告げて、振り向かず走り出した。
司祭たちが体制を整えるまでの時間で、この場を逃げ切るつもりなのだ。
ヤバルも来た道を戻る。階段を過ぎた。
後ろからは司祭たちが来ていた。ただ脅かしただけだから、彼らをそれほど離せていない。
「どうすんだよ!」
「いいから着いてこい」
窓の見える廊下の突き当たり、左に曲がる。
「こっちもいたぞ」
正面から別の司祭の二人組が来た。
下の階の騒ぎで、二階にも警戒態勢がしかれていた。
「こっちだ」
弧を描く階段があった。とても細く、人ひとりがようやく通れるものだった。
クラークを先頭に行く。
もし、挟み撃ちにでもされたら一巻の終わりだ。
「出るぞ」
突然、両側の壁に手をついて、上りだした。
小さな窓がある。光を取り入れるためのものだ。
ヤバルも迷わず続く。ここでの躊躇いは命取りだ。すでに階段の下からは、司祭たちの声や足音が迫っていた。
小窓は人の身体がなんとか通れそうな大きさだった。はめ殺しのため、割らなければならない。
クラークの仕草からアイオーンを出そうとしているのを、ヤバルは止める。ベルトから拘束具を取り出した。右手で、ナックルダスターよろしく握る。
「ふっ」
ガラス自体は分厚かったが、一撃で割れた。
縁の細かいところもしっかり砕いて取り除く。
スラオシャ大神殿の地上三階の外だ。数十メートル下にしか地面はない。
だが、クラークは足からガラスを取った窓に身体を滑り込ませて、すらりと外に出た。
何も聞かされていないヤバルは、一度頭だけを出す。すぐ下に、クラークが立っていた。
スラオシャ大神殿は、長い歴史で増改築を繰り返してきた。
円柱をいくつも積み重ねて、天を目指すような外観は、設計図通りかどうかは、噂の域を出ていない。スラオシャ大神殿は、神王が座した岩山を再現していると伝えられているが、現在の形は増改築の結果によるものだ。
クラークがいるのは、ひとつの円柱の上だった。
ひと十人分くらいの余裕のあるスペースだ。
小石や小枝なので散らかっていた。鳥の巣と思わしきものもある。今は使われていない。
クラークが下から、早くしろと手招きする。
同じ要領で、ヤバルも外に出た。
すぐにクラークがアイオーンを展開する。
壁に突き刺した。
窓からは司祭たちの声がする。アイオーンの気配もあってか、彼らも外への出口に気づいたのだ。
しかし、唯一の道を、クラークのアイオーンが壁からこぶを作り出して、崩壊もさせて塞いだ。またしばらく時間稼ぎをしたのだ。
クラークたちが降りた屋根のスペースには、なぜか階段が外枠をなぞるように上へ続いていた。これも増改築の副産物だった。
ここから、スラオシャ大神殿の、なぞの外庭へ行ける。
神王の財宝伝説にも繋げられる、目的がわからなくなった建造物だ。これも増改築の結果で、中途半端に残されているだけのものでもある。当時の事実を知る者はいない。
クラークが階段に足をかけて、動こうとしないヤバルに振り向いた。
「どうしたんだ。急ぐぞ」
「なあ、本当に、この騒動はあんたらエデンの使徒だけなのか」
ヤバルの視線を追って、つまらなそうに納得した。
「もちろん。便乗もいるさ。彼らにしてみれば、これはまたとないチャンスだからね」
スラオシャ大神殿区域は、高い外壁で囲まれている。首都ユーピテルの中に小さな町を内包する形だ。普段から、信奉者のために礼拝堂までは開放されていた。
しかし、最近、反政府思想の高まりやデモの過激化もあって、正門には検問が設けられていた。外部からは、礼拝堂での参拝以外許されておらず、ひとの出入りが制限されいた。
検問があってからも、その気質は変わらなかった。
ところが、今、人で溢れかえっている。
どんなに参拝者が多くても、規律と制度が守られてた誠実さやある種の美しさが見受けられた、礼拝堂までの道は混沌としていた。
遠くからでも揉め合っているのがわかるほどの、負の感情と熱気があった。
ところどころで煙も上っている。遠くには、ガラスが割れる音もしていた。
その人の混沌を、濃藍色が大きく囲みつつあった。国衛軍だ。スラオシャ大神殿の崩壊は、国を転覆させる大事件になる。緊急事態に、彼らも動き出していた。
「勘違いしないでもらえたら嬉しいけど。あの中にも数人救済教はいるけど、あそこまで過激な扇動はしていない。あれは彼らの意志だ。目的すらもない、汚れた欲望の群れだよ」
「どうだか」
心底嫌悪する顔で、ヤバルは、神殿正門を睨んでいた。
「エデンの使徒も、あそこにはいるんだろ。自分たちは違うなんて、言うだけなら楽だろう。プロピナのときも、そうやって高みの見物をしていたのか」
「あれは、だまされたんだ。実際、マリア様を攫ったのも、連れて行こうとしていたのも、救済教ではなかった。仲間の何人かは死んで、犠牲しか得られなかった」
「モート・ギリティナ伯爵に、か」
「君は、やっぱり、」
振り返ったヤバルが、クラークに、その先に続く言葉をいわせなかった。
「行くぞ。嬢ちゃんを助けるんだろ。俺にも構っていたら、処刑台に立つのはあんたになるぞ」
「一つだけ、聞いていいかな」
どうぞ、とヤバルは言った。
「どうして、マリア・オルレアンにそこまで固執するのかな。イサク・ジズの意志を引き継いでいるのかい」
ヤバルは、笑いを溢す。
「つまんねえこと聞くなよ。惚れた女を助けようってんだ。誰かの意志なんざ、知ったことか」
「そうだね。ほんと、つまらないことだった」
ちょっとだけ、クラークの表情には失望があった。
はい。タイトルの時点で、もうお察しでしたでしょう。
いつもは、前後で一章のかたちを取っていましたが、今回は終わりませんでした。ちょっと予定より、長引いてしまいまして。あと数ページ書くだけでも終わりそうになかったので、中、というかたちを取りました。
というわけで、またの更新をお待ちください。
次は、4月28日を予定しています。




